2022年03月06日

εξοδοs エクソドス

εξοδοエクソドス

 εξοδοs エクソドスという言葉そのものが、日本語訳の聖書の中に載っているわけではありません。その意味で、今回の「聖書のキーワード」は、いつもとはちょっと違った切り口からの採り上げ方をしていると言えるでしょう。

 先ず、この言葉が用いられている箇所を拾い上げてみます。

「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの脱出について語り、(ヘブライ11:22)」。

「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた(ルカ9:31)」。

「自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように、(Ⅱペトロ1:15)」。

 以上3箇所のそれぞれどの訳語が、εξοδοs エクソドス であるか、推測できますか。その答は上から「脱出」、「最期」、「世を去った」です。

 εξοδοs は、εκ(外に)という接頭語とοδοs(道)という言葉から成り、「出て行くこと」、「出発」、そしてこの世から出て行くという意味で「最期」、「死」の意味が含まれています。

 ヘブル語で記された旧約聖書のギリシャ語訳で、「出エジプト記」のことをεξοδοsエクソドス と言います。このような用い方から、この言葉のニュアンスが感じ取れるかと思います。

英語でExodus は「出エジプト記」の意味、また、the Exodus でイスラエルの民のエジプト脱出の意味、exodus は「大勢の人の外出」や「移民などの出国」を意味する一般名詞として用いられているようです。

聖書のキーワードとして興味深いのは、上記のルカによる福音書9:31での用法です。いわゆる主イエスの変容貌の物語の中で、白く目映く輝いたイエスがモーセとエリヤと話し合っていた内容が、「イエスがエルサレムで遂げようとするεξοδοs について」であったことです。このεξοδοs は、十字架の死の意味でしょうか、死からのエクソドスという意味で「復活」のまでを意味するのでしょうか、この世からのエクソドスという意味で「昇天」までを言っているのでしょうか。

いずれにしても、この言葉は、イエスによる神の御心に成就を意味する興味深い言葉であり、私たちはイエスのエクソドスによって贖われ、私たちも日々古い人間に死んで新しい人間に生まれ変わって救いの中に生かされています。その意味で、私はエクソドスは新生をも意味しているように思えるのですが、いかがでしょうか。

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2021年07月26日

57.食事する (ανακειμαι アナケイマイ)

食事する (ανακειμαι アナケイマイ)

 私たちの文化の中で、食事をすることと横たわることは結びつきにくいと思いますが、「食事をする」という言葉の元々の意味は、「横たわる」、「もたれかかる」です。。

 聖書の中に、イエスが食事をする場面がいくつかあります。その代表的な場面は「最後の晩餐」であると言えるでしょう。 「最後の晩餐」の場面を思い描くためにも、ぜひこのキーワード「横たわる」について理解しておきたいのです。

 レオナルドダビンチの名画「最後の晩餐」を参考にしながら考えたいと思うのですが、ダビンチの描いた「最後の晩餐」は、イエスの生きた時代ではなくダビンチの生きた15世紀後半の時代の様子が色濃く出ていて、あの絵から「横たわる」を理解するのは難しいことなのです。

 イエスと弟子たちが最後の食事をする場面の記事はどの福音書にも記されています。ヨハネ13:23には、「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。」とありますが、実はこの弟子はイエスの胸元にもたれるような姿勢を取っているのです。この弟子に限らず他の弟子たちもみな低い長椅子か床に左肘をついて体を横に投げ出している姿勢を想像してください。これがイエスの時代の「食事をする」姿勢であり、「横たわる」が「食事をする」になります。聖書の中では、このανακειμαιという動詞は、すべて「食事をする」の意味で用いられているのです。

 マルコ14:18では「一同が席について食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人でわたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」も同じ場面での出来事です。ここで、ダビンチの絵に影響されて現代の西洋式椅子と食卓を連想しては、最後の晩餐の情景は聖書が描写する様子からずれてしまいます。

 マタイ26:7の場面を想像してみてください。「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席についておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。」

 イエスが左肘をついて横になっており、女はそのイエスに香油を注ぎかけたのです。女は身をかがめ膝をついて石膏の壺を傾けています。そして、この女の人は、その壺を置いてイエスの髪を、おそらくこの女の長い髪の毛で、拭ったのではないでしょうか。

 ヨハネ12:2では「ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。」という記述がありますが、ここは直訳すれば「イエスの胸にもたれかかっていた。」であり、上述のヨハネ13:23でのイエスに愛されている弟子の描写と共に、イエスに受け容れられている者の光栄の姿を見ることができるのです。

 「横たわる、食事をする」がこのような性質の言葉であり、この言葉を名詞的用法にして「横たわる者」になり「食事の席に着く者」の意味で用いられるようになり、「客」と訳されるようにもなります。

 「婚礼の礼服(マタイ22:10,11)」、「洗礼者ヨハネの殺害(マルコ6:26)」などの箇所にこの言葉がありますので、実際に聖書を開いて確かめてみてください。また、ヨハネ6:11では「5千人の給食」の中で「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。」という文章にもこの言葉が用いられています。

 その当時は、脚のあるテーブルと椅子で食事をしているのではないことを理解しておきましょう。

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2021年07月21日

56.40 τεσσερακοντα (テッセラコンタ)

40 τεσσερακοντα (テッセラコンタ)

 聖書に出てくる「40」という数を取り上げましょう。

 私の神学院入学試験の時、「聖書」の小問に「聖書に記されている40に関する出来事や物語を5つ挙げなさい」という問題がありました。私は、「荒れ野の40日:イエスが断食してサタンの誘惑を退けるに至る期間(マタイ4:2他)」、「40年:イスラエルの民がエジプトを脱出して荒れ野を放浪した期間((出エジ24:18,34:28,申命9:9)」まではスラスラと記して鉛筆が止ってしまい、「さて、あと何が・・・」。いざとなると急に浮かばなくなり、「約40年:エレミヤの宣教期間」と書き、「40に一つ足りない鞭:パウロがユダヤ人に鞭打たれた経験を記している数(Ⅱコリント11:24)。」を書こうかどうか迷った末に、なぜか「苦し紛れにこんなことまで書くか!」と思われそうな気がして、それは書きませんでした。

 上記の前者二つの他に挙げてみると、「旧約聖書」ではノアの箱舟物語の降雨期間(創世7:10、7:17,8:6)、モーセが十戒を受けるときにシナイ山中にいた期間(出エジ24:18)、エリヤがホレブに逃走する期間(列王上19:8)などの箇所がありますし、新約聖書ではイエスの復活から昇天までの日数(使徒1:3)が挙げられます。

 このように聖書の中の「40」という数に注目してみると、この数字にはある象徴的な意味が含まれているように思えてきませんか?

 象徴的な意味のひとつは「徹底」です。イエスは宣教の始めにあたり40日40夜を断食して過ごしますが、その期間を通して悪魔の誘惑を退けています。マタイ、マルコ、ルカの3福音書ともこの時の「荒れ野のイエス」について「40日間」を明記しています。また、旧約聖書ノアの洪水の降雨期間についても、神はこの世の悪と罪を徹底して否定しておられることがこの数字によって表現されています。このことは徹底であることに加えて、出エジプトの放浪の40年なども合わせて考えると、「うんざりするほどの期間」という意味がこめられているように思えます。

 もう一つ、「40」には「転換期」という意味があるのではないでしょうか。ノアの箱舟物語で神が洪水によって新しい世界をもたらそうとした降雨の期間、奴隷とされていたイスラエル民族が約束の地に入っていくまでの放浪の期間、主イエスがこれまでの血縁家族の生活から公生涯へと移っていくために断食して備えた日数、地上での生涯を終えたイエスが昇天してユダヤに限らず世界を支配する救い主になっていく期間などを考えると、「40」の持つ転換期としての意味が見えてきますし、これらの「40」の後、場面は次のステージに入っていきます。

 このように「40」は聖書の中で特別な意味をこめて用いられる数です。

 神学院入試の時、もし私が[パウロが受けた40にひとつ足りない鞭打ちの数]と解答していたら、それは得点になったでしょうか。想像するに、その答案を見た某先生はニヤリとして○でも×でもない△を付けたのではないかと思います。

 聖書の中では40の他に、7、8、12などにも特別な意味がこめられています。拾い出してどんな意味があるか考えてみてはいかがでしょう。

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2021年07月20日

55.アンティオキア Αντιοχεια

アンティオキア Αντιοχεια

 今回も都市名をとりあげます。日本語訳の聖書では「新共同訳」でも「聖書協会共同訳」でも表題のとおり「アンティオキア」ですが、1954年訳の聖書では「アンテオケ」でしたので、その言い方に馴染みの人も多いことでしょう。アンティオキアは、使徒たちの働きによってクリスチャンが世界に拡大していく上で、とても大切な場所になりました。

 アンティオキアは、ローマ時代にはシリア地方の中心地となり帝国第3位の都市として発展しました。この都市の名は使徒言行録11:19、13:1等に出てきます。

 ことにルカによる福音書と使徒言行録では、イエス・キリストの福音はイエスの十字架の死と復活の波紋がエルサレムから広がるように世界に拡大していきましたが、このことは先月号のこのコーナー「エルサレム」に記したとおりです。

 しかし、その波紋の拡大は、決して順調なものではありませんでした。ことにエルサレムでは、イエスをキリスト(救い主)であると告白する人々の中でも異邦人に対するユダヤ教徒の迫害が強く、ステファノの殉教をきっかけにしてその迫害は激しくなり(使徒8章)、異邦人キリスト者はエルサレムから逃れて各地に散っていきました。この出来事が「福音の波紋」の広がりとなる大きなきっかけになるのです。散らされた人々の行き先は、ユダヤとサマリアの地方(使徒8:1)から更にフェニキア、キプロス、アンティオキア等に及びます(使徒11:19)。特にアンティオキアではユダヤ人たちに対してヘブライ語を話す人々に福音が伝えられただけでなく、異邦人に対してもギリシャ語で福音が宣べ伝えられました。ことにこのアンティオキアでは「主の御手が共にあったので、信じて主に立ち帰る者の数は多かった(使徒11:21)。」と伝えています。

 この知らせがエルサレムにいる使徒たちに届き、エルサレムにいる使徒たちはアンティオキアにバルナバを遣わして励ましを与えることにしました。アンティオキアに来たバルナバは、多くの人に励ましを与え更に主イエスを救い主とする信仰へと導かれます。更にバルナバはそこからさほど遠くないタルソスに身を引いていたサウロ(後のパウロ)を訪ねて一緒にアンティオキアに戻り、バルナバはパウロと一緒に丸一年の間ここで大勢の人を教え導いたのでした。やがてバルナバとパウロはこのアンティオキアから宣教旅行に出発することになります。

 このように、アンティオキアはキリスト教が異邦人世界に広がっていく上での大切な拠点になったのです。

 イエスを救い主と信じて告白する者の集まりをエクレーシアと呼びそれが日本語で「教会」と訳されるのですが、エクレーシアを構成する信徒が「クリスチャン(キリスト者)」と呼ばれるようになったのもこのアンティオキアの教会から始まっています(使徒11:26)。

 なお、アンティオキアという名は、もう一つ同名別所の「ピシディア州のアンティオキア(使徒13:14)」という都市があります。ここは、バルナバとパウロが第1回の宣教旅行のときにこの地のユダヤ人会堂を訪ねています。

 聖書の巻末には聖書世界に関する地図が載っているものが多いです。アンティオキア、タルソスなどの場所を是非確認してみて下さい。

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2021年07月16日

54.エルサレム Ιεροσολυμα

エルサレム  Ιεροσολυμα


 先回はエリコを取り上げました。そうであればエルサレムを取り上げないわけにはいきません。ただし、あくまでも「聖書のキーワード」としてのエルサレムに限定します。そうでないと、1冊の本程度の説明をしなければなりません。ギリシャ語のエルサレムの綴りは、タイトルの他にΙερουσαλημ としている箇所もあります。

 旧約聖書以前の時代では、紀元前3000年頃、城壁に囲まれた面積3haほどの居住地跡があり、これがエルサレムと起源とされ、その地名は古代エジプトの「アマルナ粘土板文書」などの記録に見られるとのことです。

 旧約聖書では、起源前1020年の頃にサウルを初代の王としてイスラエル王国になりますが、その第2代国王ダビデによってエルサレムが都に定められました(サムエル下5:6-)。

 神は、軍人であったダビデに神殿の建設を許しませんでしたが、その子ソロモン王によって最初のエルサレム神殿が建設され、ソロモンの時代に王国は栄華を極めたと言われています。しかし、ソロモンの死後紀元前922年に王国は南ユダ国と北イスラエル国に分裂し、エルサレムは南ユダ王国の都になりました。

 北イスラエル国は紀元前722年にアッシリア王国によって滅び、南ユダ国も紀元前597年にバビロニアの支配下に入り、ネブカドネツァル2世によってエルサレムの住民3000人程がバビロンに捕虜として連行され、更に紀元前586年にユダ国も完全に滅ぼされてしまいます。この時にエルサレム神殿は破壊され、多くの住民はバビロンへと連行されています。この捕虜連行が「バビロン捕囚」です。

 しかし、バビロニア王国はその後半世紀足らずでペルシャに滅ぼされ、ペルシャ王キュロスはイスラエルの民の故郷への帰還を認めました。そして、イスラエルの民の悲願であったエルサレム神殿再建は、第2神殿として紀元前515年に成し遂げられています。その後イスラエルはセレウコス朝シリアの支配を受けたりしますが、紀元前140年頃にはユダヤ人がハスモン朝を建てて一時的に独立します。しかしローマ帝国の勢力が強まり、紀元前37年にはローマの宗主権のもと、ヘロデ大王によってヘロデ朝が創始され、イスラエルはローマの支配下におかれました。ヘロデは第二神殿をほぼ完全に改築し、この神殿はヘロデ神殿とも呼ばれるようになります。

 ローマの支配下、州都はカイサリアに置かれますが、エルサレムとその神殿はユダヤ教の中心となり続け、紀元30年頃にイエスが十字架刑に処せられたのもエルサレムでした。

 紀元66年にはユダヤ戦争が起こり、イスラエルの民はローマに抵抗したものの、紀元70年にエルサレムは占領され、神殿も破壊され、イスラエルは国を失うことになってしまいます。

 イスラエルの民は、エルサレムを追われ、離散を強いられ、ユダヤ教徒にとっての一致の拠り所はエルサレム神殿での礼拝祭儀から、どこにいても律法によって結束を図ることへとシフトしていくのです。

 キリスト者にとって、特にルカによる福音書や使徒言行録によれば、イエス・キリストの福音はエルサレムから波紋が広がるように拡大し、地上のエルサレムは信仰的に重要な意味はなくなっていきます。キリスト者たちは終末的な希望をもって、永遠の住まいを「天のエルサレム(ガラテヤ4:26)」、「新しいエルサレム(黙示3:12)」と表現するようになるのです。

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2021年07月14日

53.エリコ ( Ιεριχω イェリコ )

エリコ ( Ιεριχω イェリコ)

 都市名エリコを取り上げようと思い、下調べをしてみると、聖書考古学の詳しい知識がないととても「エリコ」について語ることなどできないと思い知りました。

 中東からヨーロッパにかけて、古い街には、その歴史の中で「崩され、建て直され」を幾度も重ねて、それが地層をなしている例が多くあります。街の場所が元の場所から移動している場合も少なくありません。『小型版新共同訳聖書辞典』(キリスト新聞社)には、エリコは、「古址は新石器時代(前7000年頃)から後期青銅器時代(前1200年頃)の十八の文化層を含み(深度20m)、断続的な興亡の跡を示している。」と記しています。

 エリコに限らず古代の都市造りは、周囲の石垣を築くことに始まると言っても良いでしょう。その石垣(城壁)の中が街であり、その石垣(城壁)は住まいや倉庫になっている例(ヨシュア2章)もあります。そして、その街を出入りするための門が設けられます。その門の前には広場を作り、そこで町の会議、裁判や集会などが持たれたようです。

 エリコは、そのような街の中でも「世界最古の街」、「オリエント最古の街」などと言われ、聖書の世界でも重要な都市です。この街は死海に注ぐヨルダン川河口から北西約15kmにあり、標高は海抜-250mの低地にあり、世界で最も低い所にある町と言われています。

 旧約聖書では、ヨシュア記にエリコが出てきます。エジプトを脱出したイスラエルの民が、40年にわたる放浪の末に約束の地カナンに入ったとき、ヨルダン川を渡って最初に占領したのがこのエリコでした。ヨシュアが率いるイスラエルの民(兵)がエリコの周りを6日間にわたって静かに行進し、7日目に7周してから鬨の声を上げると、エリコの城壁が崩れ去り、イスラエルはエリコを征服しています(ヨシュア6章)。この場面は「Joshua fit the battle of Jericho ジェリコの戦い」という黒人霊歌の題材になっています。

 この箇所については、ヘブライ人への手紙(11:30-)の中にも触れられており、信仰について考える上で大切なこととして考えられていたことが窺われます。

 エリヤ、エリシャの時代にはエリコの辺りに預言者養成の場があったようです(列王下2:15-)。

 新約聖書の時代には、エリコはエルサレムに向かう人が、このエリコで一泊して翌日に直線距離で30㎞ほどにあるエルサレムに上っていきました。エルサレムは標高800mの台地にあり、エリコとの標高差は1000m以上あるわけです。

 ザアカイはこのエリコの町の徴税人頭であり、町の門に収税所を設けて、手下になる者を使って通行税などを取っていたのでしょう(ルカ19:1-)。また、町を出入りする人は、門を通らねばならず、門の辺りはそこを通行する人に物乞いをする人々も集まっていたようです。マルコによる福音書第10章46節~には、盲人バルティマイが、エルサレムに向かう門の辺りで物乞いをしており、近づいてきたのがイエスの一行だと分ると、イエスに向かって憐れみを求めて叫んだ記事があり、この話は内容の違いこそあれ、マタイ20:29-、ルカ18:25-にも載っています。

 イエスの例え話「善いサマリア人」(ルカ10:25-)は、「ある人が、エルサレムからエリコへ下っていく途中」という場面設定で始まっています。例え話の設定は都詣での帰り道或いは商売の帰途なのでしょうか。エルサレムとエリコを結ぶ街道とはいえ、当時はさほど人通りもなく、いかにも強盗の出没しそうな道だという一文を読んだ記憶があります。

 エリコがこのような町であることを思いながら聖書を読むと、その光景がより鮮明に浮かび上がってくるのではないでしょうか。

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2021年07月13日

52. ぶどう園 αμπερων(アムペローン)

ぶどう園 αμπερων(アムペローン)

 パレスチナは、ぶどう、オリーブ、イチジクなどの栽培に適する気候で、特にぶどうはそのまま食べるだけでなく、干しぶどう、ぶどう酒にするためにも盛んに栽培されていました。

 旧約聖書にも、イザヤ書第5章をはじめぶどう園(畑)の話は多くの箇所に出てきます。それも、実際のぶどう園に関する話もあれば、例えに用いられている箇所も数多くあります。イエスも生活に身近な「ぶどう園」を用いて例え話をしておられます。

 ぶどう園を作ることや管理することは極めて尊いことであり、イエスはぶどう園を「天の国」の例えに用いています。

 共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)には共通の「ぶどう園と農夫(後継ぎ)」の例え(マタイ21:33~他)がありますが、マタイによる福音書にはその他にもイエスがぶどう園を例えにした話があります。それは、「ぶどう園の労働者(夕方5時から働いた者も同じ1デナリ)マタ20:1-」と「二人の息子(嫌ですと答え後から考え直してぶどう園に行った)マタ21:28-」の二つで、マタイはイエスの教えの中でもぶどう園の例えで「天の国」を伝える思いが強いのでしょう。

 新約聖書の中には、「ぶどう園」という語が11カ所あると記した文献もありました。ちなみに「ぶどう畑」は旧約新約合わせて14カ所だということです。

 話を「ぶどう園」から「ぶどう」にまで広げてみましょう。ぶどう園がαμπερων(アムペローン)で、ぶどうの木はαμπεροs(アムペロス)です。ぶどう園とぶどうの木は非常に近い言葉であることが分かります。

 聖書が示す「ぶどう」は、しばしば「イエスとイエスに連なる人々」を象徴しています。私は「ぶどう」という言葉から「果実」を思い起こしますが、イエスが「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。(ヨハネ15:5)」と言っているように、αμπεροsという言葉はぶどうの幹や枝全体を意味しているようです。

 ぶどうを収穫してその実を搾りそのまま置いておくだけで、その搾り汁は自然に発酵してぶどう酒 οινοsになります。昔の人はぶどう液に「霊」が降りることで酒になり、酔うことはその「霊」が働くことと考えました。イエスが「古い革袋には古いぶどう酒を、新しい革袋には新しいぶどう酒を」と言っておられますが、まだ発酵中のぶどう酒を古い革袋に入れておくと、ぶどう酒が発酵する時に出るガスで革袋が破裂してしまうことがあり、そのことを例えに用いて、イエスの福音(新しいぶどう酒)は古いユダヤ教の慣習(古い革袋)の中に収まるものではないことを語っておられるのです。

 日本のように綺麗で飲用に適した自然水の少ないパレスチナでは、ぶどうの搾り汁が飲料としても健康維持に有効であるという認識があったのかもしれません。

 聖書の中に次のような記述もあります。

「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい(Ⅰテモテ5:23)。」このような言葉があるのも興味深いことです。あくまでも「少し用いなさい。」ですよ!(笑)


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2021年07月10日

51.異邦人 (εθνοs エスノス)

異邦人 (εθνοs エスノス)

 国語辞典(『広辞苑』)には、「異邦人」は、「①外国人。異国人。②〔宗〕ユダヤ人が神の選民であるという誇りから他民族・他国民を区別して呼んだ言葉。」と記されています。

 新約聖書の中では、εθνοs(民族、国民、異教徒、異邦人、異邦のキリスト者の意味で用いられています) や εθνικοs(異邦人の意味) という言葉が「異邦人」と訳されています。近年「異国風」という意味で用いられている「エスニック料理」の「ethnic」も同じ語源の言葉です。

 聖書の世界での「異邦人」は、先の国語辞典の②の意味で用いられており、「異邦人」とはイスラエル人が「非イスラエル人」のことを意味して用いている言葉です。

 イスラエル民族は自らを「神に選ばれた民」とする自負がありました。この「異邦人」という言葉自体には差別的な意味はありませんが、選民思想をもつイスラエルの民が律法を遵守し割礼を徴として異邦人との違いを認識して一致を図ろうとすれば、この言葉に差別的な響きがついて回ったように思われます。

 旧約聖書の考えは、ユダヤの地に寄留する異邦人を認め、異邦人がユダヤ教に改宗することも受け容れ、決して排他的であったり差別的であったわけではありません。

 イエス誕生から40日経て聖家族が神殿に詣でた時、シメオンは幼子イエスを抱いて「異邦人を照らす啓示の光」と、イエスが民族を越える救い主であることを讃えました。

 イエスの働きはガリラヤに始まりエルサレムで十字架に死ぬことになりますが、その生涯で、イエスは幾人かの救いを求める異邦人の信仰を認めて彼らを祝福しています。

 イエスが昇天した後、使徒たちによる福音宣教は異邦人世界に広がっていきますが、使徒たちの中でも、福音宣教は異邦人にも及ぶのかということが大きな課題になりました。

 使徒言行録第10章以下には、福音が異邦人にも広がっていく転機の出来事が記されています。イタリア隊の百人隊長であるコルネリウスは異邦人でありながらイエスを救い主として受け容れますが、使徒たちの間でコルネリウスのような異邦人家族に洗礼を授け信徒の群れに迎え入れることは相応しいかということが問題になりました。この時、ペトロは「神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。(使徒10:28)」と異邦人を受け容れるよう主張しました。

 また、異邦人改宗者もユダヤ教の慣例に従って割礼を受けなければキリスト者にはなれないのかということが大きな課題となりました(同15章)。そこでエルサレムで使徒会議が開かれ、異邦人に割礼を施す必要はないということになり、ここに異邦人への宣教が大きく開かれていきます。そして、パウロは異邦人への宣教に尽くします。

 パウロは「わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。(使徒11:13)」と言っていますが、イエスがイスラエル民族を超えて全ての人の救い主であるという福音は、パウロをはじめ使徒たちによって世界に広がっていくのです。

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2021年07月06日

50.霊力( στοιχειον  ストイケイオン )

霊力( στοιχειον  ストイケイオン )


 私が神学院一年生の時、宣教論の授業の時だったように記憶しいていますが、担当の先生が黒板にこの στοιχεια という文字を書いて、授業が始まりました。

 この言葉は、聖書では、例えば以下のように使われています。

 ガラテヤ書4:3に「わたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。」、また、コロサイ書2:20では「あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、」とあります。

 この言葉は、他の翻訳では「霊力」と訳されていましたが、担当の先生は、「諸霊」、「霊力」では意味が分かり難いけれど、これは「全体をつくりあげるための部分、つまり構成要素のこと」であると説明しながら授業は進んでいきました。

 ペトロ書Ⅱ3:10、12等には「その日、天は激しい音を立てながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に溶け尽くし」という用い方もあります。

 初めに神は天地を創造なさり、その神によって全てのものが創られ、神によって創られたもの一つひとつはこの被造世界の構成要素στοιχειαに過ぎません。しかし、人間はいつの間にか「木を見て森を見ず」という状態になって、部分に過ぎない物事に呪縛されやすいものです。

 かつてイスラエルの民は、エジプトを脱出して荒れ野の放浪が始まると、見えない神に頼るよりも目に見える身近な物に心を奪われて、心を引かれ、この世の構成要素に過ぎない物に心を奪われて、金の小牛を創り出して崇拝することにもなるのです。

 また、パウロは(Ⅰコリント12:27)「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」と言っています。それなのに私たちはその体を構成する部分に捕らわれて、全体が見えなくなり、それが全てであるかのように信じてしまうこともあるのではないでしょうか。

 昔の人たちは、このような構成要素στοιχειαにも霊の力が働いていると考えていたのでしょう。聖書を翻訳するときに、ただ「構成要素」と無機質な言葉を用いると、このστοιχεια という言葉に含まれている力が消えてしまうと考えたのかもしれません。

 神の力は、人を部分的なこと(この世の構成要素)に捕らわれていることから解き放ち、本当のこと、永遠へと私たちの心を向けさせてくださるのです。

 このように考えてみると、このστοιχειαという言葉は、私たちが心を奪われやすい物は何か、どうすればそれに気づき、心奪われた状態から解放されるのかに迫る意味でも、大切な言葉、キーワードであると言えるでしょう。

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49.弱さ (ασθενεια アスセネイア )

弱さ (ασθενεια アスセネイア )

 「ασθενεια:弱さ」、「ασθενηs:弱い」は、α(否定、欠如、剥奪を意味する接頭語)+σθενοs(強さ)から成る言葉です。「弱さ」は、とりわけパウロにとって大切な言葉です。

 この言葉は、身体的な弱さの意味でも、精神的・霊的な弱さの意味でも用いられていますが、物的な貧しさ(貧困)や健康を害している姿(病気)を意味して用いられる場合もあります。

 回心する前のパウロは、熱心ファリサイ派の一員であり、血筋の上でも経歴の上でもその自分を誇りにしていたようです。しかし、パウロには「肉体のとげ」と表現する身体的な病があったようです。当時、病は身体的に神の願う姿を十全に表わしていないことと見なされ、先祖や本人が犯した罪の結果が身に現れ出ていることとも考えられました。パウロはその「肉体のとげ」が取り除かれるように幾度も祈ったようですが、そのパウロが神から受けたメッセージは、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。(Ⅱコリント12:9)」と言うことでした。

 おそらく、パウロの何ものにも屈しない宣教への熱心さと神の御前における謙虚さは、こうした経験に裏打ちされ、自分の中に宿る神によってもたらされる力に基づくという信仰があったのでしょう。

 パウロはこのように自分の弱さを受け容れることを通して、「だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)」と言い、様々な困難の中にあってもキリストのために満足できるのは、「私は、弱いときに強いからです。(コリントⅡ12:10)」と言っています。

 このような考え方が極まるところに「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです(ガラテヤ2:20)。」というパウロの言葉が発せられているように思われます。

 パウロが宣教した人々やまたそこから信仰を得た人々も、そのようなパウロに共感してのではないでしょうか。

 「あなたがたが召されたときのことを、考えてみなさい。・・・ 神は知恵ある者に恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。(コリントⅠ1:27-28)」と言って、キリスト者たちが「弱さ」の中にあることを自覚するように促しています。

 パウロはイエス・キリストについても「弱さ」という視点から説明しています。

 「キリストは弱さのゆえに十字架につけられました、神の力によって生きておられるのです。私たちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては神の力によってキリストと共に生きています。(Ⅱコリント13:4)」

 神の御心に従って十字架に向かうイエスの中にこの世での「弱さ」しか見ないとしたら、パウロを理解するのは難しいことになるでしょう。また、「強さ」を考えるときに、武力や財力に依存した力しか思い起こせない人にもパウロを理解することはできないでしょう。逆にパウロのいう「弱さ」を理解することを通して、イエス・キリストの十字架の意味も見えてくるのではいでしょうか。

posted by 聖ルカ住人 at 04:52| Comment(0) | 聖書のキーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする