御国が来ますように
御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。(マタイによる福音書 6:10)
わたしたちは、毎日「主の祈り」を唱えています。朝の職員会で、子どもたちとの朝の集会で、この祈りを唱えない日はありません。この祈りの言葉は、上記のように聖書の中にあります。
主イエスが弟子たちに「こう、祈りなさい」と教えた祈りです。
「主の祈り」の中に「御国が来ますように」という言葉があります。この言葉は、「天の国が来ますように」と置き換えることも出来ますが、「神さまのお考えの世界が到来しますように」という意味です。
日頃使われている「天国」とは、わたしたちが死んだら迎え入れられる世界のことなのかもしれませんが、イエスさまの教えによれば、「天 国」は行くところではなく、この地上に求めるもののようです。主イエスさまは、どこか特定の地域を区切ってその領土を天国にするのではなく、わたしたちが生きている、今、ここを、神さまのお考えが実現する姿になるように求めて祈りなさい、と教えておられるようです。
そして、そのように祈り求めることとは、ただ座って目を閉じてこの言葉をお題目のように唱えることを意味するのではなく、その願いが実現するように、例え小さな事柄でも、具体的な行いにして表すことへと促されることを意味するのです。
かつて、ある臨床心理学者が次のように言っていた言葉が印象に残っています。
「一見平凡に見える家庭でも、それを維持するのにはそれなりの努力が必要なのです。」
この言葉と重ね合わせて考えると、天の国はただ誰か他の人の手によって作ってもらう世界ではなく、わたしたちの小さな努力を積み重ねることによって実現していく側面も大きいことがよく分かるのではないでしょうか。
わたしたち大人が子どもたちにかける何気ない言葉の中にも、時には叱って正しいことを教える中にも、家族で食事をする中にも、神さまが共にいてくださるのですから、わたしたちは、その時、その場が神さまの望む姿が現れ出るように、いつも小さな努力を重ねていくことが必要なのではないでしょうか。
そのような環境の中で、自分を精一杯表現して生きる子どもたちの中に「天の国」の姿が現れ出てくるのです。
風薫る季節です。子どもたちは幼稚園生活のリズムにも慣れて、心も体も伸びやかに育つ季節です。その成長が天の国の姿が現れ出ることにつながるよう努めて参りましょう。御国が来ますように。