2023年01月17日

My祈祷書・My聖歌集のすすめ

  50年近く前のこと、私の堅信礼準備の時に、当時の牧師にこう言われました。「自分の祈祷書、聖書、聖歌集は持っていますか。自分の祈祷書で礼拝し、自分の聖歌集で歌いなさい。」

 親のお下がりの祈祷書と聖歌集を使っていることを伝えると、牧師は堅信礼の記念に祈祷書をプレゼントして下さいました。堅信式後に初陪餐そして祝会、戴いた祈祷書の表紙裏に按手してくださった教区主教、牧師、ゲストで来会した米国聖公会の執事(女性)にサインをしていただきました。その祈祷書と相変わらず親の聖歌集と聖書をカバンに入れて主日に出かける教会生活が続きました。

 再び教会に戻ろうと思うようになった頃、祈祷書を読み通してみたことを思い出します。その時の感想は「まさに揺り籠から墓場まで」の祈りが用意されているということでした。その内容は、日々の朝夕の礼拝(当時の文語祈祷書では「早晩祷」でした)や聖餐式、聖婚式や産後感謝式、病床の祈り、通夜、葬送式、逝去記念の祈り、聖職按手式や牧師任命式等々で、現行祈祷書も殆ど変わりありません。私には、主日の礼拝でもこのような祈祷書の全体を感じながら祈ることは大事なことのように思えるのです。

 現行祈祷書の本文はp.162~ですが、その前に「準備の祈り」が数種類あることはご存知ですか?教会暦に応じて、そのような祈りもご一緒にしたいと思う時もあります。また、様々な感謝や祈願の祈りも掲載されていることもご存知でしょうか?日々、自分の言葉で祈ることの大切さを踏まえつつ、このような祈祷書にある成文祈祷をすることで自分の祈りが補われたり軌道修正されたりすることもあります。是非My祈祷書をお持ちになって、主日の礼拝にもMy祈祷書で礼拝することを心がけていただきたいと思うのです。

 My祈祷書を持つことの意味を理解すれば、My聖歌集を持つことの意味もお分かりでしょう。

 現行の『日本聖公会聖歌集』も先ず1ページ目から読んでみると興味を引くかもしれません。ここには挙げませんが「へえ、そうなのか!」と思うことが誰にでもいくつかあるはずです。また、目次をみればどのような並び順で580曲が並んでいるのかなどの概要も理解できるでしょう。きっと聖歌を歌うことの恵みや楽しみと共に聖歌にまつわる知識や雑学も楽しいのではないでしょうか。

 私が昔お世話になったある信徒の方は、自分の聖歌集に何時その歌を歌ったかを小さく記録していて、その聖歌をある主日礼拝で歌った後、「この聖歌はあなたのお祖母ちゃんのお葬儀でも愛唱歌として歌ったね」と懐かしそうに話しかけて下さったことがありました。その人の古今聖歌集511(現行聖歌集471)「恵みのかげに」のページには「小野寺リウさん愛唱歌」とでも書かれていたのでしょうか。先月、他教会の親しい信徒の方が逝去され葬儀に行きました。その方の愛唱歌として同じ歌が歌われ、これから主の御許でこの聖歌が幾度も歌われるようになる思いになりました。

 祈祷書と聖歌集だけでなく、聖書も自分の本を持って、自分の礼拝用書で礼拝することは大切なことであると思います。「My聖書」については機会を改めて記したいと思います。

 教会備え付けの礼拝用書を用いても、コピーを用いても、その内容に変わりはありませんが、自分の信仰生活を日常化するために、是非自分の祈祷書、聖書、聖歌集を持って大いに用いていただきたいと思います。

(『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信2023年1月号)


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2022年12月19日

巷のクリスマスに思う

 もう大分昔のこと、都内の大きな文具店でクリスマスカードを探したことがありましたが、残念ながら、気に入ったものを見つけることはできませんでした。

 私が探していたのは、例えば馬小屋の聖家族とか博士たちの訪問などの聖書が語るキリスト降誕の絵カードでした。でも、そのようなカードは一枚もなく「始めからキリスト教書店にいけば良かったな。」とがっかりしながら店を出ました。

 また、これも大分前のこと。降誕日が近づく頃、ラジオで「クリスマスソング特集」をやっていました。馴染みの聖歌も流れてくることを期待しながらラジオに耳を傾けていました。「ジングルベル」、「赤鼻のトナカイ」などの曲が流れ、「それでは最後の曲です。クリスマスと言えば、これを抜きには考えられません」いう前置きを聞いて、私は「今度こそ『きよしこの夜』だ!」と思いました。でも、紹介されたのは「ホワイトクリスマス」で、結局、一時間近いその番組では私が期待していたクリスマスの聖歌は一つも流れませんでした。何年か経って、そのことを家族にぼやいたら、息子に「そんなの当たり前だよ」と言われてしまいました。

 クリスマスとは、キリスト(救い主)とマス(礼拝)の合成語で、救い主イエスの降誕を祝いその喜びを分け合う日で、この日をどう迎えるかは、「自分にとってイエス・キリストとは何者か」に関わる大問題なのです。

 私たちは、この日を年末の演出効果程度の出来事で済ませるのではなく、教会に連なりイエスを救い主と告白する者として、豊かで内実のある日として過ごしたいのです。

 イエス・キリストの誕生は、決して華やかでも煌びやかでもありませんでした。でも、イエスは私たちが生きることを肯定し、その喜びを私たちの心の奥深くに与えてくださいました。

 私たちは、この喜びの根底にあるイエス誕生の物語を共有し、その当時の底辺を生きていた羊飼いに喜びのメッセージが真っ先に届けられたことを思い、私たちの弱さや貧しさの中にこそ宿ってくださるキリストを分かち合いたいと思うのです。私たちにとって、当たり前のクリスマスとはどのようなクリスマスなのでしょう。どうぞクリスマスに、いや、いつでも教会の礼拝においでください。

 (『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信 2022年12月5日発行号)


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2022年12月05日

『バラになったのぞみ』のこと

『バラになったのぞみ』のこと           司祭 ヨハネ 小野寺達

  東松山聖ルカ教会の教会通信『マラナ・タ』の第2号(2021年8月号)に、「平和を思う」と題して、私の父親が作出した「のぞみ」という名のバラについて、父の遺文を紹介しつつ掲載させていただきました。

 教会報『我が牧者』にも、「同じ文章でよいから是非『のぞみ』の物語を紹介したい」とのご提案があり、私はここに再度「バラになったのぞみちゃん」のことを掲載していただく機会が与えられました。その時の文章を再度ここに掲載していただいてもよいと思いましたが、私はその後もう一つの父の文章に出会いました。内容は、前回とほぼ同じではありますが、今回はもう一つの父の文章を共有していただければ幸いです。

 昨年の8月以来、「のぞみ」にまつわる二つの大きな出来事がありました。

 その一つは、『バラになったのぞみちゃん』という小冊子が再発行されたことです。私がこの冊子を知ったのは、2020年3月にNHKEテレの『趣味の園芸』で「のぞみ」が採り上げられたときのことでした。その番組では、日本人の作出したばらと作出者を5分間ほどの連載特集で「天津乙女」「芳純」などの剣弁高芯のばらを中心に一つずつ採り上げ、その最終回が小野寺透作出の「のぞみ」だったのです。その中で渡辺桂子さんが発行された『バラになったのぞみちゃん』(非売品)という冊子により「のぞみ」の命名の由来が紹介され、反響を呼び、私の所にもその冊子が欲しいという依頼や問い合わせが数件あったのです。

 しかし、私たち家族は渡辺桂子さんとは面識もなく、その冊子の入手方法も分からず、やがて彼女が逝去されたという情報だけがどこからか伝わってきていました。私は、既に「のぞみ」は小野寺の親族を離れて世界に羽ばたいており、親族だということで「のぞみ」と関わることはかえって控えていたと言ってもよいと思います。

 ところが、2022年に入って間もない頃だったかと思いますが、私の所に島田秀郎さんという方からメールが届いたのです。

 島田秀郎氏は2019年の冬に東京のある病院に入院されてリハビリに励んでおられる頃に、同じ病院に渡辺桂子さんが入院され、二人は知り合い友だちになりました。お二人の入院生活の中で、ある日渡辺さんは島田氏に「バラになったのぞみちゃん」の話をされ、渡辺さんは島田さんに彼女が持っていた最後の一冊「バラになったのぞみちゃん」をお渡しになったのです。それから時が過ぎ、既に渡辺さんは逝去され、「のぞみちゃん」を思い出した島田氏はもう一度その冊子を出版して沢山の人にこれを知らせたいという思いを強くされたのでした。島田氏はその思いや最後の一冊の小冊子のことなどをクリスチャンの友人に話したところ、幾人かの繋がりを経て「のぞみの作出者小野寺透の息子は日本聖公会の司祭で水戸の教会の牧師をしている」ということにまでたどり着き、島田氏からその冊子が間もなく再発行されるので出来たら贈りますというお知らせを受けたのでした。

 私は、島田秀郎さんから送っていただいた300部の小冊子を多くの方にお渡しすることを自分の課題としてこの数ヶ月を過ごしてきました。この『バラになったのぞみちゃん』の小冊子にはどのような背景となる出来事があったのかを島田氏の文章や『マラナ・タ』第2号に掲載した私の文章など印刷して、この小冊子に沿えて多くの方にお送りし、私の手許の小冊子は25部(10月末現在)を残すまでになりました。

 そしてもう一つ、この渡辺桂子さんと島田秀郎さんの流れとはまったく別の流れでで、絵本『ばらになったのぞみ』が刊行されたことを報告させていただきます。

 大雨をもたらした台風が通り過ぎた9月19日、牧師館の電話が鳴りました。相手の方は「今、東京にいるのだけれど、台風の影響で飛行機が全便欠航となり、今日は熊本に帰れなくなって時間が出来たので、東松山まで会いに行きたい」とのこと。電話の相手は『バラになったのぞみ』(文・おがわるり 絵・かとうゆうみ 熊日出版制作)と題する絵本を出版された小川留里さんでした。

 私は、その絵本が今年の7月1日付けで発行された直後に偶然にこの刊行を知り、直ぐに出版元に注文していたのですが、その時に合わせて手紙を書き『マラナ・タ』第2号、島田秀郎氏によって再発行された故渡辺桂子氏作成の小冊子『バラになったのぞみちゃん』とその冊子再発行の経緯を記した島田氏の文章などを出版社にお送りしたのでした。

 間もなく私の手許に届いた郵パックの中には、絵本と一緒に著者小川さんの手紙といくつかの資料が添えられており、その中に、熊本ばら会会長(当時)故高木寛氏が日本ばら会の会報『ばらだより』に寄稿なさった文章のコピーがあり、高木寛氏はその文章の中で小野寺透と「のぞみ」を紹介してくださっていました。以下がその文章ですが、紙面の都合により一部省略と字句修正の上、ここにご紹介します。

 題は「バラになった幼女のぞみ」です。

 5年ほど前に小野寺先生から一通の手紙をいただきましたが、同封してある1985年にカナダのトロントで開催された第7回世界ばら会議で講演された小野寺先生の「ばらになった幼女のぞみ」を拝読して、はじめて「のぞみ」に秘められた悲しい物語を知ることができました。この感動すべき物語を出来るだけ忠実に紹介したいと思います。

 1985年にカナダで開催された世界ばら会議に出席するため、日本からの長い空の旅のあと、トロント空港に着いた私を上品な紳士が私を迎えてくれました。彼は、カナダ聖公会の司祭評議員今井献氏で、私の姪ののぞみの父であります。

 第二次世界大戦が終わりに近づいたころ、私の妹と若い聖公会の司祭は結婚して一年しか経っていなかったが、彼に召集令状が届けられました。

 二人はやがて生まれてくる子どもの名を捜しました。それは男にも女にもふさわしい名前であり、また希望に満ちたものでなくてはならなかったのです。

 そして、子どもが生まれたら「のぞみ」と命名するように二人で約束して彼は入隊しましたが、南太平洋の最も激しい戦いがおこなわれている島におくられ、生死の間をさまよう毎日を過ごしました。のぞみが生まれたときも、消息は全くわかりませんでした。司祭の親は満州に住んでいました。そのころは、女性がそこに行くことは大変困難で、まして赤ちゃんを連れて行くなんて、とても出来ることではありませんでした。

 しかし遂に彼女は、子どもを連れて1945年の雪の降る日に、満州行きの最後の船に辛うじて乗ることが出来ました。のぞみと母親と祖母が落ち着いた生活を楽しむことが出来たのも束の間で、やがて悲しい終戦を迎えました。

 一方、生死不明ののぞみの父は、九死に一生を得て、1945年の暮れに日本に帰国しましたが、満州に居る彼の家族の消息は全く判りませんでした。

 あらゆる手段と教会関係の協力によって、やがて消息が伝わってきました。

 女性の家族にとって、満州で生き延びることがきわめて困難であったために、のそみの祖母が亡くなり、続いて母が死に、3歳になったのぞみだけが生きているという便りが届きました。時が経ち、1947年の寒い冬に、満州からの撤退が終わりに近づいたとき、のぞみが帰国するというニュースが届きました。それは4歳の幼女にとって、堪えがたい長い長い旅でした。

 帰国予定の日に、彼女の父は胸を躍らせて品川駅に迎えに行きました。しかし、無駄だったのです。一日延期になったと告げられました。翌日、再び駅に迎えに行きました。彼の手には、のぞみのための小さい白い手袋が握り締められていました。汽車が到着して、彼は娘を捜しましたが、悲しいかな、のぞみは丁度2時間前に最後の息を引き取ったと告げられたのです。初めて抱く娘のぞみはまだ温かく、まるですやすやと眠っているようでした。

 その後、私は私が作出したグランドカバーローズに、死んだ姪の名をとって「のぞみ」とつけました。この世を去った少女が今も尚咲きこぼれ、世界の人から愛されていることは、私にとって大きな驚きであり、感謝に堪えません。

 私は、私の講演を次のように結びました。「のぞみの父親がカナダとイギリスにおいて司祭としての長い生活を終えて静かに余生を送っているトロントで、「のぞみ」について講演することが出来たことは、神の導きであります。神に感謝!」

 この文章の後に、高木寛氏はご自身の思いを綴っておられます。その一部を引用させていただきます。

 私は、この悲しい物語を読みながら、戦争のもたらす悲惨さに心いたむ思いでした。父親は、子供を抱きしめて、頬ずりしながら感ずる温かさに幸せの時をもつものですが、のぞみの父親は初めて抱きしめる娘になお残された温かみが、やがて次第に冷たくなってゆくのを、どんな思いで堪えられたのでしょう。ジャック・ハークネス氏は、小野寺氏の趣味の背景には「民族の間の、平和と愛を広める際に、ばらは政治より大声で訴える。」という信念が存在すると称えています。私も「のぞみ」を栽培していますが、日本が生んだ平和の薔薇として、アンネのばら同様に、多くの人に見てもらいたいと願っています。

 バラの栽培を趣味として私の父と交流のあった高木寛氏が上記の文章を記してくださったのは1993年7月20日付けです。そして、高木寛氏と交流のあった小川留里さんによって本年(2022)7月1日付けで絵本『バラになったのぞみ』が生まれました。私と妻は東松山聖ルカ教会を訪問してくださったおがわるりさんと初秋の半日を牧師館で語り合って過ごすことが出来ました。彼女は「自分の中にのぞみが生きている」と言っておられました。

 「のぞみ」のきわめて個人的な物語の中に、人類の普遍的な課題が見えてきます。「のぞみ」は、世界中の子どもたちがもう「のぞみ」と同じ経験することなどない世界を実現するために、どのように生きるのか、何が出来るのか、何をすべきかを私たちに問いかけてきます。私にとってこの一年間は「のぞみ」に関する出来事がこれまでになく多い年でした。そして、私はこの一連の出来事を通して、この世では会うことのなかった私の叔母(今井純子スミコ)と従姉妹(今井のぞみ)は、私にとって遠い第三者なのではなく、私の家族なのだという思いを強く持つようになりました。叔父の今井献司祭は後半生を英国とカナダで過ごし、2007年11月27日に96歳で逝去しておりますが、今も日本聖公会東京教区のレクイエムで覚えてくださっています。1984年11月に私の両親と妻と今井献司祭とで純子とのぞみの墓参をした日が昨日のことのように思い出されます。

(『我が牧者』東松山聖ルカ教会 教会報 2022年12月11日発行 より)

*訂正とお詫び 文中の 渡辺桂子さんのお名前が、誤って「渡辺祥子」と記載されていた箇所があるとのご指摘をいただきました。ご指摘をありがとうございます。訂正させていただきます。

          のぞみ2022-05-25 02.jpg

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2022年07月08日

教会生活の実際について 思いつくままに

 教会暦は、聖霊降臨後の期節に入りました。

 これから11月末までその後半期を過ごしていくことになりますが、それに関連して、教会生活の実際についての勧めをいくつか挙げておきますので、再確認の上、是非できることから実践してください。

 私は、本欄に「教会生活の実際」と題して何回かのシリーズで教会生活を過ごしていく上での心構えや実践すべき内容などを記していこうかとも考えていましたが、ここにその幾つかを纏まりもないままに記そうと思います。あくまでも、義務ではなく心得ですので、ご自身での判断の参考にしてください。

・礼拝開始前の静想を 

 フランシスコ・ザビエル髙橋宏幸北関東教区管理主教が北関東教区のある教会を巡杖された時のことを以下のように語っておられました。

 礼拝開始時刻の15分ほど前に、聖堂があまりに静かなので「何人来ているのかな」と思いつつベストリーから会衆席を覗いてみると、既に10数名が着席して静かに祈り或いは聖書を開いていたとのことで、その日は20名に足りない会衆の礼拝ではあったけれど、とても落ち着いて心のこもった礼拝ができたとのことでした。礼拝前に心を落ち着けて、礼拝に向かう心を整えるのはとても大切なことです。それを一人でではなく、主日礼拝に向かう一同の思いにできれば、なお礼拝前の有意義な時になるでしょう。

 ・My聖書、My祈祷書、My聖歌集を!

 3冊あわせるとかなり重くなりますね。でも、できるならMy各書を手元に置き、前日に当日の聖書日課の箇所と祈祷書の特祷に栞をはさみ、目を通しておきましょう。そしてその内容の感想や疑問点などを心に保ちながら、自分の礼拝用書を用いて毎主日の礼拝に臨めたら良いと思います。私がかつて勤務した教会で、それを実践していた人が時々「私が疑問に思ったことを説教の中で触れてくださって、よく分かりました」と言ってくださり、私には説教準備の励みになりました。 My聖書であればそうした疑問点や注釈などを書き込むこともできます。私は主日礼拝には司式、朗読する時のほかは『聖餐式聖書日課(ABC年別)』より『聖書』を用いることをお勧めします。聖書全体のボリュームの中でその日の聖書日課箇所の位置を感じながらその内容を理解することも味わい深いことであり大切なことかも知れません。また、前日には、当日の説教を準備する聖職のためにも祈ってください。

・主日礼拝には15分前の出勤(?)を!

 教会には、管区、教区、他教会などから多くのお知らせ、案内などの印刷物が届きます。それら全てを全員に紹介したり取り次いだりするには限界があります。主日の礼拝に参集するとき、教会には早めに到着するように心がけて、掲示板や受付周りの印刷物、ご自分のレターボックスなどに配布物はないかをチェックして、必要な情報を得るようにしてください。親しい方と挨拶したり近況を語り合うだけでも時間は直ぐに過ぎていきます。礼拝開始時刻が近くなると、自席で静かに黙想したい人もいますし礼拝に心を向けて沈黙のうちに過ごす人もいます。礼拝前の点燭(ロウソクに火を灯す)は、原則礼拝開始の5分前です。それまでに当日の聖書日課に目を通して栞を入れておくことなどの準備も完了しておきたいものです。

また、事情によって当日の聖書日課の朗読担当など「お役」を突然に依頼されることもあるかもしれません。そのような場合にも「備えあれば憂いなし」です。少し早めの出勤(?)で、礼拝に向かう思いを整え、突然の依頼や変更にも対応することができます。

 また、多くの教会には受付に礼拝出席者記名簿があります。陪餐者であるかどうかによらす、礼拝に参列出席の折は記名を心がけて下さい。その名簿をもとに年度統計の資料を作成します。近年では、万が一のコロナ感染症対策での連絡や忘れ物や拾得物をご本人に戻す手掛かりにもなりますので記名を心がけて下さい。

・牧師への伝達事項はメモ書で。

 「あのことを、今度の日曜日に牧師に伝えよう」という事柄がある場合があります。そのような時は、できるだけ伝達事項をメモ書きにしてお渡しください。もしそのような伝達事項のある方が3人いたとして、一人3分要するとしたらそれで9分かかります。牧師の方からも出席者の中に個人的に何かを伝える必要がある場合、その必要時間が更に加わります。主日礼拝での代祷で共に祈りたい項目がある場合もあるでしょう。そのようなことについてより確かに伝わるように、メモ書きで構いませんので、できるだけ文書にしてお渡しください。

 (2022年7月3日 東松山聖ルカ教会教会通信『マラナ・タ』より、一部書き直し)


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2022年06月22日

庭の草花のことなど

 今春のある土曜日の午後のこと。私が南側道路に面した花壇の雑草をぬいていたら、子どもをバギーに乗せたお母さんらしい二人が歩きながら話をしている声が聞こえてきました。

 「ここ、とっても雰囲気が良いのよね」。

 下から見上げる駐車場まわりの草花や芝生広場とその上の園舎の風景を言っていたのでしょう。私はおだてられて木にも登る思いになって、その日の作業に力が入りました。何と単純な私・・・。その母親たちが2,3年後にその子をこの幼稚園に入園させるかどうか分からないし、教会の礼拝に来ることもないかもしれません。でも、私の植栽作業で、季節の花が咲き、草むしりが教会周りの環境整備の域を越えて、人々にちょっとした楽しみを与えることが出来ていれば、それはとても嬉しいし有り難いことです。

 東松山聖ルカ教会 教会通信『マラナ・タ』 2022年6月号掲載

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2022年04月11日

イエスの十字架に関わる人 二人の例

イエスの十字架に関わる人 二人の例


・キレネ人シモン

シモンは、過越祭を祝うためにキレネ(エジプトの西に接する地中海沿岸の町)からエルサレムに来ていました。ゴルゴタの処刑場に上っていく道に人だかりができています。3人の死刑囚が兵士に囲まれて、自分の処刑台となる重い木を担いで歩いています。その3人の中の一人は、頭に茨の冠を押し付けられ、激しく鞭打たれたために体中が血に染まって黒ずみ、よろめいています。シモンはいきなり一人の兵士に引きずり出され、その男に代わって彼の処刑台となる木を担がされました。

 「何でこんなことをする羽目に・・・。」

 ゴルコタの丘で、その男の十字架が立て上げられその男が死んでいく様子を見ていると、シモンにはその男が犯罪人であるとは考えられなくなってきました。その3日後にこの男が復活したことを知ったシモンは、このイエスという男の弟子たちと関わりを持つようになり、イエスを自分の救い主として受け容れました。

聖書の中に、シモンは「アレクサンドロとルフォスの父(マルコ15:21)」と記され、使徒パウロは「主にあって選ばれたルフォスと、その母によろしく。彼女は私の母でもあります(ロマ16:13)」と記しています。シモンが強いられてイエスの十字架を担った出来事は、イエスの苦しみを担う名誉になり、彼の子孫たちはパウロとも親交のある信仰者になっていきました。

私たちも、始めのうちはイエスのことが分からなくても、自分からイエスに近付きそのお方を知ろうとすることによって、その先が大きく開かれてくるのです。


・十字架の下の百人隊長

 百人隊長とは、ローマ兵百人ほどをまとめる下士官のことです。ゴルゴタの処刑場で、十字架に架けられた犯罪人たちの下に立っていた番兵は百人隊長でした。この兵士にとって、3人の犯罪人がなぜ十字架刑に処せられたのかはどうでもよく、この処刑に因る反乱や暴動などが起こらずにこの任務が終わることを願っていたことでしょう。十字架に付けられた犯罪人たちの一番近くにいたのがこの百人隊長でした。

 この百人隊長には、十字架上の犯罪人の一人がイエスを罵る声やもう一人の犯罪人がイエスから楽園の約束を受ける言葉もはっきりと聞こえ、十字架の犯罪人たちの呻き声や息づかいまでを感じ取ることができました。粛々と作業が進めることばかりを考えていたこの百人隊長の心が次第に動き始めます。

 百人隊長には、真ん中の十字架にいる男の故に、この処刑場の様子がいつもとは違うように感じられるのです。

 三つ並んだ十字架の真ん中の男から、この百人隊長がこのような刑場では聞いたことのない赦しの祈りが聞かれ、この男は罵られ嘲られているのに、その十字架から死を超える希望の光が放たれているのです。全地は暗くなり太陽は光を失っているのに、この人の周りには神の御心が現れ出ているのです。

 この十字架の男は「父よ、私の霊を御手に委ねます」と言って息を引き取りました。その時、百人隊長は思わずこう言って神を賛美しました。

 「本当に、この人は正しい人だった(ルカ23:47)」。

 私たちも、主イエスに近づきましょう。遠くにいては聞こえないけれど、十字架の直ぐ下でイエスの息づかいを感じ、この百人隊長のようにイエスの御声を聞くことができるように導かれましょう。

2022.04.10号 『我が牧者』東松山聖ルカ教会教会報掲載

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2021年12月13日

幼児賛美歌『藁の寝床ですやすやと』に思うこと

『藁の寝床ですやすやと』(幼児賛美歌32)に思うこと

 子どもの頃からどこか素直でなく生意気たっだ私は、幼児用の聖歌・賛美歌が好きではなかった。
 幼稚園生の頃に、例えば、日常生活で使わないような赤ちゃん言葉で「小さいお手々」とか「お目々を閉じて祈りましょう」という歌詞を歌って礼拝していると、内心「へっ、子ども扱いしやがって!」というような思いがつきまとっていたことを、今でもはっきりと覚えている。
 そんな私がやがて教会の教役者になり、いくつかの併設する幼稚園での園長を仰せつかり、子どもたちと一緒に礼拝する中で、いわゆる「子ども聖歌」をたくさん歌ってきた。そして、70歳を過ぎて現職を退いた今でも、私は嘱託勤務する教会に併設する幼稚園で、子どもたちと一緒に礼拝し、いくつか「子ども聖歌」を歌っている。
 私にとって、その極めつけのような歌が表題の「藁の寝床で」(幼児賛美歌第32番)というクリスマスの子ども賛美歌である。実は私はこの歌をこれまで殆ど歌ったことがなかったのだが、園児たちと礼拝する時にこの幼児賛美歌「藁の寝床ですやすやと」を歌うにあたり、しっかり歌えるようにしなければならなくなった。
歌詞は以下の通り。
1.わらのねどこですやすやと
  イェスさまはいまおねんねよ
  しずかなおうたがきこえます
  ねんねのおうたがきこえます
2.どこのおうちもみなしずか
  クリスマスのほしだけが
  きらきらおめめをさましてる
  しずかなしずかなよるでした 
(作詞:深山澄 作曲:大中寅二)
(参考 https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/youzi032.html
 
 子ども聖歌が嫌いだった自分を思い出さざるを得ない。
 そして、この歌を歌うことについて昔のような屁理屈をつける。
 この歌詞は、メルヘンチックな平穏なイエスを表現しているのではなく、飼い葉桶をも厭わずに宿る神の御子を表現しているのだという理屈によって自分を納得させ、子ども聖歌が嫌いだった遠い昔の自分を思い出しながらも、自分の信仰のこととしてこの聖歌を歌っている。いや、この屁理屈は屁理屈なりに真実だと信じて、気持ちを込めて歌っていると言った方が確かだと思う。
 もしかしたら、今でもこうして園児と一緒に子ども聖歌を歌うことは、半世紀以上も前の自分の子どもらしい信仰の埋め合わせをさせてくれているのかもしれない。
 クリスマスの絵本もクリスマスカードもクリスマスソングも、イエス・キリストの降誕やそれにまつわる聖書の物語が排除されるかのような昨今の日本のクリスマスシーズンである。こうして、また聖家族は馬小屋に追いやられ、イェスさまは藁の寝床に寝ることになるのだろうか。
 神の御子イエス・キリストはこうした聖歌を歌う子どもたちの中に宿ってくださるのかもしれない。

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2021年10月04日

黙想して教えられること

黙想して教えられること   2021-10-01
 毎朝夕の礼拝をするために聖堂に座ると、開始まで5分間ほどの、あるいは7分程度であったり、1分足らずであったり、空白の時間が生じることがある。その時間には、簡単な呼吸法による黙想することを心がけてきた。
 その方法は、背筋を伸ばして脳天を真上に引き上げられるイメージで「良い姿勢」を取り、鼻から少し深めに腹に息を吸い込んでゆっくりと吐くことに集中するというごく簡単な方法だ。おそらく、これが黙想の基本ではないだろうか。
 黙想が「今、ここ」の自分の呼吸に集中することを課題とし、他のことが気になったり脳裏に浮かんでもひたすら気持ちを呼吸に集中する。このことを日々行っている中で、自分で大きく変わったと言えることなど何もないが、小さなことへの気づきがある。その2,3を記してみよう。
 先ず、礼拝が始まっても、司式をする自分の気持ちが先を急がなくなったと思う。例えば、詩編や賛歌を唱えている時に、気持ちがその次にすべきことに引っ張られて、栄光の頌(「栄光は、父と子と聖霊に。初めのように今も・・・」)を唱えているなど、次にすべき聖書朗読や祈りのために祈祷書から聖書へと手を移しかえていたり、次にすべきことのために祈祷書のページをそちらに開きにかかっていることが多かったが、栄光の頌を唱え終わるまで気持ちを込め、その先の準備にかからないように心がけるようになったと思う。自分一人で自由に祈っているときは未だしも、他の人と一緒に礼拝していると、私は余計な時間を取らないように、そして適切な「間」を取るようにと、かなり意識してきたと思う。その配慮は悪いことではないが、自分も礼拝の中で「今、ここ」に集中すべきだと思うようになった。礼拝に用いる詩編や聖書日課の箇所など、祈祷書に栞を挟むことなど予め普通に準備をしていれば、気持ちの上で先回りしなくでも、時間の上では殆ど違いはなく、一つひとつの祈りや賛美に集中でき、内容のある礼拝になるのではないだろうか。仮に、そのために時間がかかったとしても、ほんの数秒のことであり、一緒に礼拝している人もそれを「間延びした」とは感じないのではないだろうか。
 第2に、このような意識と態度ができれば、その意識と態度は一層「いま、ここ」に向かうことになる。
 目の前にことに集中する思いを高めることは、周りが見えずに近視眼的になることではなく、目の前の課題に落ち着いて丁寧に取り組むことにつながることを実感している。
 引いては、主日の聖餐式でも、言ってみれば司祭として「そつのない整った司式」から「心のこもった内実のある司式」へと導かれていきたい。既に定年退職の身はあるが、礼拝の司式をする恵みを深くできることを感謝している。
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2021年09月22日

彼岸花 

彼岸花

 「彼岸花 今年も彼岸に咲きにけり」
 この句はその当時小学校4年生だったと思うが、息子が私に付き合って作ったもの。季重なりでもあり、「俳句」としての評価は「才能なし」か「凡人」かもしれないが、私はこの句をとても気に入っている。
 ちょうど2000年のことであった。当時、世の中は、仕事のためだけではなく家庭にも急速にインターネット環境が拡大し始め、多くの教会で宣教の一環としてホームページを立ち上げるようになった。
 前橋聖マッテア教会の牧師であった私は、ホームページを立ち上げることを年の初めの教会委員会で提案し、その年の復活日の完成とアップロードを目ざして、大斎節の間、ホームページ作成に熱中していた。多くの人が親しめるように「句会コーナー」を設けようと考え、短歌、俳句、川柳をいくつか掲載し、そのホームページで投句を求めることにした。できあがったホームページは自分としてはなかなかの出来映えで、その後の改良と更新を加えてますます成長していった。「句会コーナー」は、短歌にも俳句にも何の基礎知識も無いまま、他の人が投句するための呼び水とするためにそれぞれ2,3句を作り、ホームページ開設の時に掲載した。しかし当たり前にことかも知れないが、開設後も投句はほとんど無かった。それでも、「継続は力」とばかり、私はそのコーナーに俳句や短歌を少しずつ掲載し、我が子たちにも応援を求めた。その時、私の三男が応じて口にしたのが上記の句である。
 前橋聖マッテア教会の敷地は広く恵まれていた。歴代の教役者たちが皆植物好きで、広い敷地には色々な植物があった。その中でも曼珠沙華(彼岸花)は見事だった。牧師館前にも聖堂アプローチの脇にもフェンス脇にも広い敷地のあちこちに雑然と植えられた彼岸花は、秋分の日前後に一斉にあでやかな花を咲かせ、道行く人の目を楽しませた。猛暑の年も冷夏の年も、彼岸花は秋の彼岸の頃に花を咲かせた。それは神の摂理と言える着実な生命の営みである。私には、「今年も彼岸に咲きにけり」とはそのような神の営みを背景にした表現に思えた。
 また、この「彼岸」は、秋分の日を意味するだけでなく、生死の川を渡った対岸をも意味していると捕らえれば、この球根を植えて既に召された先輩教役者やこの教会の信徒逝去者たちの居られるところでも今年も彼岸花が咲いたと言い切ってうたっているとも言える。
 私が前橋に赴任した当初、庭の彼岸花の球根は、長年手を入れなかったようで、地中で毎年分球を繰り返した球根は場所によっては地表にまでグロテスクに盛り上がるほどになっており、それらを掘り上げて植え直したが、さて、余った球根をどうしようかということになった。
 思いついたのは、前橋公園の水路沿いや土手の中腹に植えること。毎朝犬の散歩の時に、球根を数個持って出かけ、埋めてくることにした。また、息子たちが所属していた少年野球チームの練習場である利根川河川敷の南町グラウンドの土手にも植えた。少なくとも2年にわたってそのようにした記憶があり、植えた球根の数は200個は下らないだろう。もう一箇所、峰公園の教会墓地にも15球ほど植えたが、それは私の前橋勤務最後の年であったため、教会墓地の境界に植えた曼珠沙華が毎年咲いていると話に聞くが実際に見てはいない。
 また、残念ながら、離任する前年に前橋市で全国都市緑化フェアが開催されて、メイン会場の前橋公園は大幅に改装されてしまい、密かに植えて年毎に咲き始めていた彼岸花の球根も大掛かりな工事によって殆ど無くなってしまったようだ。それまで前橋公園も南グラウンドも彼岸花は咲いていなかったので、もし今でも咲いていたら、それは前橋聖マッテア教会の彼岸花の兄弟である。
 現在勤務する東松山聖ルカ教会の敷地には、彼岸花はない。ホームセンターで4個入りの袋が398円で「リコリス」という名で売られていた。一袋購入して花壇のどこかに植えた。来秋の彼岸の頃にその彼岸花は息子の俳句の通りに咲いてくれるだろうか。そしてこの花は本当に「今年も彼岸に咲きにけり」だなぁ、と思わせてくれるだろうか。

 
posted by 聖ルカ住人 at 14:24| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月20日

金木犀の香り

 二、三日前の朝のこと、ジョギング&ウォーキングの帰り道、少し疲れてゆっくり走る私の胸は一瞬にして金木犀の香りで満たされ、思わず立ち止まり、辺りを見回していた。「ああ、ここにあったのか」。それと同時に、これまでの金木犀にまつわる多くのことが思い出された。
 金木犀にまつわる一番古い私の記憶は、幼稚園生の頃のこと、その香りに惹かれて一枝を手折り家に持ち帰って母親に見せると、牛乳瓶に生けてくれた。教役者として初めての住居となった日立の牧師館は、幼稚園の庭の中にあり、牧師館の直ぐ脇には大きな金木犀の木があった。ことにこの季節には外出から戻ると、金木犀が「お帰りなさい」と言ってくれてるように思えた。11年間勤務した前橋聖マッテア教会では、ちょうど2000年の4月に初めて自分で作った教会ホームページを立ち上げ、その秋、デジカメで大写しにした金木犀の花をアップした。7年間勤務した宇都宮聖ヨハネ教会の牧師館の前には銀木犀、愛隣幼稚園の園庭には金木犀があり、銀、金の順に花が咲き、幼稚園の先生が子どもたちを順に抱いてその香りに触れさせていたこと。現職として定年までの6年間勤務した水戸では、大きなコンクリート鉢の金木犀は窮屈そうだったけれど、道路脇のその木の下には朝になるとオレンジ色の円の点描ができていて、そこだけは掃き掃除を除外した。
 その朝の金木犀の香りは、一瞬にして多くの記憶を呼び起こしてくれた。
 思い起こしてみると、このような記憶は、香りだけでなく、私の5感と深くつながっている。特に私の幼少期は、樹木の小枝を手折ることも許された古き良き時代でもあり、金木犀も桜も小枝を手折った感触まで思い出されるような気がする。本物を見る、触れる、嗅ぐ、聞く、そして味わう経験の多様さと深さが人間を育て人生を支えていく大切な要素なのではないかと思う。もし、私にそのような体験が極度に少なかったら、私は一体どんな感性の人間に育っていたのだろう。今の自分はそのような感性が豊かだとは思わないが、私は金木犀の香りばかりでなく、多くの草花や樹木に良い刺激を沢山戴いたと思う。
 先日、幼稚園の先生が、「子どもたちが触れたり摘んだりすることのできる花がもっと欲しい」と話してくれた。教会の花壇を作り管理する立場にある私はハッとした。管理された花壇の花は見るものであり、触れたり摘んだりするものではなくなっている。園児が金木犀の樹の下にしゃがみ込んで、撒き散らしたように落ちた金木犀の小さな花をつまんではもう一方の手に移して握りしめる光景は、これまで幾度も見てきた。中には「お集まり」の声に応じて拳の中の小さな花を「それっ!」と投げ上げる子もいる。他の草花にまで拡げて言えば、タンポポの花を乗せた砂団子、タンポポの綿毛を吹いて飛ばすこと。朝顔の色水作り、オオバコの茎相撲や松の葉相撲。オシロイバナの落下傘。草笛や葉笛等々。草花で遊んだことを挙げればまだまだ尽きない。
 私と同じ経験を現代の子どもたちにも与えるべきだとは言わないが、子どもたちが5感で自然に触れる環境をたくさん用意したいと思う。
 金木犀が香ると秋が進んでいく。(2021年9月17日)
                                 2021-09-16金木犀02.jpg  PHOTO068 金木犀.JPG
posted by 聖ルカ住人 at 05:34| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする