遊びこそ学び
あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。(コリントの信徒への手紙一 1:5)
先日、ある会合で、幼稚園時期の子どもたちにいわゆる「勉強」をさせるべきかどうかが話題になり、意見を求められました。その場ではあまり長くお話しする時間もありませんでしたが、その会が終わってから自分の子どもたちはどうだったのか思い出してみました。我が子に限らず、子どもたちにとって、遊びこそ学ぶ経験であり勉強の基礎です。
「遊び」という言葉が「勉強」という言葉の対極の意味のように思われてしまう面がありますが、ことに子どもの場合は、「遊び」と「勉強」は分けてとらえるべきことではなく、むしろそれらは一つのこととして考えるべきなのではないでしょうか。
例を挙げてみましょう。
玉入れ競争をしました。「赤と白、どっちが勝ったかな。あと幾つ入れれば同点?」。机の上でドリル帳を開くことより、玉入れの方がずっと数についての具体的イメージがつくれます。
「その場でジャンプしましょう。」「それでは4回ジャンプして一回り。それ、ジャンプ、ジャンプ、ジャンプ、ジャンプ。」「今度は3回ジャンプして一回り。それ、ジャンプ、ジャンプ、ジャンプ。はい、また真っ直ぐ前を向けたかな。」
このような動きの中に、子どもは分数について体験し、角度について体で学んでいます。
また、レゴブロックでお城を作りながら長さ、高さ、面積、体積のことを学び、ボールで遊びながら速さや距離のことを体感し、お散歩をしながらお店のことや季節の花々を目にし、息を切らせて走ることで自分の体の仕組みを感じ、ナゾナゾやしりとりで語彙や発想力に磨きをかけるなどなど、子どもが遊びの中で経験していることがどれほど多様でありかつ豊かであるかを挙げていけば限りありません。
野球が大好きだった私の子どもは、たくさんの漢字を野球選手の名前で覚え、打率の計算方法を学び、日本地理や地域の産業については都市対抗野球の代表チームで学びました。
家族や友だちとその経験を言葉にして共有することも、子どもにとっては大切な「遊び」でありつつそれが「勉強」でもあることは言うまでもないでしょう。
そのような実体験があれば、テレビやパソコンの画面を通した「疑似体験」や「仮想体験」も少しは子どものイメージを膨らませるために役立つ可能性もあるかもしれませんが、実際に体を動かし、心を動かして質の高い遊びを遊び込むことこそ幼児期の子どもにとっての最高の勉強なのです。子どもは、この土台があって、小学校への教科学習にも意欲を持てるのです。
早期に文字や計算などのドリルを始めた子どもより、十分に遊んだ子どもの方が、10歳を超える頃から学力試験の成績が逆転して上位になるという研究結果も明らかにされています。
秋の気持ちよい日も増えてきます。遊び込んでたくさん学びましょう。