「愛」って何?
これから、子育てについて私が思うことをいろいろ話をしたいと思いますが、先ず、かたい話から始めましょう。
人間関係の基盤にあるのが愛です。愛を基盤にしてこそ良い人間関係が創られます。
でも、よーく考えてください。私たち、この「愛」という言葉の中身をホントに分かって使っているのでしょうか。昔から演歌にもロックミュージックにもこの言葉は「耳にタコができる」ほど耳にしてきました。
『広辞苑』を引いてみました。「愛」とは・・・。
①親兄弟のいつくしみ合う心。広く人間や生物への思いやり。
②男女間の愛情。恋愛。
③かわいがること。めでること。大切にすること。
途中省略して
⑦キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。→アガペー。
そして⑧の愛蘭(アイルランド)略
というのまでありました。
人間関係の基盤にあるのが愛です。愛を基盤にしてこそ良い人間関係が創られます。
でも、よーく考えてください。私たち、この「愛」という言葉の中身をホントに分かって使っているのでしょうか。昔から演歌にもロックミュージックにもこの言葉は「耳にタコができる」ほど耳にしてきました。
『広辞苑』を引いてみました。「愛」とは・・・。
①親兄弟のいつくしみ合う心。広く人間や生物への思いやり。
②男女間の愛情。恋愛。
③かわいがること。めでること。大切にすること。
途中省略して
⑦キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。→アガペー。
そして⑧の愛蘭(アイルランド)略
というのまでありました。
辞書の説明の限りではそういうことなんだけれど、愛って何でしょう。
わたしが「愛」について教えられたのは、愛の反対語を考えたときです。
論理学の上では、「愛」という言葉はその反対語を挙げることのできる言葉ではありませんが、敢えて「愛」の反対語を思い巡らせてみたいと思います。
普通、わたしたちが「愛」の反対語は何ですかとたずねられたら、どう答えますか。多くの人は「憎しみ」とか「恨み」とか答えるでしょう。きっと90パーセントくらいの人はそう答えるでしょう。
でも、キリスト教でいう愛の反対語はむしろ「無関心」「無関係」です。無視したり関わろうとしないことの方が、恨んだり憎んだりするより、「愛無き行為」なのです。マザー・テレサは、物質的な先進国日本の問題はこのような意味での「愛」がないことだと言いました。
この反対語からもう一度「愛」という言葉について考えてみましょう。
「愛」とは、自分の隣にいる人に関わることです。誰もが神さまから与えられた大切な命を宿しています。その命が損なわれたり無駄にされることの無いように、自分の隣にいる相手を支えて関わりぬくことが愛なのです。そうであれば、聖書でイエスの説く「愛」は、好きかどうかの感情を表す言葉ではなく、他の人に関わろうとする意志や行為を表す言葉であるとも言えるでしょう。
「子育て」にはそのような意味での「愛」が必要です。目の前にいる隣人である我が子が、神からプレゼントされた命を豊かに大きく育むためには、体の栄養と同時に「愛」が必要なのです。時には自分の思い通りにならないからと言って苛立ってしまったり、子育てに疲れを感じるときもあるでしょう。でも、そんな時はあなたが神からを受けていることを思い起こしてください。そしてその愛に生かされて最も身近な隣人である我が子にどこまでも関わっていけますように。