2021年05月17日

クリスチャンになると献金を強いられるのですか?

 そんなことありません。
 でも、多くのクリスチャンは自分の所属する教会を経済的にも応分に支えています。
 正統な教会であれば、新聞沙汰になるように、だましたり、洗脳したりして、あなたの財産を巻き上げたりするようなことは決してありません。
 教会が経済面でどのように運営されるのかということにも、是非関心を持って戴きたいと思います。
 普通の教会であれば、経済面も含めた教会運営をその在籍教会員が協議します。私たちの教派の場合は「法規」によって教会委員会を組織し、基本的には毎月委員会を開催しています。予算や決算についても、教会の総会や教区会でしっかり議論されています。
 教会は、この世の法律の上では宗教法人であり、少なくとも年に一度の総会は義務づけられていますので、どこの教会でも事業の報告、会計の報告が行われ、献金の収支決算についての承認が行われているはずです。
 こうした制度の中で、教会は教会員をはじめとする人々の自由意志に基づく献金で運営されています。「自分に経済的利益が還元されなければそこに資金を拠出しない」というお考えや価値観を持つ人には、クリスチャンの姿を端から見て「クリスチャンになると献金を強いられるのですか?」と問いたくなる人もいるかもしれません。
 日曜日の礼拝の中でも、自由意志による献金(信施)を集めますが、それは基本的には神の恵みに対する応答であり、入場料のように金額が設定されているわけではありません。
 これはキリスト教会に限られたことではありません。神社やお寺に参拝する人についても似たようなことが言えるのではないでしょうか。
 良からぬ団体の中には、「献金を強いる」こともあるかもしれませんし、献金の使途が明らかではなく不健全な団体である可能性もあります。
 健全な運営が行われてる上でなお「献金を強いられる」という思いや疑問を呈するとしたら、あなたの心の底には献金についてどのような思いがあるのでしょうか。それを深く見つめてみることも大切なのかもしれません。
posted by 聖ルカ住人 at 16:00| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信者ではありませんが、結婚式をしていただけますか?

 いくつかの条件のもとにお受けしています。
 その条件とは、
 ・教会のカレンダーでは、結婚式を控える期節があります。
  それは降臨節の間(クリスマス前の4週間程度)と大斎節の間(復活日前の7週間程度)です。
 ・式文に基づいて、結婚するお二人に、キリスト教の結婚式の意味や具体的な打ち合わせを含めて準備の勉強会をしていただきます。
 ・準備を兼ねて、教会での主日礼拝に出席していただきます。
 などです。
 この教会の聖堂ではなく、一般の結婚式場チャペルを使用しての結婚式の司式もお引き受けすることもありますが、その場合も上の条件に準じます。
 お引き受けしたからには誠意をもって司式します。
 ここで挙式した方は、ご両人も参列者も喜んでくださっています。信仰もないのに十字架を飾って、あるいは十字架も置かずに、結婚式だけをする会社の商売の霊によってではなく、神の祝福のうちに式が執行されるから良い式になるのだと思います。
posted by 聖ルカ住人 at 15:32| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教会へ行って牧師に会ってみたいのですが、会えますか?

 どうぞ、おいでください。
 ただ、いきなりお出でになっても、不在であったり、他の方々と集会をしていたり、面接をしている可能性もあります。また、併設する幼稚園の仕事もあります。長時間のお付き合いはなかなかできません。
 あらかじめ電話などで連絡をいただければ幸いです。普段は、お互いに都合の良い時間をとって原則50分以内でお会いすることにしています。
posted by 聖ルカ住人 at 08:05| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

入信した後に脱会できますか?

 チョット待って。あなたにとって「入信」とはどんな意味なの?
 このあたりのことをSNSの文章で答えるのは難しいんですよ。むしろなぜそう尋ねたいのか、あなたの思いをもっとお聞きしたいですね。
 神学的には、あなたがもし私の勤務する教会の信徒だったとして、脱会しようと棄教しようと他宗教に転回しようと、神さまはあなたを愛しておられること、愛し続けてくださることに変わりありません。
 また、教会には『教籍簿』があって、本人が「脱会した」と言ってもその人をそこから抹消することはありません。でも、残念なことだけど、教会の交わりから遠ざかって消息の分からなくなってしまった方もかなりいることも事実です。
 わたしたちは、教会生活から離れてしまった人が地獄に堕ちるとか、たたられるとか裁かれるとかは考えていませんし、そのような言葉で脅す思いはありません。神とは言い換えればその人を根底から生かす力であり、わたしたちは、その人が神との交わりを回復するように願い祈っています。
 教会から離れてしまう人の例を振り返ると、牧師や他の信徒から言われた言葉に傷ついたとか、具体的な教会運営について他の人と意見の違いが大きかった、一時期の熱意が薄れたなどの例が多いようです。そのような声を聞くと、牧師である私の心の中に「その人の信仰はそんな程度だったのか」という思いが浮かぶ時もあるのです。先ず、神に導かれる信仰を共に育むことのできなかったことをについて自分の牧師としての力のなさを反省するとともに、教会に背を向ける人に対して、他人のあれこれに心を奪われずしっかり神を見据えて生きることに心を向けて欲しいと祈る思いになることがあります。
 なお、私たちの教派の場合、転居などによってその教会での信仰生活が難しくなった場合、最寄りの(聖公会の)教会に転籍(教籍を移すこと)することが基本になっています。
posted by 聖ルカ住人 at 05:38| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イエスは一人なのに、キリスト教の教派が沢山ありますね

 そうですねぇ。私(牧師)は個人的には聖公会やカトリックが好きです。良くも悪くも長い伝統で培ったものがあります。経験ですね。私は、聖公会が独善的にならず、教条的にならないところが好きですね。
 はっきり言って、個人的にはお薦め出来ない教派やグループもあります。
 もし、「聖公会以外のどこかの教会を紹介してください」なんて言われたら気分的には面白くないけど、まじめにおこたえしますよ。私なりに。
 世の中一般に出回っている本の中から禁書を指定していたり、品物の販売や購入を強制したり義務化したりする宗教団体や、あまり強過ぎるタブーのある宗派やグループについては、気をつけた方がいいかも知れません。そのような宗教はお勧めもしませんし、お薦めもしません
 正統のキリスト教の他教派を悪く言う教会もやめた方が良いでしょう。
 「主の祈り」や「使徒信経」「ニケヤ信経」などの信仰告白を否定する教会も推薦できません。
 と、言うのが私の個人的な意見です。
 もう一つ、付け加えるなら、この世の「宗教法人法」によって、キリスト教の教会に限らず、宗教法人も年に一度は信徒総会(その法人によって檀家総会とか正会員総会などとその呼び方に違いがあります)を開き、年度の活動報告と決算を開示し、次年度予算を立ててそれを総会で承認することになっています。そのことがきちんと行われていない教派、教会に加わることには気をつけた方が良いでしょう。
posted by 聖ルカ住人 at 05:05| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月16日

信徒ではない人の葬儀はしていただけますか?

 ウーン、教会としてそのような体制は取っていません。ケースバイケースですね。
 教会で未信徒の方の葬儀をすることもあります。
 信徒のご家族で洗礼を受けていない人の場合に、逝去者の葬儀をさせていただいた経験は何例もありますし、全く教会とのつながりの無かった人の例も幾つかあります。
 葬儀は、人のこの世での生涯を主なる神さまにお受けいただく式です。通常は、「通夜の祈り」「葬送・告別の式」を行い、火葬にし、後日(火葬して墓に直行の例もあります)墓地で「埋骨の祈り」をして納骨(埋葬)します。
 教会の礼拝堂で葬儀をする場合もあれば、一般的な斎場や葬儀社のホールなどで行う場合もあります。
 本来、逝去した方の信仰に基づいて、葬儀をするべきだと思いますが、故人が洗礼を受ける機会に恵まれなかったり、それでも確かにキリスト教の信仰をもっておられた場合など(どのような例があるのか様々でしょうが)教会にご一報いただけると有難いと思います。
posted by 聖ルカ住人 at 23:47| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスチャンになると自分の家族の墓には入れないと聞いたのですが。

 はっきり言って、それは誤解です。
 そのようなことを言う人がいるとすれば、他宗教団体が経営管理する墓地である例が多いのではないでしょうか。
 墓地は人の生死に関わることですから、宗教が深く関係します。故人の信仰を大切にすることが考えられないとき、クリスチャンであった人の思いや遺言が無視されて、地域の強い仕来りや無理解によって他宗教で葬儀が行われたり埋葬される例が多いように思います。それは個人の人権に関わる問題でもあります。
 教会の墓がある場合、具体的なことは各教会の「墓地規約」によりますが、私の知る限り、その教会に籍をおいた人しかその墓に入れないという例は少ないと思います。教会の墓に逝去したクリスチャンだけではなくその家族も埋葬する例は沢山あります。
 むしろ、逝去したクリスチャンがその家族の無理解によって同じお墓に埋葬することを拒まれる例が多いのだと思います。
posted by 聖ルカ住人 at 23:35| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教会で「七五三」の祈祷をしていただけますか?

 喜んでいたします。
 ただし、教会では幼児・児童の『祝福式』としていたいます。
 これは日本の七五三を教会風にアレンジしたのではなく、主イエスさまが幼子を愛したことを土台として、子どもの育みを祈り神の祝福を求めるものです。
 この祝福式は11月15日に限らず、子どもの幼稚園や小学校入学の時に希望する方もあります。また、産後の感謝式も致します。
 具体的には、教会にお尋ねください。
 教会は、多くの神社がしているような「祝、七五三 祈祷受付」ののぼり旗を立てて宣伝したりはしませんが、人生の節目節目の個人的なお祈りも致しますので、ご希望があれば、遠慮なく教会にお問い合わせください。
posted by 聖ルカ住人 at 23:27| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「聖公会」という教派の特徴を教えてください

 聖公会の成立や立場については、日本聖公会の管区や各教区をはじめ多くの教会でホームページを開設していますので、そちらを参考にしてください。ここではあらためてその内容まで記しません。
 私は、聖公会の基本的な特徴を一言で言うなら「信仰的良心に基づく自由」だと思います。
 聖公会はもともと英国の国民教会(つまり英国人なら誰もがアングリカンチャーチの信徒、国教徒)という時代がありました。大陸のプロテスタント教会のようにカトリック教会に教義上強く対抗したわけではないので、聖公会の教義は伝統的に大きな枠の中で比較的自由です。でも、本当は、誰もが自由であるだけに、各自が神との関係の中で絶えず自分を振り返り新たにされていく厳しさの中にあるとも言えます。
 その自由と厳しさの中にしっかり立てると、聖公会の良さがグッと現れてくると思います。
 聖公会の特徴は「ランベス4綱領」にも、よく表現されていると思います。世界の聖公会は自分の信仰的立場をあまり細かなことまで語っていませんが、それも「聖公会」という教派の特徴と言えるかもしれません。興味、関心のある方は、こちらも「ランベス4綱領」と検索サイトで是非検索してください。
posted by 聖ルカ住人 at 23:13| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月13日

クリスチャンではありません、礼拝に出席してみたいのですが・・・。

 どうぞ、おいでください。歓迎します。
 用意するものですか?そう、必要なのはそのココロ。初めはそれだけでもよいでしょう。
 キリスト教の「礼拝」が、実際にはどのように行われているのかを経験するだけでも、出席する価値は十分にあると思います。また、教養として、ミサ(聖餐式)でイエス・キリストの体と血を表すパンとぶどう酒はどのように用いられるのかなどを見学するだけでも、教会の礼拝に出席する価値は十分にあると思います。
 わたしたちの教会(日本聖公会)では、『祈祷書』という祈りの本、聖公会の『聖歌集』、それに『聖書』(通常は、『聖書-新共同訳-続編付』あるいは『聖書-聖書協会共同訳-続編付き』いずれも日本聖書協会発行)を用いています。教会備え付けもあります。
 主日(日曜日)の礼拝では、普通、礼拝の中で献金をします。神さまへの応答のしるしですので、額の定めはありません。
 おいでになって分からないこと等がありましたら、遠慮なく周りの人にお声をかけてください。
 
 『聖書』は一般書店でも販売されていますが、『聖書』、『祈祷書』、『聖歌集』ともに取り次いでお取り寄せ致します。
posted by 聖ルカ住人 at 16:36| Comment(0) | Q & A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする