生きる喜び
神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。( フィリピの信徒への手紙 3:1 )
聖書に出てくる「命」という言葉には、おもにふたつの意味があります。
ひとつは、生物としての「命」で、すべての動植物に与えられている「命」です。もうひとつは、「生きること」、「人生」、「死に対する命」という意味であり、人が喜びや悲しみの中で生きる実感を味わうときに浮かび上がってくる「命」です。
人は、生物としての命を生きているだけではありません。花は美しく咲き匂い、鳥は空を飛んでさえずることで、上に述べた前者の意味の「命」を表現していますが、人は、自分が誰であるかを知り、とりわけ他の人との交わりの中でお互いに出会う中で後者の意味の「命」を育んでいくのです。
人は、他の誰とも取り替えのきかない大切な命を生きています。例え、生物としての命が満足な状態に置かれなくとも、いや、そのような時にこそ、人は平和をつくり出すことを求め、どのように逆境を乗り越えるのかを考えながら生きる存在であると言えます。
人間は、自分には上に述べたようなふたつの意味での「命」があることを知り、その「命」について考えながら生きる唯一の生物であると言えるでしょう。
そうであれば人間は、自分の命も他の人の命もすべての動植物の命も、大切に守り育む使命が与えられていることを自覚する必要があると思うのです。私たち人間は、上に述べたふたつの意味で、生きていること、生かされていることを感謝し喜ぶことができます。言葉を替えれば、人間はこの地球上で生きる喜びを知る唯一の存在であり、これを宗教的に言えば、人間は神を礼拝する特権を与えられているのです。
秋は収穫の恵みを感謝する季節です。収穫の喜びを感謝できるのも私たち人間の特権です。また、その場をおもしろおかしく過ごすだけでなく、他の動植物もふくめてお互いに豊かに健やかに過ごすためにどうすれば良いか、何ができるのかを考え、その環境を創りだしていくことも私たち人間に与えられた使命であると言えるでしょう。
おかげさまで、愛恩幼稚園は創立100周年を迎えており、今月は創立100周年を感謝し祝う諸行事も予定されています。幼稚園という組織そのものには生物としての「命」はありませんが、神から与えられた幼子の「命」を豊かに育もうという理念には「神の愛」という「命」が宿っていると言うこともできるでしょう。
生物としての「命」を健やかに、人間としての「命」を豊かに、共に育み合う幼稚園としてますます成長していけるように祈り続けていきたいと思います。