2024年05月09日

「家族語」のこと 

 「家族語」という言葉は社会的に認められているわけではありませんが、私はこの「家族語」がとても大切なことを示唆しているのではないかと思っています。

 「家族語」とは、その家族の中で特有な意味を持つ言葉のことで、単語の場合もセンテンスの場合もあります。

 例えば、我が家では「ああ、重い、重い」という言葉がその一つです。

 我が子が1歳半の頃のことだったでしょうか。言葉が出始めて少しお話しが出来るようになってきた我が子をおぶって玄関を出ようとした時、私の背中の我が子が「ああ、重い、重い」と言いました。私は、その言葉をそれまで何気なく使っていたこに気付きました。

 振り返ってみれば、私は「大きくなって来たね。体重も増えたね。元気に育ってくれて、お父さんの私も嬉しいよ」という思いで、この言葉を使っていたのでしょう。我が子が、思いがけず私の背中のその言葉を発しました。それは、嬉しく、楽しい言葉であり、やがてこの言葉は我が家の「家族語」の一つになりました。

 その後、子どもたちが私におんぶしてくる時、どちらからともなくこの言葉が出るようになり、スキンシップをする親子の楽しく大切な言葉になりました。

 それだけでなく、家族の誰かが少し重い荷物を持つ時にもこの言葉が共有されるようになりました。子どもたちが少年野球の練習から帰る時など、自分のグローブやバットやシューズなどの用具だけではなくチームの用具も抱えて「ああ、重い、重い」。この言葉が出ると、私には我が子が初めてこの言葉を発した場面の嬉しく楽しい思いが甦り、子どもたちもこの言葉を口にすることで重い荷物を持つしんどさを和らげられ、かえってその楽しささえ味わっていたのではないかと思えるほどでした。

 それぞれの家庭に、それぞれの「家族語」があることでしょう。家族の誰かが口にした一言や口癖が家族語になっていった例もあるでしょう。それは単語の場合もあれば短い文章の場合もあるでしょう。

 さて、私たちにはこうした「家族の言葉」と共に「信仰家族の言葉」を共有しています。

 かつて私の恩師は、イエスの言葉は旅先で買った風鈴のような一面があると話してくださいました。夫婦旅行から戻って、軒下に吊した風鈴が風に揺られてチリンとなると、楽しかった旅の記憶が甦り互いに「いいね」と言います。その「いいね」は風鈴の音が良いということではなく、その音と共に広がる過去と今とこれからの世界があるから「いいね」と言うのであり、イエスのみ言葉はまさにこの風鈴のように私たちに働いてくださるのだと恩師は説明してくださいました。

 この風鈴の音の例は、私の中で「家族語」のイメージと重なります。そして、もう一つ勝手な造語を用いて言えば、私たちはクリスチャンとして「信仰家族語」を共有しているのです。「信仰家族語」こそイエスのみ言葉であり、またイエスのみ言葉こそ私たちの「信仰家族語」なのです。

 私たちが豊かな「信仰家族語」-イエスの言葉-を共有できることは、嬉しいことであり大切なことです。

 かつて日本に不法滞在する外国籍人の子どもたちの教育支援をする人の報告を聞いたことがあります。義務教育の対象にならない子どもたちが、いわゆる貧民街で過ごしています。彼らが受ける言葉は「○○野郎」「○生」「○ね」「○してやる!」など汚い言葉ばかりであり、子どもたちが覚えて口にするのは当然その種の言葉ばかり。そのような子どもたちと共に生きて、教育する必要を痛感したことがその活動の始まりだったとのこと。

 パウロは「キリストの言葉が、あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい(コロサイ3:16)」と言っていますが、私たちが豊かな言葉を他者と共有することは、私たちが生きていく上でとても大切なことであり、必要なことなのです。主日礼拝出席を励み、聖書のみ言葉を「信仰家族語」として受け、養われていきましょう。

 子どもが言葉を発することが出来るようになるまでに、両親を始め周囲の人々はその子どもにどれ程多くの豊かな言葉をかけているのでしょう。種としての良い言葉が豊かに蒔かれることがなければ、子どもたちの中に「信仰家族語」は発根することも発芽することも、また、枝を伸ばすこともないでしょう。

 私たちがみ言葉を共有して生きる基本は、まず私たちが聖書の言葉に養われ導かれることにあります。教会は「み言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても。それを続けなさい(Ⅱテモテ4:2)」という言葉に従って、み言葉を受け、養われ、伝える共同体なのです。

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2024年04月08日

復活日は大笑いの日

 復活日を「大笑いの日」と定める教会(地方?)があると聞いた記憶があります。その出典などはすっかり忘れましたが、今年の大斎節は、自分なりに主イエスの復活と笑いがどう結びつくのか考えながら過ごしました。そして、主イエスの復活は本当に「大笑い」の出来事であると自分なりの意味付けをして、一人で悦に入っております。
 落語や漫才で、また私たちの生活の中で誰かがふと口にしたジョークで、笑いが起きる様子などから、人はどのような状況で笑うのかと考えてみました。

 私たちは、嬉しい時、楽しい時、愉快な時などに笑うと思い込んでいますが、違う視点から言えば、自分の予想や期待を越えた出来事を経験した時に笑っているのではないでしょうか。笑いとは、自分の形成している概念(考えの内容と範囲)を越える経験(例えば意外なことが起きた経験)をして、これまでの自分の概念を崩され、新たな認識の枠をつくる過程で起こる反応と説明する人がいます。

19世紀の哲学者ショーペンハウエル(ドイツ)は笑いについて次のように述べています。

 笑いが生じるのはいつでも、ある概念と、なんらかの点でこの概念を通じて考えられていた実在の客観との間に、とつぜんに不一致が知覚されるためにほかならず、笑いそのものがまさにこの不一致の表現なのである。

(意志と表象としての世界 第十三節)

 格調の高い難解な表現ですが、身近な例を挙げて考えてみましょう。

ある落語の中の夫婦の会話です。

 「あたしが右だって言ってるのに、どうしてお前さんは左に行くんだい?」

 「おめえが左って言ったじゃないか!」

 「言いやしないよ。あんたの耳が右と左とあべこべに付いてんじゃないのかい?」--

 私たちの考え(概念)の中に、左右を間違える原因に想定されていない新たな情報(左右の耳が逆に付いている)が突然に入ってきて、自分の考えとその情報の間に不一致が生じ、その可笑しさが笑いとなる、ということなのでしょう。

 ただし、このような仕組みで起こる出来事がすべて質の良い笑いをもたらすのかというとそうではないように思えます。なぜなら、自分の概念に不一致をもたらすことすべてが可笑しいことではなく、不愉快で怒りや悲しみをもたらす場合もあるのです。

 さて、主イエスの復活についてはどうでしょう。人間の罪が罪のない神の子イエスを十字架につけてしまいました。人間が罪の極みを自分で形に表してしまいました。人間は神の裁きを受ける以外に選択肢はありません。生前のイエスはそのことを幾度も教えて預言し警告しました。でも、誰もその言葉に聞き従わずイエスは十字架につけられました。

 その十字架の姿に、ほんの少しの人が「この人はまことに神の子だった」と気づきました。でも、弟子たちをはじめ多くの人は、イエスの十字架に神の救いの姿が現れていることに気付きませんでした。

主イエスの復活は、弟子たちやガリラヤから付いてきた女性たちも、これまでの自分の考えの範囲を越える出来事でした。

 しかもその復活が示しているのは、「神はあなたがたを少しも恨んでも責めてもいない。あなたがたは神としっかりと繋がっており、あなたがたの罪は赦され、あなたがたは神に愛されている。」というメッセージです。

 これはもう、腹の底から笑ってしまう出来事です。抑えようとしても抑えきれず、笑いがマグマのように突き上げて来るメッセージです。イエスの復活は、人の通常の考えを超えた「突然に不一致が知覚される」出来事であり、笑わずにはいられません。

 私は、「知覚のズレ」が他者と共有されることで笑いが更に大きくなるように思います。

 例えば、漫才の場合、ボケる人が「知覚のズレ」を起こしツッコミを入れる人が「そんなアホな」と反応することでその「知覚のズレ」の可笑しさをその場の人々が分け合う時、笑いは一層大きくなるのです。

 さあ、私たちは復活の喜びをみんなで分かち合いましょう。

 この笑いの要素はイエスご自身も予告されていたのに、誰も予想できませんでした。そして、イエスの十字架の悲劇が起こりました。しかし、神はそれを復活の喜びに変えてしまったのです。この奇跡は人に「そんなアホな!」と言わせ、腹の底からの笑いを起こさせ、「いいえ、ホントのことなのですよ」と続いていきます。

 一方、人を蔑み、嘲り、否定するところにも笑いは生まれます。イエスを十字架につけた時、権力者たちはニンマリとしたことでしょう。それは、常識を越えない、常識以下の低次元の笑いです。それは悪魔の笑いと言えるかもしれません。

 イエス復活の笑いは、神が人の常識(概念)を打ち破って働いて下さったことによる大笑いを引き起こし、その感謝と賛美は絶えないのです。

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2024年01月07日

「ばらになったのぞみちゃん(日本語版)」再発行を感謝して


 主の平安をお祈りします。
 この度、島田秀郎さまのご尽力により、「ばらになったのぞみちゃん(日本語版)」が再発行されました。その経緯につきましては、島田さまが熱い思いを込めて記しておられ、私が改めて記すまでもないと思います。(上記「バラになったのぞみちゃん」挨拶状 2023.12.pdf)
 NHKのEテレ番組『趣味の園芸』の「バラと暮らす12か月」(2019年3月)コーナーで「のぞみ」が紹介されました。その番組中で、渡辺桂子さんが発行された冊子「ばらになったのぞみちゃん」を用いながら、このバラの命名の由来についても触れられていました。
 その番組の特集は毎回一つずつ日本人作出のバラを紹介しながら全12回の特集であったと記憶しています。その最終回に「のぞみ」が採りあげられましたが、その第12回は、バラそのものを紹介した前11回とは違う印象を持ちました。それが、この「ばらになったのぞみちゃん」を通して語られた「のぞみ」命名の由来にあったことによることは言うまでもありません。
 その番組の後、私のもとにも「ばらになったのぞみちゃん」の冊子を入手したいとの問い合わせが数件ありました。その中には幼稚園や学校での教材として使いたいと言う方もおられたのですが、当時、私はそのような方に充分なお答えもできず、「私には分からないので、番組制作者に問い合わせてください」と応えるほかありませんでした。
 その後、島田さまが、記しておられるような経緯で「のぞみ」の作出者小野寺透の息子である私に冊子再発行の連絡を入れてくださったのです。こうして私は島田秀郎さんとつながりをもてるようになり、先ず「英語版」に出会うことができ、またこうして再発行された「日本語版」に出会うことができました。
 「のぞみ」に思いを寄せてこのような冊子にしてくださった故渡辺桂子さん、また渡辺さんの遺思を受けて先の英語版、今回の日本語版をご自身の使命として発行してくださった島田秀郎さまに、心から感謝し御礼申し上げます。
 「のぞみ」を知ってくださった方がお住まいの庭に苗を植えてくださったり、亡父小野寺透がさいたま市(旧浦和市)に長く居を構えていたこともあり、2023年5月にさいたま市与野公園の一角に「のぞみ」が植樹され命名の由来を紹介するプレートも立てられました。
 今、世界は戦火が止むことなく多くの尊い命が奪われていますが、人々の平和を希求する思いと共に「のぞみ」が育つことを願っております。
 世界が真の平和へと向かいますように。
   
 主は多くの民の間を裁き、遠く離れた強い国々のためにも判決を下される。
 彼らはその剣を鋤に
 その槍を鎌に打ち直す。
 国は国に向かって剣を上げずもはや戦いを学ばない。(ミカ書第4章3節)

 主にあって

  2023年12月28日(聖なる幼子の日)
   


                                                             ばらになったのぞみちゃん冊子.JPG




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2023年04月11日

「空の墓 -イエスの復活-」のこと  2023.04.10

「空の墓 -イエスの復活-」のこと 

 昨日(2023.04.09)は復活日だった。それぞれの教会で主イエス・キリストの復活を祝う礼拝が行われたことと思う。

 聖餐式聖書日課(A年)は、復活日にはヨハネによる福音書第20章1-10節が配当(旧祈祷書(1959年改定祈祷書)ではこの箇所が固定)されている。

 この聖書日課箇所では、マグダラのマリア、ペトロともう一人の若い弟子(ヨハネであろう)が、イエスの墓を訪ねて、墓が空であったことを確認したところで終わっている。しかも、ヨハネによる福音書第20章9節には、「イエスは必ず死者の中から復活することになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」と記されており、私にとって、この箇所から復活日の説教をすることはとても重荷であった。

 この箇所に向き合って「空虚な墓」ということを中心に据えて説教をしたことがあったのだろうかと自分を振り返ってみると、聖職として35年以上復活日の説教をしているのに、その確かな記憶はなく、思い出すことが出来なかった。

 思い出したのは、私が神学生だった時の定期試験の問題のことだった。

 おそらく、2年生の「教理学」の前期試験の問題の中にだったと思うが、語句や人物を「簡単に説明しなさい」という小問題があり、何が出題されたか覚えていないのだが、例えば、カルケドン公会議とかマルキオンとか6つぐらいの語句があって、解答用紙に2.3行でその項目の要点を記す問題があった。私は、出題されている項目の中に「空虚な墓」があったことを、なぜか印象深く覚えている。

 「T先生の教理学の問題の中に〈空虚の墓〉!? 新約聖書のしけんじゃないだろう!」と思った。

 採点されて戻ってきた私のこの解答部分には三角が記してあったこともハッキリと覚えている。その後、これまでの自分を振り返ってみると、私は復活日の説教の準備をするときに「空虚な墓」の箇所について深く向き合うことを避けてきたような気がする。「空の墓」をテーマにして復活日の喜びを語ることはとても難しいことのように思えたのである。

 定年を迎えても、復活日は来る。今年は聖書日課福音書がヨハネによる福音書から「空虚な墓」の箇所。説教の準備をする段階で色々思い巡らせていると、「空虚な墓」について35年越しの宿題が残っているような気がしてきて、しかもその思いは次第に強くなってくる。

 でも、復活日に教会に集う人々に,この箇所からどのように福音を取り次げばよいのか、この箇所から自分自身がどのような喜びのメッセージを受けているのか、筆は進まず、ある程度説教原稿が整ったのは深夜(というより当日)の午前2時をまわった頃だった。

 復活日の礼拝でこの箇所を朗読し説教壇に立つと、いつにない緊張感に襲われた。まるで、神学生の説教実習で説教壇に立ったときのような思いだった。震えたり声に詰まりながらとにかく語りきった。

 説教が終わると、自分の中に湧いてきたのは、まだ復活への確信の持てない自分がいつか復活のイエスに出会うこと、あるいは主イエスに迎えられることへの希望を持って歩み続けさせていただくことへの感謝と喜びであった。涙が出そうになった。それに続いて洗礼式と聖餐式の司式をさせていただく中でも感謝と喜びが時々大波のように押し寄せてきた。

 私は、ふとT先生は「空虚な墓について説明しなさい」という設問に対してこの説教(解答)にどのようなコメントをくださるのだろうかと思った。

(1) 2023年 4月 9日( A年) 復活日説教 ヨハネによる福音書 第20章 1節-10節(11節-18節) - YouTube

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2023年02月12日

 My聖書のすすめ

 教会で、一同で聖書を開く機会が少ないと、聖書の並び順を知っておきたいという思いも湧かないのかもしれません。そのような状況の中でも、いや、そのような状況だからこそ、旧約新約をあわせた一冊の自分の『聖書』をお持ちになり、主日礼拝にも是非その聖書を持参することをお勧めします。

 日本聖公会では日本聖書協会発行の1954年版新約及び1955年版旧約を合わせた『聖書』、『聖書-新共同訳(旧約聖書続編付1987年版』、『聖書-聖書協会共同訳(旧約聖書続編付(2018年版)』が公の礼拝で用いられるように認許されています。

 毎主日の聖餐式で拝読される聖書日課(旧約、使徒書、福音書)箇所は決まっていますので、多くの教会では礼拝中の煩雑さを避けるために聖書箇所を抜き出して印刷したり、『特祷・聖餐式聖書日課集』(ABC年別)を用いたりして礼拝しています。そのために一冊の『聖書』をあちこちのページを開く機会が少ないのではないでしょうか。

 今から20数年前のことになりますが、「聖書の順番を覚えましょう」という録音テープをつくり教会員に配布したことがありました。教会のオルガニストと歌唱の上手な信徒の方にお願いして「鉄道唱歌」のメロディにのせて幾度も演奏していただき、その一つを幾つもダビングしたのです。

「創、出、レビ、民、申命記、ヨシュア、獅子、ルツ、サム、列王、歴代、エズ、ネヘ、エステル記、ヨブ、詩、箴言、コヘレ(伝道)、雅歌。イザヤ、エレ、哀、エゼキエル、ダニ、ホセ、ヨエ、アモ、オバデヤ書、ヨナ、ミカ、ナホ、ハバ、ゼファ、ハガイ、セゼリヤ、マラキ、39」

「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、使徒、ロマ、コリント、ガラテヤ書、エフェソ、フィリ、コロ、テサロニケ、テモ、テト、フィレモン、ブライ書。ヤコブ、ペトロⅠⅡの書、ヨハネ3巻、ユダ、黙示、新旧両約合わせれば聖書の数は66。」

 上記は新共同訳準拠です。「鉄道唱歌」を知らない人は「友だち賛歌」のメロディでどうぞ。

 このテープ作りをしている時、言葉とも言えぬ言葉が歌われるのを(プロデューサーとして)脇で聴いていると、私の中に不思議な感覚が生まれてきました。

 これら旧・新約66書の『聖書』の順番は、厳密に史実を古い方から並べているわけではありませんが、その全体は主なる神がこの世に働きかけてこられた壮大な歴史絵巻のタイトルがズラッと並んでいるように思えてきなのです。そして、聖書を読むと言うことは、この大きな神の救済史を意識して、その中のどの箇所を読んでいるのかを頭の片隅においてそのメッセージを受けることなのだという考えが生まれてきたのです。

 例えば、主日の聖餐式で、旧約聖書、使徒書、福音書の聖書日課を読み、旧約聖書には詩編の言葉で応答するすることも、聖書全体の中のどの部分からみ言葉を受けているのか意識することで、その主日のメッセージの意味はよりハッキリしてくると思えるのです。

 そう考えると、読まれていない部分も含んだ分厚い聖書を手にして当日の日課を読み(或いは聴き)メッセージを受けることはとても大切なことであると言えるでしょう。

 聖書を読む時、その箇所の前後関係を意識しながら読むことが大切です。説教の中でも、時に当日の日課の範囲を超えて流れや同じ語句が用いられている箇所を実際に聖書を開いて確認したいことがあります。その意味でも私は「日課集」や抜き刷りではなく、実際に「My聖書」を手に礼拝することをお勧めしたいのです。

 自分の本なら、その中に書き込みをしたり線を引いたりすることもできます。自分の本であっても礼拝用書専用にして書き込みはしたくないという人がいれば、是非2冊をお持ち下さい。

 『聖書-新共同訳』が発行され、それに応じるように『日課集』が発行された当時、教役者の会合である老司祭が『日課集』を「こんなくだらないもの作って・・!」と苦々しい表情で言っておられたことを昨日のことのように思い出します。

 『日課集』は公の礼拝での朗読には便利ですが、一冊の聖書を開く機会を減らしたという意味で私はその老司祭に賛成です。

 管区では祈祷書改正の作業も進んでおり、数年後には祈祷書が改訂されます。その時には『聖書-聖書協会共同訳』が用いられるようになるでしょう。いずれにしても主日礼拝にも『My聖書』持参の習慣をつけましょう。

(東松山聖ルカ教会教会通信『マラナ・タ』2023年2月号)

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2023年01月17日

My祈祷書・My聖歌集のすすめ

  50年近く前のこと、私の堅信礼準備の時に、当時の牧師にこう言われました。「自分の祈祷書、聖書、聖歌集は持っていますか。自分の祈祷書で礼拝し、自分の聖歌集で歌いなさい。」

 親のお下がりの祈祷書と聖歌集を使っていることを伝えると、牧師は堅信礼の記念に祈祷書をプレゼントして下さいました。堅信式後に初陪餐そして祝会、戴いた祈祷書の表紙裏に按手してくださった教区主教、牧師、ゲストで来会した米国聖公会の執事(女性)にサインをしていただきました。その祈祷書と相変わらず親の聖歌集と聖書をカバンに入れて主日に出かける教会生活が続きました。

 再び教会に戻ろうと思うようになった頃、祈祷書を読み通してみたことを思い出します。その時の感想は「まさに揺り籠から墓場まで」の祈りが用意されているということでした。その内容は、日々の朝夕の礼拝(当時の文語祈祷書では「早晩祷」でした)や聖餐式、聖婚式や産後感謝式、病床の祈り、通夜、葬送式、逝去記念の祈り、聖職按手式や牧師任命式等々で、現行祈祷書も殆ど変わりありません。私には、主日の礼拝でもこのような祈祷書の全体を感じながら祈ることは大事なことのように思えるのです。

 現行祈祷書の中の聖餐式本文はp.162~ですが、その前に「準備の祈り」が数種類あることはご存知ですか?教会暦に応じて、聖餐式の前にその準備の祈りも出席者と一緒にしたいと思う時もあります。また、様々な感謝や祈願の祈りも掲載されていることもご存知でしょうか?日々、自分の言葉で祈ることの大切さを踏まえつつ、祈祷書にある成文祈祷をすることで自分の祈りが補われたり軌道修正されたりすることもあります。是非My祈祷書をお持ちになって、主日の礼拝にもMy祈祷書で礼拝することを心がけていただきたいと思うのです。

 My祈祷書を持つことの意味を理解すれば、My聖歌集を持つことの意味もお分かりでしょう。

 現行の『日本聖公会聖歌集』も先ず1ページ目から読んでみると興味を引くかもしれません。ここには挙げませんが「へえ、そうなのか!」と思うことが誰にでもいくつかあるはずです。また、目次をみれば580曲の聖歌がどのような順番に並んでいるのかなどの概要も理解できるでしょう。きっと聖歌を歌うことの恵みや楽しみと共に聖歌にまつわる知識や雑学も楽しいものになるのではないでしょうか。

 私が昔お世話になったある信徒の方は、自分の聖歌集に何時その歌を歌ったかを小さく記録していて、その聖歌をある主日礼拝で歌った後、「この聖歌はあなたのお祖母ちゃんのお葬儀でも愛唱歌として歌ったね」と懐かしそうに話しかけて下さったことがありました。その人の古今聖歌集511(現行聖歌集471)「恵みのかげに」のページには「小野寺リウさん愛唱歌」とでも書かれていたのでしょうか。先月、他教会の親しい信徒の方が逝去され葬儀に行きました。その方の愛唱歌としてその聖歌が歌われ、主の御許でこの聖歌が幾度も歌われるだろうと思いました。

 祈祷書と聖歌集だけでなく、聖書も自分の本を持って、自分の礼拝用書で礼拝することは大切なことであると思います。「My聖書」については機会を改めて記したいと思います。

 教会備え付けの礼拝用書を用いても、コピーを用いても、その内容に変わりはありませんが、自分の信仰生活を日常化するために、是非自分の祈祷書、聖書、聖歌集を持って大いに用いていただきたいと思います。

(『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信2023年1月号)


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2022年12月19日

巷のクリスマスに思う

 もう大分昔のこと、都内の大きな文具店でクリスマスカードを探したことがありましたが、残念ながら、気に入ったものを見つけることはできませんでした。

 私が探していたのは、例えば馬小屋の聖家族とか博士たちの訪問などの聖書が語るキリスト降誕の絵カードでした。でも、そのようなカードは一枚もなく「始めからキリスト教書店にいけば良かったな。」とがっかりしながら店を出ました。

 また、これも大分前のこと。降誕日が近づく頃、ラジオで「クリスマスソング特集」をやっていました。馴染みの聖歌も流れてくることを期待しながらラジオに耳を傾けていました。「ジングルベル」、「赤鼻のトナカイ」などの曲が流れ、「それでは最後の曲です。クリスマスと言えば、これを抜きには考えられません」いう前置きを聞いて、私は「今度こそ『きよしこの夜』だ!」と思いました。でも、紹介されたのは「ホワイトクリスマス」で、結局、一時間近いその番組では私が期待していたクリスマスの聖歌は一つも流れませんでした。何年か経って、そのことを家族にぼやいたら、息子に「そんなの当たり前だよ」と言われてしまいました。

 クリスマスとは、キリスト(救い主)とマス(礼拝)の合成語で、救い主イエスの降誕を祝いその喜びを分け合う日で、この日をどう迎えるかは、「自分にとってイエス・キリストとは何者か」に関わる大問題なのです。

 私たちは、この日を年末の演出効果程度の出来事で済ませるのではなく、教会に連なりイエスを救い主と告白する者として、豊かで内実のある日として過ごしたいのです。

 イエス・キリストの誕生は、決して華やかでも煌びやかでもありませんでした。でも、イエスは私たちが生きることを肯定し、その喜びを私たちの心の奥深くに与えてくださいました。

 私たちは、この喜びの根底にあるイエス誕生の物語を共有し、その当時の底辺を生きていた羊飼いに喜びのメッセージが真っ先に届けられたことを思い、私たちの弱さや貧しさの中にこそ宿ってくださるキリストを分かち合いたいと思うのです。私たちにとって、当たり前のクリスマスとはどのようなクリスマスなのでしょう。どうぞクリスマスに、いや、いつでも教会の礼拝においでください。

 (『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信 2022年12月5日発行号)


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2022年12月05日

『バラになったのぞみ』のこと

『バラになったのぞみ』のこと           司祭 ヨハネ 小野寺達

  東松山聖ルカ教会の教会通信『マラナ・タ』の第2号(2021年8月号)に、「平和を思う」と題して、私の父親が作出した「のぞみ」という名のバラについて、父の遺文を紹介しつつ掲載させていただきました。

 教会報『我が牧者』にも、「同じ文章でよいから是非『のぞみ』の物語を紹介したい」とのご提案があり、私はここに再度「バラになったのぞみちゃん」のことを掲載していただく機会が与えられました。その時の文章を再度ここに掲載していただいてもよいと思いましたが、私はその後もう一つの父の文章に出会いました。内容は、前回とほぼ同じではありますが、今回はもう一つの父の文章を共有していただければ幸いです。

 昨年の8月以来、「のぞみ」にまつわる二つの大きな出来事がありました。

 その一つは、『バラになったのぞみちゃん』という小冊子が再発行されたことです。私がこの冊子を知ったのは、2020年3月にNHKEテレの『趣味の園芸』で「のぞみ」が採り上げられたときのことでした。その番組では、日本人の作出したばらと作出者を5分間ほどの連載特集で「天津乙女」「芳純」などの剣弁高芯のばらを中心に一つずつ採り上げ、その最終回が小野寺透作出の「のぞみ」だったのです。その中で渡辺桂子さんが発行された『バラになったのぞみちゃん』(非売品)という冊子により「のぞみ」の命名の由来が紹介され、反響を呼び、私の所にもその冊子が欲しいという依頼や問い合わせが数件あったのです。

 しかし、私たち家族は渡辺桂子さんとは面識もなく、その冊子の入手方法も分からず、やがて彼女が逝去されたという情報だけがどこからか伝わってきていました。私は、既に「のぞみ」は小野寺の親族を離れて世界に羽ばたいており、親族だということで「のぞみ」と関わることはかえって控えていたと言ってもよいと思います。

 ところが、2022年に入って間もない頃だったかと思いますが、私の所に島田秀郎さんという方からメールが届いたのです。

 島田秀郎氏は2019年の冬に東京のある病院に入院されてリハビリに励んでおられる頃に、同じ病院に渡辺桂子さんが入院され、二人は知り合い友だちになりました。お二人の入院生活の中で、ある日渡辺さんは島田氏に「バラになったのぞみちゃん」の話をされ、渡辺さんは島田さんに彼女が持っていた最後の一冊「バラになったのぞみちゃん」をお渡しになったのです。それから時が過ぎ、既に渡辺さんは逝去され、「のぞみちゃん」を思い出した島田氏はもう一度その冊子を出版して沢山の人にこれを知らせたいという思いを強くされたのでした。島田氏はその思いや最後の一冊の小冊子のことなどをクリスチャンの友人に話したところ、幾人かの繋がりを経て「のぞみの作出者小野寺透の息子は日本聖公会の司祭で水戸の教会の牧師をしている」ということにまでたどり着き、島田氏からその冊子が間もなく再発行されるので出来たら贈りますというお知らせを受けたのでした。

 私は、島田秀郎さんから送っていただいた300部の小冊子を多くの方にお渡しすることを自分の課題としてこの数ヶ月を過ごしてきました。この『バラになったのぞみちゃん』の小冊子にはどのような背景となる出来事があったのかを島田氏の文章や『マラナ・タ』第2号に掲載した私の文章など印刷して、この小冊子に沿えて多くの方にお送りし、私の手許の小冊子は25部(10月末現在)を残すまでになりました。

 そしてもう一つ、この渡辺桂子さんと島田秀郎さんの流れとはまったく別の流れでで、絵本『ばらになったのぞみ』が刊行されたことを報告させていただきます。

 大雨をもたらした台風が通り過ぎた9月19日、牧師館の電話が鳴りました。相手の方は「今、東京にいるのだけれど、台風の影響で飛行機が全便欠航となり、今日は熊本に帰れなくなって時間が出来たので、東松山まで会いに行きたい」とのこと。電話の相手は『バラになったのぞみ』(文・おがわるり 絵・かとうゆうみ 熊日出版制作)と題する絵本を出版された小川留里さんでした。

 私は、その絵本が今年の7月1日付けで発行された直後に偶然にこの刊行を知り、直ぐに出版元に注文していたのですが、その時に合わせて手紙を書き『マラナ・タ』第2号、島田秀郎氏によって再発行された故渡辺桂子氏作成の小冊子『バラになったのぞみちゃん』とその冊子再発行の経緯を記した島田氏の文章などを出版社にお送りしたのでした。

 間もなく私の手許に届いた郵パックの中には、絵本と一緒に著者小川さんの手紙といくつかの資料が添えられており、その中に、熊本ばら会会長(当時)故高木寛氏が日本ばら会の会報『ばらだより』に寄稿なさった文章のコピーがあり、高木寛氏はその文章の中で小野寺透と「のぞみ」を紹介してくださっていました。以下がその文章ですが、紙面の都合により一部省略と字句修正の上、ここにご紹介します。

 題は「バラになった幼女のぞみ」です。

 5年ほど前に小野寺先生から一通の手紙をいただきましたが、同封してある1985年にカナダのトロントで開催された第7回世界ばら会議で講演された小野寺先生の「ばらになった幼女のぞみ」を拝読して、はじめて「のぞみ」に秘められた悲しい物語を知ることができました。この感動すべき物語を出来るだけ忠実に紹介したいと思います。

 1985年にカナダで開催された世界ばら会議に出席するため、日本からの長い空の旅のあと、トロント空港に着いた私を上品な紳士が私を迎えてくれました。彼は、カナダ聖公会の司祭評議員今井献氏で、私の姪ののぞみの父であります。

 第二次世界大戦が終わりに近づいたころ、私の妹と若い聖公会の司祭は結婚して一年しか経っていなかったが、彼に召集令状が届けられました。

 二人はやがて生まれてくる子どもの名を捜しました。それは男にも女にもふさわしい名前であり、また希望に満ちたものでなくてはならなかったのです。

 そして、子どもが生まれたら「のぞみ」と命名するように二人で約束して彼は入隊しましたが、南太平洋の最も激しい戦いがおこなわれている島におくられ、生死の間をさまよう毎日を過ごしました。のぞみが生まれたときも、消息は全くわかりませんでした。司祭の親は満州に住んでいました。そのころは、女性がそこに行くことは大変困難で、まして赤ちゃんを連れて行くなんて、とても出来ることではありませんでした。

 しかし遂に彼女は、子どもを連れて1945年の雪の降る日に、満州行きの最後の船に辛うじて乗ることが出来ました。のぞみと母親と祖母が落ち着いた生活を楽しむことが出来たのも束の間で、やがて悲しい終戦を迎えました。

 一方、生死不明ののぞみの父は、九死に一生を得て、1945年の暮れに日本に帰国しましたが、満州に居る彼の家族の消息は全く判りませんでした。

 あらゆる手段と教会関係の協力によって、やがて消息が伝わってきました。

 女性の家族にとって、満州で生き延びることがきわめて困難であったために、のそみの祖母が亡くなり、続いて母が死に、3歳になったのぞみだけが生きているという便りが届きました。時が経ち、1947年の寒い冬に、満州からの撤退が終わりに近づいたとき、のぞみが帰国するというニュースが届きました。それは4歳の幼女にとって、堪えがたい長い長い旅でした。

 帰国予定の日に、彼女の父は胸を躍らせて品川駅に迎えに行きました。しかし、無駄だったのです。一日延期になったと告げられました。翌日、再び駅に迎えに行きました。彼の手には、のぞみのための小さい白い手袋が握り締められていました。汽車が到着して、彼は娘を捜しましたが、悲しいかな、のぞみは丁度2時間前に最後の息を引き取ったと告げられたのです。初めて抱く娘のぞみはまだ温かく、まるですやすやと眠っているようでした。

 その後、私は私が作出したグランドカバーローズに、死んだ姪の名をとって「のぞみ」とつけました。この世を去った少女が今も尚咲きこぼれ、世界の人から愛されていることは、私にとって大きな驚きであり、感謝に堪えません。

 私は、私の講演を次のように結びました。「のぞみの父親がカナダとイギリスにおいて司祭としての長い生活を終えて静かに余生を送っているトロントで、「のぞみ」について講演することが出来たことは、神の導きであります。神に感謝!」

 この文章の後に、高木寛氏はご自身の思いを綴っておられます。その一部を引用させていただきます。

 私は、この悲しい物語を読みながら、戦争のもたらす悲惨さに心いたむ思いでした。父親は、子供を抱きしめて、頬ずりしながら感ずる温かさに幸せの時をもつものですが、のぞみの父親は初めて抱きしめる娘になお残された温かみが、やがて次第に冷たくなってゆくのを、どんな思いで堪えられたのでしょう。ジャック・ハークネス氏は、小野寺氏の趣味の背景には「民族の間の、平和と愛を広める際に、ばらは政治より大声で訴える。」という信念が存在すると称えています。私も「のぞみ」を栽培していますが、日本が生んだ平和の薔薇として、アンネのばら同様に、多くの人に見てもらいたいと願っています。

 バラの栽培を趣味として私の父と交流のあった高木寛氏が上記の文章を記してくださったのは1993年7月20日付けです。そして、高木寛氏と交流のあった小川留里さんによって本年(2022)7月1日付けで絵本『バラになったのぞみ』が生まれました。私と妻は東松山聖ルカ教会を訪問してくださったおがわるりさんと初秋の半日を牧師館で語り合って過ごすことが出来ました。彼女は「自分の中にのぞみが生きている」と言っておられました。

 「のぞみ」のきわめて個人的な物語の中に、人類の普遍的な課題が見えてきます。「のぞみ」は、世界中の子どもたちがもう「のぞみ」と同じ経験することなどない世界を実現するために、どのように生きるのか、何が出来るのか、何をすべきかを私たちに問いかけてきます。私にとってこの一年間は「のぞみ」に関する出来事がこれまでになく多い年でした。そして、私はこの一連の出来事を通して、この世では会うことのなかった私の叔母(今井純子スミコ)と従姉妹(今井のぞみ)は、私にとって遠い第三者なのではなく、私の家族なのだという思いを強く持つようになりました。叔父の今井献司祭は後半生を英国とカナダで過ごし、2007年11月27日に96歳で逝去しておりますが、今も日本聖公会東京教区のレクイエムで覚えてくださっています。1984年11月に私の両親と妻と今井献司祭とで純子とのぞみの墓参をした日が昨日のことのように思い出されます。

(『我が牧者』東松山聖ルカ教会 教会報 2022年12月11日発行 より)

*訂正とお詫び 文中の 渡辺桂子さんのお名前が、誤って「渡辺祥子」と記載されていた箇所があるとのご指摘をいただきました。ご指摘をありがとうございます。訂正させていただきます。

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2022年07月08日

教会生活の実際について 思いつくままに

 教会暦は、聖霊降臨後の期節に入りました。

 これから11月末までその後半期を過ごしていくことになりますが、それに関連して、教会生活の実際についての勧めをいくつか挙げておきますので、再確認の上、是非できることから実践してください。

 私は、本欄に「教会生活の実際」と題して何回かのシリーズで教会生活を過ごしていく上での心構えや実践すべき内容などを記していこうかとも考えていましたが、ここにその幾つかを纏まりもないままに記そうと思います。あくまでも、義務ではなく心得ですので、ご自身での判断の参考にしてください。

・礼拝開始前の静想を 

 フランシスコ・ザビエル髙橋宏幸北関東教区管理主教が北関東教区のある教会を巡杖された時のことを以下のように語っておられました。

 礼拝開始時刻の15分ほど前に、聖堂があまりに静かなので「何人来ているのかな」と思いつつベストリーから会衆席を覗いてみると、既に10数名が着席して静かに祈り或いは聖書を開いていたとのことで、その日は20名に足りない会衆の礼拝ではあったけれど、とても落ち着いて心のこもった礼拝ができたとのことでした。礼拝前に心を落ち着けて、礼拝に向かう心を整えるのはとても大切なことです。それを一人でではなく、主日礼拝に向かう一同の思いにできれば、なお礼拝前の有意義な時になるでしょう。

 ・My聖書、My祈祷書、My聖歌集を!

 3冊あわせるとかなり重くなりますね。でも、できるならMy各書を手元に置き、前日に当日の聖書日課の箇所と祈祷書の特祷に栞をはさみ、目を通しておきましょう。そしてその内容の感想や疑問点などを心に保ちながら、自分の礼拝用書を用いて毎主日の礼拝に臨めたら良いと思います。私がかつて勤務した教会で、それを実践していた人が時々「私が疑問に思ったことを説教の中で触れてくださって、よく分かりました」と言ってくださり、私には説教準備の励みになりました。 My聖書であればそうした疑問点や注釈などを書き込むこともできます。私は主日礼拝には司式、朗読する時のほかは『聖餐式聖書日課(ABC年別)』より『聖書』を用いることをお勧めします。聖書全体のボリュームの中でその日の聖書日課箇所の位置を感じながらその内容を理解することも味わい深いことであり大切なことかも知れません。また、前日には、当日の説教を準備する聖職のためにも祈ってください。

・主日礼拝には15分前の出勤(?)を!

 教会には、管区、教区、他教会などから多くのお知らせ、案内などの印刷物が届きます。それら全てを全員に紹介したり取り次いだりするには限界があります。主日の礼拝に参集するとき、教会には早めに到着するように心がけて、掲示板や受付周りの印刷物、ご自分のレターボックスなどに配布物はないかをチェックして、必要な情報を得るようにしてください。親しい方と挨拶したり近況を語り合うだけでも時間は直ぐに過ぎていきます。礼拝開始時刻が近くなると、自席で静かに黙想したい人もいますし礼拝に心を向けて沈黙のうちに過ごす人もいます。礼拝前の点燭(ロウソクに火を灯す)は、原則礼拝開始の5分前です。それまでに当日の聖書日課に目を通して栞を入れておくことなどの準備も完了しておきたいものです。

また、事情によって当日の聖書日課の朗読担当など「お役」を突然に依頼されることもあるかもしれません。そのような場合にも「備えあれば憂いなし」です。少し早めの出勤(?)で、礼拝に向かう思いを整え、突然の依頼や変更にも対応することができます。

 また、多くの教会には受付に礼拝出席者記名簿があります。陪餐者であるかどうかによらす、礼拝に参列出席の折は記名を心がけて下さい。その名簿をもとに年度統計の資料を作成します。近年では、万が一のコロナ感染症対策での連絡や忘れ物や拾得物をご本人に戻す手掛かりにもなりますので記名を心がけて下さい。

・牧師への伝達事項はメモ書で。

 「あのことを、今度の日曜日に牧師に伝えよう」という事柄がある場合があります。そのような時は、できるだけ伝達事項をメモ書きにしてお渡しください。もしそのような伝達事項のある方が3人いたとして、一人3分要するとしたらそれで9分かかります。牧師の方からも出席者の中に個人的に何かを伝える必要がある場合、その必要時間が更に加わります。主日礼拝での代祷で共に祈りたい項目がある場合もあるでしょう。そのようなことについてより確かに伝わるように、メモ書きで構いませんので、できるだけ文書にしてお渡しください。

 (2022年7月3日 東松山聖ルカ教会教会通信『マラナ・タ』より、一部書き直し)


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2022年06月22日

庭の草花のことなど

 今春のある土曜日の午後のこと。私が南側道路に面した花壇の雑草をぬいていたら、子どもをバギーに乗せたお母さんらしい二人が歩きながら話をしている声が聞こえてきました。

 「ここ、とっても雰囲気が良いのよね」。

 下から見上げる駐車場まわりの草花や芝生広場とその上の園舎の風景を言っていたのでしょう。私はおだてられて木にも登る思いになって、その日の作業に力が入りました。何と単純な私・・・。その母親たちが2,3年後にその子をこの幼稚園に入園させるかどうか分からないし、教会の礼拝に来ることもないかもしれません。でも、私の植栽作業で、季節の花が咲き、草むしりが教会周りの環境整備の域を越えて、人々にちょっとした楽しみを与えることが出来ていれば、それはとても嬉しいし有り難いことです。

 東松山聖ルカ教会 教会通信『マラナ・タ』 2022年6月号掲載

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