2024年08月26日

命のパンイエス(ヨハネによる福音書6:60-69 B年特定16) 

命のパンイエス(ヨハネ6:6069 B年特定16) 2024.08.25


 今年の、聖餐式聖書日課はB年であり、ちょうどこの時期(特定1316)の主日には、ヨハネによる福音書第6章からの箇所が採用されています。

 振り返ってみれば、特定12の主日では、マルコによる福音書から主イエスが僅か5つのパンと2匹の魚で五千人を養った物語を与えられ、その後の特定13から特定18の主日まで4週にわたり、ヨハネによる福音書から主イエスのパンの奇跡にはどのような意味が込められていたのか、またこの奇跡をきっかけにどのような出来事が展開したのかをヨハネによる福音書第6章から詳しく学ぶという構成になっていると言えます。

 主イエスが僅かなパンで大勢の人を養ったこの奇跡を目の当たりにした人々は、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である]と言いました。また人々の中にはこのようなイエスを王にしようとする人も現れてきました。

 しかし、主イエスはこの奇跡の後に、ご自身が命のパンであり「このパンを食べるものは永遠に生きる」ということをお話しになり始めると、この奇跡に感激した人々の多くが、主イエスの話を理解せず、ただ自分たちの期待を主イエスに寄せていた姿が明らかになってくるのです。そして、群衆のその無理解は、主イエスさまとの間に大きな分裂をもたらすようになったのです。

 その様子について、ヨハネによる福音書第6章52節では、ユダヤ人たちは「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めるようになり、更には、今日の聖書日課福音書の冒頭にあるとおり、今まで主イエスを信じてその信仰を表明していたはずの弟子たちまで、「これはひどい話だ。誰が、こんなことを聞いていられようか(6:60)」と言う程になってきています。

 このような流れの中で、主イエスは、イエスに従う者たちに「あなたがたはこのことにつまずくのか(6:61)」、また十二弟子に「あなたがたも離れていきたいか:新共同訳(あなたがたも去ろうとするのか:教会共同訳)(6;67)」と言っておられます。

 この福音記者ヨハネは、紀元30年頃のイエスとそれから半世紀ほど経ってこの福音書を編集した時代の状況を重ね合わせてこの福音書を記したと考えれています。

 それは、主イエスに期待をかけた人々がイエスから離れていく様子とクリスチャンたちがイスラエルやローマ社会から次第に拒否されるようになり使徒たちが迫害されるようになった様子が重ね合わせになっており、その状況の中で主イエスの言葉に心を向けることを福音記者ヨハネはこのみ言葉を受ける者に求めていると言えます。

 初代のキリスト者たちが迫害されるようになった理由は幾つか考えられていますが、ここでは今日の聖書日課福音書に関連する一つの理由に絞って考えてみたいと思います。

 それは、主イエスがご自身を「命のパンである」と言っておられることとの関連のことです。当時のイスラエルの民(特に権力者たち)にとって、イエスが命のパンであるということは受け容れ難いことだったと思われます。

 イスラエルの民がパンを裂いて分け合うのは毎年の過越祭の時です。イスラエルの民は主イエスの時代より1300年ほど前の頃、エジプトの国で奴隷となっていました。そのイスラエルの民は奇跡的に、主なる神の助けと導きによって、エジプトから脱け出し紅海を渡りきることができました。イスラエルの民は出エジプトの出来事を覚えて、過越祭を祝い、この時にパン種(酵母)の入っていないパンを食べて先祖の出エジプトを思い、民族として神に選ばれ生かされていることを確認していました。過越祭はこのようにイスラエル民族が自分のアイデンティティを確認する祭であり、イスラエルの民にとって最も大切な祭であり、この祭の日にそれぞれの家族や仲間で酵母を入れない粗末なパンを焼き、分け合って祝うことは民族の大切な行事だったのです。

 しかし、主イエスを救い主と信じる人々は、主イエスが最後の晩餐として残した聖餐を行い受け継いでいます。聖餐式は、過越しのパン裂きの式と同じ形をとりながら、その内実は主イエスの体を分け合い、主イエスの血にあずかる礼拝です。キリスト者は主イエスの残したこの礼拝式を大切にしています。ユダヤ教徒たちは初めの内はクリスチャンのことをユダヤ教の一派と認識していましたが、キリスト者は次第にユダヤ教から異端と見なされ、各地のユダヤ教の会堂からも追放されるようになっていくのです。キリスト者が過越祭の儀式のようにパンを裂いて分け合いながら、その内実は過越の食事そのものではなく主イエスを記念してその交わりにあずかる礼拝を行っているというのであれば、イスラエルの指導者たちはキリスト者が異邦人も含めて行っている聖餐式をユダヤ教の礼拝として認めることはできず、ユダヤ教徒がキリスト者をユダヤ教の会堂から追放することになった一つの理由もそこにあったものと考えられます。

 この点一つをとってみても、神の愛と赦しは民族の枠を超えてすべての人々に及んでいることを説いたイエスを救い主と信じる人々の群れが、当時の状況の中で、ユダヤ民族の選びと救いを説くユダヤ教から異端視されていった経緯に思いを馳せることができるでしょう。

 初代のクリスチャンが「主イエスは命のパンである、また、このパンを食べるものは永遠に生きる」と言ってイエスの体であるパンを裂いて分け合うことの真意が周囲の人々に理解されなかったたことは、今日の聖書日課福音書からも読み取れます。

 主イエスの話を聞いて、多くの弟子たちが言いました。

 「これはひどい話だ。誰が、こんな話を聞いていられよう(6:60)。」

 ここで「ひどい」と訳されている言葉に注目してみましょう。この言葉の原語は sκληροsスクレーロス という言葉で、英語の hard offensive に相当する意味があります。この箇所を訳し変えてみれば「これは厳しい言葉だ。誰が聞き入れられるだろう」となります。

 主イエスがマタイによる福音書の中でなさった例え話にもこの言葉が出てきます。主人から5タラントン、2タラントン、1タラントン預かった僕の話があります。その中で、1タラントン預かった僕はこう言うのです。

 「ご主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい方だと知っていましたので、(中略)あなたのタラントンを地の中に隠しておきました(マタイ25:24,25)。」

 この僕は主人のことを「私はあなたが厳しい方だと知っていた」と言い分けしていますが、この「厳しい」と訳されている言葉も、主人が威圧的だとか強制的だということではなく、その契約に厳格であるということです。

 弟子たちにとって、主イエスの言葉の厳しさとは、激しく、直ぐにはその真意を噛み砕いて理解することができないhardな言葉であるという意味なのです。イエスのみ言葉の厳しさは、自分の物的欲望を満たそうと思って主イエスに近づく者にとって、簡単に理解できるものではなかった、ということをこの「sκληροsスクレーロス」という言葉は意味しているのです。

 主イエスのパンと魚の奇跡は、沢山の人を驚かせ、沢山の群衆が主イエスを慕い求めて集まってきました。しかし、主イエスがこの徴の意味を説き、教え始めると、多くの人はその意味の深さを理解できずに離れ去っていきました。

 自分の要求がイエスによって満たされることを求めて集まる人にとって、主イエスの教えは厳しく、激しく響きます。そして、主イエスの御言葉は、人々を揺さぶり、その人の拠って立つものを問い返すことを促し、その人の心の内を露わします。

 振り返ってみれば、主イエスのみ言葉は、必ずしもいつも慰めと励ましに満ちているわけではなく、時には激しく厳しく働くのではないでしょうか。その厳しさや激しさに向き合わず、心を頑なにするとき、私たちは主イエスのみ言葉について「実にひどい話だ。聞いていられない」と言って、イエスに対して批判的になり、攻撃的になって、その厳しい言葉にさえ含まれている愛を見失うことになりかねないのです。

 今日の聖書日課福音書の中で、十二弟子は主イエスから「あなたがたも離れていきたいか」と問われています。その時、ペトロはこう答えています。 

 「主よ、私たちは誰のところへ行きましょうか。永遠の命の言葉を持っておられるのはあなたです。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています(6:68,69)。」

 このように応えて主イエスに従っていった弟子たちも、必ずしもいつも完璧な信仰を保っていたわけではありません。ペトロのこの言葉は、主イエスが十字架に挙げられ、天に昇った後に、主イエスの残された聖餐にあずかる時に弟子たち、使徒たち、そしてその後のキリスト者が、自分と主イエスの関係を確認する言葉として引き継がれてきた信仰告白の言葉であると言えます。

 「主よ、わたしたちはだれの所へ行きましょうか」と答えたペトロや弟子たちも、はじめから主イエスの御言葉に従い通すことが完全に出来たわけではありません。主イエスが捕らえられた時、弟子たちは主イエスを見捨てて逃げ、「あんな男の子のことは知らない」とまで言って、イエスを否定したこともありました。

 それでも、弟子たちは、主イエスによって示された愛と赦しの許で、真の命のパンを受け、主イエスの養いを受け、導かれ、主イエスこそ永遠の命に至るみちであることを確認し、立ち返り、その信仰を生きて、継承してきたのです。

 私たちも、真の命のパンである主イエスによって養われ、導かれ、永遠の命に至る道を歩んでいきましょう。

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2024年08月19日

キリストの肉と血 (特定15 ヨハネ6:53-59)

キリストの肉と血  (特定15 ヨハネ6:5359)   2024.08.18

 初めに、今日の聖書日課福音書の始めの部分をもう一度思い起こしましょう。

 「よくよく言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲まなければあなたがたの内に命はない、私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる(ヨハネ65354)。」

 主イエスが残し、主イエスから教会が受け継いできた大切な礼拝に「ユーカリスト(聖餐式)」があります。ユーカリストは直訳すれば「感謝」であり、私たちが行う聖餐式は、「感謝の祭儀」なのです。しかし、教会は初代からこのユーカリストが誤解され、またこの誤解によってクリスチャンは心ない人々から多くの誹謗中傷を受け、また迫害されてきた歴史があります。

 主イエスは、ご自身をしばしばパンに喩えて「私は命のパンである(6:48)」、「私が与えるパンは、世を生かすために与える私の肉である(6:51)」と言っておられます。今日の聖書日課福音書の個所は、主イエスのこれらの言葉の意味を理解できなかった人々が主イエスを非難し論争しようとする中での言葉であり、僅かなパンで大勢の人々を養った奇跡や主イエスを理解できずに批判する人々に対して、その意味を丁寧に説明する脈絡の中で語っておられる言葉です。

 初めに思い起こしたように、主イエスは「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。」と言っておられますが、ここで主イエスが言っておられる肉と血とは、私たちが生物としての生命を維持するために腹に収める食べ物のことでないことは明らかです。ところが、先ほども触れたとおり、主イエスが残してくださった感謝の礼拝であるユーカリスト(聖餐式)で、信仰者が主イエスの体と血を受けて感謝する行為について、「クリスチャンは人肉を分け合っている」とか「人の生き血を飲んでいる」という噂を立てられ、誹謗や中傷を受け、その誹謗や中傷はクリスチャンが迫害を受ける口実となっていったのです。

 主イエスが制定された感謝の礼拝で「食事を共にする」という事の意味を考えるとき、私はいつも思い出すことがあります。

 それは、もう大分前に観たテレビ番組の断片です。

 その番組は、いわゆる終戦記念日の特番であり、第2次世界大戦も末期に近づく頃のいわゆる神風特攻隊員について採り上げていました。第2次世界大戦下の日本では、戦局が悪くなってくると神風特攻隊が組織されました。特攻隊員が出撃する飛行機には相手国の軍艦までの片道分の燃料しか用意されず、その飛行機に多くの爆薬を積んで、隊員は決死の覚悟で出撃していきました。私は、ある年のいわゆる戦争特番の中で、特攻隊員が出撃する前夜の食事のことが採り上げられている場面に出会ったのです。

 出撃の指名された青年たちが出撃する前夜のこと、その隊員の夕食はいつもとは違う豪華なものになります。でも、誰もその食事に口につけようとはしませんでした。もう生きては戻れない事が確実な最後の食事は、その食事の内容がどんなに豪華であっても、それを喜んで食べようとする人など誰一人いません。その重苦しい食事の席に、明日出撃する独りの隊員の母親から手紙と一緒に僅か数個の団子が届けられました。その届け物を受けた隊員から食事の席を共にしている若い仲間の特攻隊員たちにその団子が分けられると、皆が涙にむせびながら嗚咽しながらその団子を食べたと言う場面に、私も涙が流れました。

 そして、私はこの話から聖餐式を連想したのでした。主イエスは、どのような思いでパンの奇跡をなさり、また聖餐式のはじめとなる最後の晩餐をなさったのだろうか、と。

 このような事例から考えてみると、私たちが食事をすることは、単に肉体を保つための力の元を体内に取り入れる行為なのではなく、共に食事をすることには極めて宗教的な深い意味合いが潜んでいることが分かります。先の例でも、人間が人間でなくなることを強制された若者が、それを強制する人からどれほど形式的には豪華な食べ物を与えられても少しも癒しにも励みにもならないけれど、ある隊員の母親が作った粗末な団子が我が子を思って止まない深い愛の徴となり、そこで分かち合われる団子は実の息子であるひとりの青年にとってだけでなく、同じように死を前にした仲間にとっても、言葉にならない深い感情に触れ、人間としての存在を呼び覚まさせてそれを共有する「命の糧」となるのです。

 私たちが「誰かと一緒に食べる、誰かと一緒に飲む」ということは、ただ腹が減っているからとか喉が渇いたからということですることではなく、共に食べたり飲んだりすることは、大地の恵みである動植物の命を共に分け合うことでもあり、一緒に食事をすることは、人生を互いに分かち合う事にもつながっているとも言えるでしょう。

 ヘンリー・ナウエン(H.J.M.Nouwen オランダ生まれのカトリックの神学者19321996)は、その著書『この杯が飲めますか?-Can You Drink the Cup ?- 』の中で、場を一つにして同じキリストの体と血をいただくことは、そこに集まる人々が「お互いに神の子としての一致を認め合うこと」と言っています。

 このような事を前提にして考えてみると、先に話した「クリスチャンは人肉を分け合っているとか生き血を飲んでいる」という誹謗中傷がいかに貧困な精神性から発しているかが分かりますし、また主イエスが残してくださったユーカリスト(感謝の礼拝、聖餐式)は、信じて集う私たちにとっていかに豊かな感謝と賛美の礼拝であるかが分かってくるのではないでしょうか。

 先ほどの事例の、特攻隊員の母親が息子のために送った手作りの団子が、それを受け取った一人の息子だけでなく、他の青年たちにも言葉を超える深い思いを与えたように、主イエスが十字架にお架かりになる前夜に弟子たちにお与えになったパンとブドウ酒は主イエスご自身の体となり血となって、それを受ける者を生かします。その意味で、主イエスの体と血はそれをいただくわたしたちにとって「聖なる糧」であると言えます。

 教会は、主イエスが残してくださったこのユーカリスト(感謝の礼拝)をまさに教会の命として引き継いできました。

 主イエスは、弟子たちとの最後の食事の中で、パンを取り「わたしの記念としてこれを行いなさい」と言われました。「記念する」とは、単に昔の生前のイエスを思い起こすことに留まらず、このユーカリストを行うところに時空を超えて主イエスがいてくださり、今ここで主イエスと交わることを意味しています。

 私たちが主イエスの体と血をいただくことは、主イエスによって赦され愛されている者として、私たちの人生を主イエスによって育んでいただき、私たちの内に主イエスに宿っていただくということです。そうすることによって私たちは主なる神によって生かされている自分を確認し、その感謝を確かにすることができるのです。そして、私たちは主イエスの命を受け、その力によって喜びも悲しみも全て他ならぬ自分に与えられた事としてしっかりと受け止め、感謝をもって正面から自分の人生を大切に生きていくことへ、自分の生きる課題に向き合っていくことを導かれるのです。その意味でも、私たちが毎主日こうして聖餐式によって養われ導かれることは、私たちが神から与えられた自分の命を大切に育てていくことと深くつながっています。

 神は、独り子主イエスをお与えくださり、主イエスはご自身の体と血をお与え下さるほどに私たちを愛し、支え、生かしてくださっています。その愛の徴をいただくとき、私たちは、自分に与えられたそれぞれの十字架を背負って歩むことができるようになるのです。

 今日の聖書日課福音書の中で、主イエスは「私肉を食べ、私の血を飲むものは永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる」ことを明言してくださいました。「永遠の命」とは単に肉体的な不老長寿を意味するのではなく、先にお話ししたように、私たちに与えられた人生を他に二つと無い大切なものとして神の前にしっかりと受け入れていただける命を意味しています。主イエスを通して与えられた神の愛のしるしが、私たちをしっかりと支えて生かしてくださり、最終的には神の御前に私たちの全てを何一つ欠けるところのないものとして神の御前に立たせて下さることを示しています。

 この感謝の祭であるユーカリスト(聖餐式)を通して私たち一人ひとりが神の愛の力をいただき、神の愛に育まれ、永遠の命への歩みを導かれていきましょう。

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2024年08月11日

命のパンイエス  ヨハネによる福音書第6章37-51(B年特定14)

命のパンイエス  ヨハネによる福音書第6章3751(B年特定14)  2024.08.11

 主イエスがお生まれになった時代より約千三百年前のこと、イスラエルの民は四百年以上に渡ってエジプトの地で奴隷になっていました。イスラエルの民は労働の苦しみに呻きました。そしてその呻きは主なる神に届き、神はイスラエルの民をエジプトから救い出す決心をなさいました。神はその指導者としてモーセを選び、モーセがリーダーとなってイスラエルの民をエジプトから連れ出すことができました。イスラエルの民はエジプトの大軍に追い回されながらも奇跡的に紅海を渡りきり、振り返ってみればエジプト軍は海の中に飲み込まれていたのでした。

 しかし、その後イスラエルの民が神が約束してくださったカナンの地に入っていくまでには、実に四十年の年月を費やすことになります。

 当時ラクダで旅をした商売人のキャラバンはエジプトからカナンの地まで2~3週間かかったと考えられています。イスラエルの民が四十年間もシナイ半島を彷徨ったことは、イスラエルの民にとってどんなに長い放浪生活の経験になったことでしょう。その四十年の放浪が終わりこれからカナンの地に入ろうとする前に、モーセはイスラエルの民を集め、イスラエルの民にもう一度これまでのイスラエルの歩みを思い起こさせ、これからの生活の基盤を確認するように促したのでした。モーセはとりわけ、主なる神と交わした約束、つまり十戒を中心とした契約の再確認を民全体に促し、その契約を更新させたのです。カナンの地には土着の異教の神々を祀る先住民がいます。これからカナンの地に定住すると、イスラエルの民の生活形態も変化するでしょう。それでも、イスラエルの民がこれまで荒れ野での生活を導いて下さり契約を結んだ神を唯一としてそこから離れることがないように、イスラエルの民はもう一度十戒を中心とした契約を確認する必要があったのです。

 申命記第8章2節にはこう記されています。

 「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわちご自分の戒めを守るかどうか知ろうとされた。」

 イスラエルの民が荒れ野の四十年を振り返ってみると、幾度も神の御心から離れてしまったことがありました。荒れ野の放浪生活が始まると、イスラエルの民は、モーセがシナイ山で神と契約を結んでいる間に、アロンに見える神を求めて、金の小牛の像を創り出してしまうような過ちを犯してしまいました。

 荒れ野の生活を通してイスラエルの民に明らかになってくるのは、たとえ自分を外から束縛する事柄から解き放たれたとしても(エジプトでの奴隷状態から解放されたとしても)、それだけでは本当に自由を得て生きているとは言えないということでした。エジプトからの解放によって自由を得るだけでは、それが直ぐに真の命を生きることにつながるわけではないことを心に留めねばなりません。私たちも、本当の自由を生きるということがいかに難しいことであるかを折に触れて味わっているのではないでしょうか。

 イスラエルの民は四十年に渡り荒れ野で放浪生活が続きます。定住の生活をして穀物や果物の収穫を上げることなどできません。そのようなイスラエルの民を導いて下さるのは神ご自身であり、天からマナを降らせ飢えを凌ぐことができるようにして下さいました。でもこうした生活が毎日続くと神がマナを与えてくださる恵みと神の思いを忘れ、不満を募らせるのです。

 そのようにしてまでも主なる神が敢えてイスラエルの民を荒れ野で40年にも渡って放浪の生活をさせのは、彼らが自分の心の内に何があるのか理解し、神の御心を求めて生きる民になるように訓練なさるためでした。

 このことを、申命記第83節で「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出る全ての言葉によって生きることを知らせるためであった」と言っています。人は口から入る食べ物によって生理的に命を保つだけでは本当に生きていることにはならず、主なる神の言葉によって魂を養い育むことによってこの世に命を与えられた意味と価値が消えないものとされることを聖書は教えています。

 「命」について考える時、私はよく思い出すことがあります。それは、私が神学生だったときに、同級生の高橋宏幸現主教がある先輩聖職に会うとその人が「よう、生きているかい?」と声をかけてくると言っていたことです。この「生きているかい」という言葉は、生物としての命があるという意味以上の深い意味が含まれています。ギリシャ語の「命」という言葉も、それと同じように、神によって生きることを意味づけられる「ζωη」という言葉と、生物としての生命を意味する「βιοs」(バイオテクノロジー、バイオリズム等の言葉に反映している)という言葉があります。

 人の命(ビオス)が生理的に安全に保たれることの必要性は、神ご自身がイスラエルの民にマンナを降らせたことで示しておられます。イスラエルの民が荒れ野を放浪する間、神ご自身が彼らをエジプトから導き出した責任を取って、神はイスラエルの民が生きていくのに必要なマナを降らせて守りの徴としましたが、それは、単にイスラエルの民の生理的な命(ビオス)を保つことだけを目的としたのではなく、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る言葉によって生きるようになるため」、つまり民の命(ゾーエー)を養うことを目的にしておられたのです。

 私たちも、神を知らず罪の奴隷であった時(つまり私たちが自分のゾーエーを知らず、意識できなかった時)に、神に召し出されて主イエスに出会いました。主なる神は一方的に私たちを選び召し出してくださいました。

そして、主なる神が旧約の民に荒れ野でマナを与えられたように、神は私たちに命のパンである主イエスを与えて下さったのです。主イエスは私たち信仰者にとって「命のパン」です。主イエスは、神の愛の徴であり、この世の荒れ野を生きる私たちの糧となり、私たちが主イエスと一つであることの徴となるのです。

 主イエスはヨハネによる福音書第648節でこう言っておられます。

 「私は命のパンである。Eγω eιµι ο aρtοs tηs ζωηs.(I am the bread of life.)」

 出エジプトの民は旅の間ずっとマナを与えられましたが、不信仰の故に神を試み、放浪の生活の間に犯した罪の故に、エジプトを脱出した者はヨシュアの他誰も約束の地を踏むことは出来ませんでした。

 でも、まことのパンである主イエスによって養われるものについて、主イエスは、第650節でこう言っておられます。

 「これ(イエス)は、天から降ってきたパンであり、これを食べる者は死なない。」更に51節で「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」

 初代のクリスチャンは、礼拝の中でこのみ言葉によってパンを裂いて分け合いました。私たちは、主イエスがかつてガリラヤの丘で語られたみ言葉を、復活した主イエスが今ここにいて自ら語ってくださる言葉として受け容れ、復活の主イエスが、今ここで、パンを裂いて分け与えてくださることを信じて、そのパンを受けるのです。そして、それぞれの働きのために派遣されていきます。

 主イエスは、命のパンそのものです。

 主イエスはユダヤの権力者たちにご自身の生命(ビオス)を奪われながらも、主なる神によって与えられる命(ゾーエー)が永遠であることを示し、主イエスによる罪の赦しを信じる私たちにも命(ゾーエー)を与えてくださることを約束してくださいました。

 私たちは、その信仰によって生かされ、命を与えられています。主イエスのみ言葉と御糧に養われ、生きたパンである主イエスによって命を与えられ養われていることを感謝して生かされ導かれています。

 主なる神の養いと導きを受けるためにも、毎主日の礼拝を共に大切にする者でありたいと思います。

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2024年08月04日

命のパンであるイエス  ヨハネによる福音書6:24-35 (B年 特定13)

命のパンであるイエス  ヨハネによる福音書6:24-35 (B年 特定13)  2024.08.04 

2024年8月4日 聖霊降臨後 第11主日 説教小野寺達司祭 (youtube.com)

 聖餐式聖書日課B年の福音書は、マルコによる福音書を中心に構成されていますが、マルコによる福音書は他の福音書に比べて短く、聖霊降臨後の期節にも特定141516の主日にはヨハネによる福音書から日課が与えられています。

 ヨハネによる福音書は、他の3福音書とは異なる構成で神の子イエスを伝えていますが、その特徴の一つはある出来事をきっかけにして(或いは題材にして)、それについての主イエスの教えが展開していることであり、ある聖書学者は「ヨハネによる福音書はどこを切っても同じ考えが顔を出す金太郎飴の構成である」と言いました。

 例えば、井戸端で水のことを取り上げながら命の水について、年をとった者が新たに生まれるということを取り上げながら永遠の命ということについて、パンのことを取り上げながら日毎の糧としてのパンから魂の養いとしてのパンについて、よい羊飼いと羊のことを取り上げながら救い主とその民について等々に見られるように、ヨハネによる福音書は救い主イエスについて他の3福音書とは違う採り上げ方をしているのです。

 今日の聖書日課福音書の個所では、主イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人を養った出来事を契機にして、主イエスこそ永遠の命を与える神の子救い主であることを教えている箇所です。

 多くの群衆は、主イエスが僅かなパンと魚で多くの人を養った姿を目の当たりにしました。その結果、群衆は更に主イエスの神の子としての新しいみ業(しるし)を期待して、主イエスを捜し、御許に集まってきます。その群衆の多くは、先にパンを与えられて満腹になることが出来たので、更に主イエスから受けること、与えられることを願ってイエスを追いかけてきたのです。

 そのように集まってくる人々をご覧になって、主イエスは言われました。  「あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ(ヨハネ6:26)」。

 ヨハネによる福音書では、主イエスが神の子として示した奇跡を「しるし」と呼んでいますが、主イエスは、イエスを追って集まってくる人々に向かって、あなたがたが私を捜し求めるのは、あのパンの奇跡をとおして主イエスを神の子と認めたからではなく、満腹したからであり、あなたがたはまた同じ事を私に求めているに過ぎないのだ、と言っておられるのです。

 群衆は、主イエスからパンを得て満腹し、また満腹させてくれることを求めて主イエスを捜し、着いてきます。それは、主イエスのなさることを幾度目撃しても、それを神の子救い主の働きとして理解するのでなく、物質的な満足を与えてくれる人、自分のお腹を満たしてくれる人を求めてしまう群衆の有様を指摘しておられると言えます。

 主イエスは、私たちの日毎の糧の大切さについても、貧しさの故に食べ物を得られない人々のことも、深く理解しておられます。

 しかし、今日の聖書日課福音書で主イエスが指摘することは、決して今から二千年前のガリラヤ湖畔やカファルナウム周辺の人々たちだけの課題ではなく、私たちも主イエスの指摘する同じ課題がいつも目の間にあることを自覚している必要があるのではないでしょうか。

 例えば、大きな自然災害に見舞われて住む場所や食べ物が奪われた時、私たちは小さなおにぎり一つをどれだけ有り難く嬉しく思えることでしょう。でも、もし私たちが、いつも目先のパンを求めるだけであれば、握り飯が10日も続けば飽きてスープが添えられることを求め、更にまたそれが10日続けばそれの小さな魚が添えられることを求め、そして、時が経てばいつの間にか有り余る食の中から自分の好む物をつまんで残りを痛みもなく捨ててしまう事へと向かいかねないのです。

 今日の旧約聖書日課には、神の恵みによって奇跡的にエジプトを抜け出し、追っ手のエジプト軍を逃れて海を渡りきった後のイスラエルの民の姿が描かれています。

 エジプトを脱出したイスラエルの民が奇跡的に海を渡り放浪の日々が始まると、直ぐに食料がなくなってしまいます。イスラエルの民はエジプトを脱出したことを喜んでいたのも束の間、イスラエルの民はパンと水のことでモーセとアロンに向かって不平不満を言い始めます。

 「我々はエジプトに留まっていた方がましだった。エジプトで肉鍋を囲んでいた方が良かった。モーセは我々を荒れ野で飢え死にさせるために荒れ野に連れ出したのか。」

 エジプトで奴隷の民が肉鍋を囲んだ事など実際にはなかったでしょう。神はこのような不平不満をお聞きになり、夕方にはウズラを与え、朝にはマナを降らせてイスラエルの民をお支えになり、イスラエルの民は飢えを凌ぐことが出来ました。主なる神がお与え下さったマナによる養いは、ただ単にイスラエルの民が荒れ野の飢えずに生活することだけを意図したことではありませんでした。イスラエルの民が荒れ野の生活に行き詰まった時、主なる神が人の思いや力を超えて養いながら、主なる神はイスラエルの民を訓練してその信仰を練り上げて、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということを教えるためでした。

 旧約聖書出エジプト記のこの物語の中の神も、今日の福音書の主イエスも、人に物を与えてそれで良しとするのではなく、かえって神は人を辛く厳しい状況に置いて訓練することを教えています。そして、主なる神は、私たちが神に対する信仰を土台として日々の生活を生きるように養い、導きつつ見守っておられます。

 エジプトを奇跡的に脱出したイスラエルの民は、主なる神がお示しになるカナンの地に入るまで実に40年を費やしました。これは主なる神のご計画であり、その中でイスラエルの民は自分たちが神の言葉によって生きる民であることを教えられたのでした。主なる神が荒れ野をさ迷うイスラエルの民に与えたマナは、単に肉体を維持するための食べ物ではなく、人は神の言葉によって生きることを教える教材であったと言えます。

 主イエスは、主イエスを求めて集まる人々に「あなたがたは私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と言い、更にそれに続けて「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもとどまって永遠の命にいたる食べ物のために働きなさい(6:27)」と言っておられます。

 群衆の多くは、主イエスに着いていけばパンを手に入れることが出来るし社会的にも高い地位に立って自分の思い通りに生きることもできとる考えたのでしょう。そして、主イエスを利用するだけ利用してこれ以上自分の思いを満たしてはくれないと思えば、主イエスの許からら離れ去っていった人たちもまた沢山いたのです。

 群衆の多くは、パンの奇跡にあずかっても、主イエスの本当の思いにまで目を向けることが出来ませんでした。

 私たちも主なる神さまから色々な恵みをいただきます。私たちは神の恵みにどのように応えるのでしょうか。私たちは自分の物欲や名誉欲を満たすためにますます主なる神を利用するのでしょうか。主イエスのしるしを見た多くの人が一度は主イエスに近づきながら、やがてこの世の富を得る機会を他に見つけると時代と共に主イエスから身を引いていった人たちは沢山いたのです。

 主イエスは今日の聖書日課福音書でこう言っておられます。

 「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ人の子があなたに与える食べ物である(6:27)。」

 弟子のペトロのことを思い起こしてみましょう。ガリラヤ湖の漁師であったペトロは主イエスによって大漁を与えられました。その時ペトロは自分の罪深さに気付き主イエスに従っていく事へと導かれました。その後も主イエスに叱られ、主イエスを裏切りながらも、ペトロは信仰を深められながら初代教会の霊的指導者になっていきました。それはペトロだけでなく、他の弟子たちについても、私たちについても言えることです。

 私たちも教会に招かれたきっかけはそれぞれに様々です。主イエスはそれらのことを通して私たちを朽ちることのない命へと招いてくださっています。私たちがキリスト者として生きるのは、ただ都合良さや便利さを分け合い味わうためではありません。私たちは主なる神の御言葉に養われ祈りの交わりの中で生かされ、本当のこと、正しい事へと歩み、主なる神との交わりを日々深めて生きるように招かれています。主イエスが私たちを招いてくださった深い思いを理解し、いつまでもなくならない永遠の命の至る信仰の歩みを導かれて参りましょう。

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2024年07月28日

「安心しなさい、私だ、恐れることはない」  マルコによる福音書6:45-52(B年特定12)

「安心しなさい、私だ、恐れることはない」 マルコによる福音書6:45-52 (B年特定12) 2024.07.28   


 はじめに、今日の聖書日課福音書から、舟で行き悩む弟子たちに主イエスが与えた言葉を思い起こしましょう。

 マルコによる福音書第6章50節です。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」

 私たちの生活の中で、例えば家族とか特定の集団の中で分かち合われる特有の言葉(合言葉)や動作があります。

 この「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」という3つの言葉も、ガリラヤ湖のあの場面での弟子たちにとってだけでなく、その後の弟子たちや教会にとって、大切な言葉になり、今、私たちもこのみ言葉を共に分かち合って主イエスと自分を確認しています。

 主イエスがこの世の生涯を終えて天に昇り、弟子たちの目にはもう見えない存在になった時に、弟子たちは主イエスがその教えの中でよく口にしておられた言葉を思い出し、目に見える主イエスのおられない集会の中で、皆でその言葉を唱えて、主イエスの働きを担う力にしていたことが想像されます。

 今日の聖書日課福音書は、ガリラヤ湖が舞台であり、主イエスが共に乗っておられない舟での出来事です。

 聖書に出てくる舟は、例えば旧約聖書創世記の「ノアの箱舟」物語に象徴的に示されているように、しばしば神の守りや救いを表現し、やがて舟は教会の壁画やステンドグラスの中にも教会の救いを象徴して描かれるようになりました。

 今日の聖書日課福音書は、弟子たちが主イエスのいない舟で、逆風のために一晩中漕ぎ悩んでいたときの様子が記されています。主イエスが乗っていない舟とは、まさに原始キリスト教会や草創期のキリスト教会の姿を象徴的に表現していると言うことができます。

 5つのパンと2匹の魚で大勢の人びとを養った主イエスは、弟子たちを舟に乗り込ませ対岸のベトサイダに行かせ、ご自身は独り山に登って祈りの時をお過ごしになりました。主イエスは夕暮れから明け方までずっと一人で祈っておられたことと思われます。その間、弟子たちは舟で対岸の町まで行こうとするのですが、強い逆風に邪魔されて思うように進むことが出来ません。主イエスはガリラヤ湖畔の小高い山か丘のような所におられますので、もしかしたらそこからは逆風に漕ぎ悩む弟子たちの舟の様子を遠くに見ることが出来たかも知れません。

 ガリラヤ湖は、東西に13㎞、南北に21㎞程の竪琴のような形の湖であり、海抜-210Mにあり、周りを山々に囲まれています。日中に湖面の空気は太陽が照りつけて温めら、夜になって山肌の空気は冷えてくると、湖面の空気はまだ温かく上昇気流をつくり、そこに冷えた山の空気が流れ込んで、それは時に突風を起こします。このようにガリラヤ湖は一日の内にも天気の変動の激しい湖です。昔の人たちは、このような天候の変化を湖に住む魔物が暴れることとして理解していました。

 主イエスは、一晩中強い風と波のために舟を少しも進めることの出来ない弟子たちの所に、この湖の上を平然と歩いて近づき、弟子たちの舟を通り過ぎようとなさいます。このことは、主イエスが魔物のすみかである湖を征服して弟子たちの所にお姿を表しておられることを意味していると考えられます。

 主イエスは、その主イエスを幽霊かと思って恐れ怯える弟子たちに言われました。

 「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」

 この3つの言葉はどれも聖書の中の大切な言葉であり、聖書の中でこの3つの言葉が用いられている場面や状況を調べてみれば、どれも大切な場面で用いられている言葉であることが分かります。

 例えば、「安心しなさい」という言葉は、ヨハネによる福音書では主イエスが十字架につけられる前の晩に弟子たちに告別の話をしておられますが、その締めくくりの言葉として、「勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている(ヨハネ16:33)。」と言っておられます。この「勇気を出しなさい」と訳されている言葉が今日の箇所では同じ言葉が用いられており、日本語では「安心しなさい」と訳されています。

 また「私だ」という言葉にも注目してみましょう。

 出エジプト記で、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から導き出すために主なる神はモーセを召し出します。その時、モーセは尻込みして主なる神に次のように問うのです。出エジプト記第314節です。

 「私がイスラエルの人々のところに行って『あなたがたの先祖の神が私をあなたがたに遣わされました』と言うつもりです。すると彼らは『その名は何か』と私に問うでしょう。私は何と彼らに言いましょう。」

 その時、主なる神はモーセに言いました。「私はいる、という者である」。続けて神は、「イスラエルの人々に言いなさい。『私はいると言う方が、私をあなたがたに遣わされたのだと。』」

 全能の神は、いつもどこにいても、どんな状況や場面の中にも神を信じる人々と共におられ、もしその神に名を付けるとすれば、「私はいる」としか名付けることの出来ないお方なのであり、その神が自分の正体を現す時にeγω eιµι 英語に訳せば Iam . 日本語では「私だ」とご自身を名乗っておられるのです。つまり、この「私だ」は神さまの「自己顕現(ご自身を現す)」の言葉なのです。

 そして、「恐れることはない」は、主なる神の顕現に恐れる者に向かって主なる神ご自身や天使が告げる言葉であり、例えば天使ガブリエルがマリアに現れて受胎告知する場面や天使が羊飼いたちに救い主誕生を告げる場面で「恐れるな(恐れることはない)」が用いられています。

 弟子たちは、今、魔物の荒れ狂う湖で漕ぎ悩み、行き悩み、主イエスが共にいてくださらない経験をして悪戦苦闘しています。そのような弟子たちの所に主イエスは湖の上を歩いて-つまり、荒れ狂う魔物を征服して-近づき、言葉をかけてくださいました。

 「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」(教会共同訳、新共同訳)

 「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない。」(聖書協会訳1954)

 「Take heart. It is I ; have no fear.」(R.S.V)

  「Courage! It is I. Don't be afraid.](T.E.V)

 ガリラヤ湖で直接これらの言葉を受けた弟子たちだけでなく、主イエスを救い主と信じる人々もこれらのみ言葉によって励まされ、生かされてきました。

 初代の教会は、ユダヤ教の側からもローマの側からも、キリスト者に対する迫害が激しくなってきます。生前のイエスを知らない第2世代、第3世代の信徒が増える中、教会に集う人びとはもう地上の主イエスに直接お会いした人びとではなく、復活の主イエスを信仰する人びとによって共同体を形成していくことになります。目に見えるイエスのいない教会は、イエスを救い主として信じる信仰に基づいてこの世の荒波の中を進んでいくことになります。

 教会はまさに、弟子たちが夜明け前の暗い湖を主イエスのおられない小舟を操るような経験をするのであり、信仰者は逆風や思わぬ突風に悩みながら、それでも進んでいかなければなりませんでした。それは今も変わらないと言ってよいかもしれません。

 その様な状況の中で、キリスト者たちは、幾度も幾度も主イエスの言葉を思い出して力付けられてきました。しかもそれは、自分たちが主イエスのみ言葉を意識して思い起こしてみるということではなく、行き悩む弟子たちの所に主イエスの方から近づいて来て下さって、主イエスの方から「安心しなさい、私だ、恐れるな」と声をおかけになったように、私たちにも主イエスがみ言葉を思い起こさせ、励まし、養い、導いてくださるのです。

 私たちも、小舟の中の弟子たちのように、様々な困難を覚え、生きることの難しさを感じたり、教会が進むべき方向になかなか見出せないような経験をすることがあります。そのような時、主イエスが悪霊や魔物を征服していつの間にか私たちの所に近づいてきて下さり、み言葉を与えて下さり、私たちはあの時の弟子たちと同じように力付けられ、主イエスが共にいてくださることを知るのです。

 私たちが様々な問題に直面して、私たちが主イエスのお姿も確認できないかのような思いになる時、まさに自分の力で必死に舟を操ろうとする弟子たちの姿と自分の姿が重なって参ります。そして、そのような弟子の姿と自分の姿を重なり合うとき、私たちは主イエスが「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」と言っておられる言葉を自分のことと重ね合わせて受け取ることが許されるのです。

 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

 主イエスの弟子たちや初代教会の使徒たちをはじめとする多くの信仰の先輩たちが主イエスのみ言葉に励まされ導かれました。私たちも同じみ言葉が与えられています。このみ言葉に励まされ力付けられて、私たちもこの世の荒波を越えて導かれていくことが出来ますように。

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2024年07月21日

主イエスの深い憐れみ         マルコによる福音書6:30~44(B年特定11)

主イエスの深い憐れみ         マルコによる福音書6:3044(B年特定11)   2024.7.21

 今日の聖書日課福音書は、主イエスがわずか5つのパンと2匹の魚で男だけでも5千人もの人を養った奇跡物語の箇所が取りあげられています。

 この奇跡物語は、多少の違いこそあれ、4つの福音書のどれにも載っています。それだけではなく、このマルコによる福音書には、同じように僅かなパンで4千人を養った奇跡物語が第8章に出てきます。

 各福音書の記者にとって、僅かなパンと魚で大勢の人を養った奇跡は、印象深くもあり、大切な出来事でもあり、是非とも後代の人々に伝えねばならない主イエスの奇跡であったと言えるでしょう。そして、この奇跡物語は、後代の信徒たちに親しまれてきたと言えます。それと同時に、こんな奇跡の話がなぜ信じられるのか、クリスチャンは本気でこの話に感激して信仰を深めたり養ったりしているのかと、多くの疑いと誤解を呼び起こしてきた物語であるとも言えるかもしれません。

 私たちは、今日の聖書日課福音書から導きを受け、また聖書の中の群衆の一人になって主イエスによって養われたいと思います。そのために、一つの言葉に着目してみましょう。

 今日の福音書から、マルコによる福音書6章34節の言葉をもう一度思い起こしてみましょう。

 「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」

 また、マルコによる福音書第8章の「四千人に食べ物を与える」と見出しの付いた同じような奇跡物語から第2節を拾い上げてみましょう。

 「群衆がかわいそうだ。もう三日も私と一緒にいるのに、何も食べる物がない。」」

 私たちが聖書を学び理解していく上で、見落としてはならない言葉つまり「キーワード」があります。その言葉の意味を知ることによって、主イエスのお姿をより深く理解し、ただ字面を読み流している時には見えなかったことが実に生き生きと見えてきて、聖書のメッセージが私たちに力強く迫って来ることにつながります。

 今日は聖書日課福音書の中の中からそのようなキーワードの一つを取りあげて、福音書の内容を理解する手がかりとし、また導きを得る試みをしてみたいと思います。聖書の言葉を2箇所採り上げてみました。

 先に読んだ第6章34節に「深く憐れみ」という言葉がありました。また、第8章2節には「群衆がかわいそうだ」という言葉があります。

 この「深く憐れむ(6:34)」という言葉と「かわいそうだ(8:2)」という言葉に着目してみたいのですが、この二つの言葉は元のギリシャ語では同じ言葉が用いられています。

 この言葉は内蔵()を意味する「spλaγχνονスプラングノン」を語源とするその動詞形「spλaγχνιζοµaιスプラングニゾマイ」という言葉であり、日本語訳で「深く憐れむ」、「かわいそうに思う」という言葉が用いられています。

 そして、この言葉が使われている箇所を調べてみますと、この言葉は主イエスを主語にした時と主イエスがなさったたとえ話の中だけで用いられていることが分かります。例えば「良きサマリア人」の物語の中で強盗に襲われて半殺しの目にあった旅人を権力者たちが避けて見て見ぬ振りして通り過ぎていってしまう中で、いつもはイスラエルの民から差別扱いされて敵対関係にあるサマリア人がこの瀕死の旅人を見て「憐れに思い」という箇所、放蕩息子が父親の元に戻ってくる姿を見たときにその父親が息子を深く憐れんで走り寄って抱きしめる箇所など、主イエスを主語にする時と主イエスのなさった例え話の中でのみこの言葉が用いられていることが分かってきます。福音記者たちはこの言葉をそれだけ意識して用いていたのでしょう。

 想像してみるに、この言葉は自分の目の前にいる人が困り果て、或いは弱り果てて、どうしようもない状態でいるのを見て、自分の内臓が痙攣するばかりに共感することを表現している言葉なのでしょう。この言葉を日本語に訳した人はただ「憐れむ」ではこの言葉のニュアンスを表すことが出来ないと考えて「深く憐れむ」と訳したのだと思われます。それでも、私にはまだまだこの言葉の持つ激しさを十分に表しているとは言えないように感じられます。

 この「スプラングゾマイ」という言葉は、困り果て弱り果てた人を目の前にして、こちらの呼吸が荒くなり、心臓は高鳴り、胃が飛び出さんばかりに震えて体がワナワナとして、目の前の相手に関わらずにはおれない、そのような意味を含んでいることを理解する必要があるのでしょう。

 そして、先ほどもお話ししたように、この言葉は主イエスを主語にしたときと、主イエスがなさった例え話の中でのみ用いられる特別な言葉であることを覚えておきましょう。

 このようなことを思い起こしてみると、マタイ、マルコ、ルカたち福音記者が、主イエスがどのようなお方であり、神の子として何をなさったのかを伝える時に意図してこの言葉を用いていると考えられるのです。そして、主イエスの働きは、この「スプラングニゾマイ(深く憐れむ)」というご自身のパッションを根底においており、主イエスの「癒やす」、「教える」、「清める」そして「養う」というお働きのすべてがご自身の内臓を揺るがす程の愛に裏打ちされていると言えるのです。

 つまり、主イエスが教えたり、癒したり、清めたりする働きの根底には、彷徨う人や病の人や悪霊に苦しむ人々に共感し、共に泣き共に苦しんで呻き、腑が打ち震える深い憐れみがあるのであって、もし私たちが主イエスの奇跡物語を考えるときに、主イエスの業の方法やその結果にしか目を向けないとすれば、奇跡をなさる主イエスについて理解することはできなくなり、私たちは主イエスに誤った期待を寄せたりすることにもつながっていくことになるでしょう。 主イエスがなさる悪霊追放の働きも、病人に癒しや清めも、また今日の福音書にあるような大勢の人の養いの行いも、すべての人が罪を赦されて神の御心に立ち戻るようにと願わずにはいられない主イエスの思いから発していると言えるのです。

 今日の聖書日課福音書の中で、主イエスが大勢の群衆に教えを述べる時間が過ぎて午後3時をまわった頃、弟子たちは主イエスに「もう群衆を解散させてください」と申し出ています。そこには弟子たちが群衆を配慮する姿が現れ出ていたことでしょう。でも、その時主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と答えておられます。

 「スプラングニゾマイ」という言葉を考えてきた脈絡から言えば、主イエスの「あなたがたが彼らの食べ物を与えなさい」という言葉は、弟子たちに次のような意味を込めて言っておられると考えられます。

 主イエスは弟子たちに「あなた方は飼う者のない群衆の姿を見て、自分の腑が痛まないのか。彼らを自分の視界の外に移動させればそれで済むのか。あなたの手でこの群衆に関わる思いはあるのか」という厳しい問いを突き付けておられるようにも思えてきます。主イエスは群衆たちに心を震わせて、群衆に関わろうとしておられます。そして、弟子たちを訓練してその群衆に関わらせようとしておられます。ここに奇跡が生まれるのです。

 奇跡とは自分が少しも痛まずに呪文を唱えれば手品のようにして起こる魔法のことではありません。相手のために自分が痛み、しかも腑が裂けるほどの思いで相手に関わるときに、そこに人間の思いを越えた神の大きな力が及び、奇跡が起こるのです。

 主イエスの「深い憐れみ」のないところでは、5千人に対して5つのパンは5千分の5に過ぎません。でも、その僅かなパンに主イエスの「深い憐れみ」というアルファが掛け合わされるとき、5千分の5はいくらでも膨らんで、その残りでさえ十二の籠を一杯にする事になるのです。主イエスの「スプラングニゾマイ(深く憐れむ)」は、人々を癒やし、浄め、養い、立ち上がらせて、主イエスが共におられる交わりは更に豊かになり拡がっていきます。

 その一方で、もし「奇跡」と呼ばれる行為が主イエスを通して示された愛に基づかないで行われるなら、その出来事は「石をパンに変えてみよ」、「神殿の城壁から飛び降りてみよ」、「神ではない物を崇拝せよ」という悪魔の誘惑に向かうことになることも、私たちは心得ておかねばならないでしょう。

 私たちも主イエスの憐れみ生かされ、人々に主イエスの憐れみを持ち運ぶために主イエスによって召し出され、養われ、この世界に遣わされていきます。主イエスはこの世界と人々を深く憐れんで、今、この場に於いても私たちと共におられ、主イエスを記念するこの礼拝(聖餐式)の中で養いと導きを与えてくださっています。この主日に、この場で、主イエスの深い憐れみによって、パンと魚の奇跡を再現していただくのです。

 私たち一人ひとりが、主イエスの深い憐れみの中に生かされ、感謝をもって、主イエスを分け与えられ養われる恵みに与りましょう。

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2024年07月15日

12弟子の派遣  マルコによる福音書6:7-13

12弟子の派遣   マルコによる福音書6:7-13   (聖霊降臨後第8主日 特定10)          2024.07.14

  2024年7月14日 聖霊降臨後第8主日 説教 小野寺達司祭 (youtube.com)

 今日の聖書日課福音書は、主イエスが12人の弟子を二人一組にして宣教の働きにお遣わしになった箇所が取り上げられています。

 まず、この福音書の箇所がどのような脈絡の中にあるのかを確かめておきましょう。

 この箇所の直前には、主イエスがナザレの会堂で安息日に教えを述べた時の様子が記されています。主イエスが会堂で聖書の教えを説いておられると、故郷の人びとは「あれは大工ではないか。マリアの息子でイエスの兄弟は我々と同じようにナザレで暮らしているではないか」と驚きました。しかし、ナザレの人々は主イエスがお話しになった教えを深く心に留めることもその内容を吟味する事もなく、主イエスはナザレでは受け入れられなかったというのがその箇所の粗筋です。

 主イエスの宣教のお働きの初期、このような脈絡の中で、ご自分の故郷ナザレでは受け入れられず、ガリラヤ地方の村を巡り歩いて御言葉を宣べ伝え、弟子たちを教育し、更に弟子たちを宣教の働きにお遣わしになっておられます。

 主イエスは、人びとの悪霊を追い出し、人びとの病を癒し、身をもってような人びとの中にも、いや、そのような人々の中にこそ神の国が出現していることを示し、また、人びとに神の国を説き証してガリラヤ地方を巡り歩いておられますが、やがて主イエスは12人の弟子たちを二人一組にして宣教の働きにお遣わしになったのでした。

 主イエスの12人の弟子たちは皆主イエスの親族ではなかったようです。ナザレでは多くの人が幼い頃のイエスの様子を知り、父ヨセフや母マリアをはじめ、家族の様子やその内輪の事さえ知る者も多かった事でしょう。こうした事は、多くの場合、ナザレの人びとにとって先入観となって、主イエスの本当の姿を見えなくさせていました。

 選ばれた12人の弟子たちは、きっとそうした先入観を持たず、あるいはそうした先入観を打ち砕かれて、主イエスと出会い、直接主イエスに触れ、先入観を持たずに、素直に主イエスに従う事ができたのかもしれません。

 その意味で12弟子にはそれぞれに、主イエスと出会った場所や状況の違いこそあれ、皆主イエスとの出会いを通して自分の中に神の国が与えられた経験を持つ者でした。言葉を換えれば、主イエスの弟子たちは皆それぞれに主イエスによってしっかりと捕らえられる経験があったのでした。

 12弟子は、主イエスの御名によって宣教の働きへと派遣されるにあたり、「汚れた霊に対する権能」を授けられました。そしてこの12人は、マルコによる福音書第6章12節にあるように、「出かけていって、悔い改めさせるために宣教した」のです。彼らはその働きをとおして人々を悔い改めに導き、「多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」(6:13)のでした。

 このような弟子たちの働きは、主イエスから「権能」を受けて行われていますが、それは例えば免状を受けるとかその資格試験に合格すれば、あとは機械的に悪霊を追い出したり癒しの業が出来るようになるというものではありません。

 第6章7節で「権能」と訳されている言葉は、聖書の他の箇所ではしばしば「権威」とも訳されている言葉で、原語では[]であり、ウシア()「存在、本質、資産などの意味(英語で言えば being が適当な言葉ではないかと思う)」が外に(ex)出ることを元の意味しています。           

 つまり、権能とは、事の本質が外に現れ出てくることであり、12人の弟子たちは皆それぞれに主イエスと出会い、主イエスによって神の愛の実存(ουsιa)に触れ、自分(生きる本質)を変えられ、自分は神に愛されている者であり、かつ、生きる力を神に与えられている者であるとの信仰を外に表すことと言えます。主イエスが弟子たちに権能を授けたと言うことは、主イエスに従って生きていくことを決心をした弟子たちに、この世界に神の姿、神の御心が現れ出るように主なる神に仕えて生きていく力とその方向性をお与えになったことと言い換えることが出来るでしょう。

 弟子たちはこの権能に基づいて、主に御名によって悪霊を追い出し病人を癒やす働きへと遣わされていくことになります。

 主イエスは弟子たちを遣わすにあたり、まさに丸腰で、何の装備も持たずに出て行くように命じておられます。このことも、弟子たちが派遣されると言うことが、神の愛によって生かされていることを基本にして、神の御心が自分を通して現れ出るように語り、行動すること以外の何ものでもない事を意味していると言えるのです。

 杖一本とは、羊飼いが手にする杖のように、旅する者が野の獣や盗賊から身を守る道具であり、主イエスは、この杖の他には日々の糧も、袋(食料、お金などの持ち物を入れるバッグ)も持たずに、自分の身一つで二人一組で行きなさいと弟子たちに命じておられます。

 主イエスは、弟子たちを遣わすにあたり、宣教の働きに必要な要素はパンや袋や資金ではなく、主イエスを通して与えれた信仰が表されることが一番大切であり、なくてはならないものであることを教えておられます。

 このことは、主イエスが今から二千年近く前の12弟子たちだけに向けられたことではなく、神からこの世界に送り出されて天の国を本国とする私たちにも向けられた言葉であることを心に留めたいと思います。

 私たちも、主イエスと出会い、古い自分から新しい自分に生まれ変わり、更に本当の自分を求めて日々主イエスに従っていくように変えられました。また、私たちも、主なる神に私たちの心の深い悩みや苦しみに触れていただき、受け入れていただき、その経験を通して自分でもありのままの自分を愛しながら生きていく事が出来るように変えられています。そこに主イエスから権能を受けたクリスチャンの生き方が、あります。

 繰り返しになりますが、私たちが主イエス・キリストの福音を持ち運び宣べ伝えるときに、その拠り所とすべきことは、主イエスの教えと行いそのものであり、私たちは信仰によって主イエスの権威の元に生かされており、私たちはこの権威(権能)によって、主イエスを宣べ伝えるのです。

 私たちは弱い者です。弱い自分が主イエスの権能ではなく、自分を強く見せて立とうとする時、私たちの言葉は自分がイエス・キリストによって救われた者であるという根幹を離れて、剣や食料や袋に蓄えたものに頼りたくなってしまうのです。

 私たちが主イエスから授かった権能は、あくまでも主イエスご自身を根拠としています。そのような私たちが主イエスではなく自分を頼みにするとき、授かった権能のことを忘れ、主イエスご自身から目が離れ、いつの間にか金銭や権力に頼み、人々に伝えるべき内容も限りなく横滑りしていくことになりやすいのです。そして、この世界に神によって遣わされている恵みを忘れ、自分が物的経済的に豊かになる事へ、自分が目立ち賞賛される事へ、権力で他者を支配する事へ、他人を引きずりおろす事など、主なる神の本質を示すことから離れてしまうことになるでしょう。

 私たちは、今日の聖書日課福音書から、主イエスが弟子たちに「権能」を与えられた意味をしっかりと心に留めたいと思います。

 私たちは一人ひとりが主なる神によってイエス・キリストの務めを果たすように、この世界に、この地に、職場に、家庭に遣わされています。私たちは、そこに主イエスの権威が示されるように、生かされています。私たちは、日々主イエスに生かされ、導かれ、主イエスを通して神の愛に生かされている自分を伝える事が出来るように、主イエスを証する務めへとそれぞれの生活の場へと遣わされていきましょう。

 
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2024年07月07日

弱さに働く神  コリント書Ⅱ12:2-10

弱さに働く神      コリント書Ⅱ12:2-10 (B年特定9)  2024.07.07

 今日の聖書日課使徒書から「私たちの弱さに働いて下さる神の恵み」について思い巡らせ、導きを受けたいと思います。

 コリントの信徒への手紙Ⅱ第12章9節の後半に、パウロは次のように記しています。

 「キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

 パウロは「自分の弱さを誇る」と言いますが、この言葉の文脈を踏まえず、またこのように言うパウロの背景を考えずに、この言葉を理解することは難しいのではないでしょうか。

 私たちが日々の生活の中で、もし自分を誇れることがあるとすれば、それはパウロのこの言葉とは反対に、自分の業績、得意するところ、また優れたところや強いところなどではないでしょうか。そして、出来ることなら自分の弱さは隠して、また弱さを繕って、実際の自分より強い自分を見せたいという思いさえ起こって来るのではないでしょうか。もし自分の弱さを人の前で見せてしまうと、誰かがその事で自分を軽蔑するのではないか、そこにつけ込んでくる人もいるのではないか、また、自分の弱さや醜さを悪い噂にされるのではないか、などという思いが生まれ、自分の弱さを隠して心を頑なにすることになるのではないでしょうか。

 私たちは自分の弱さを人前に開くことができず、また自分の弱さを自分で認められずに、むしろ自分の強さや秀でた面を実際以上に強く大きく見せて他の人に示したくもなるのです。

 でも、もし私たちが自分の弱さを認めずに強さだけを誇示するのなら、私たちの内のどこに神の宿る場があるのでしょう。また、もし自分が万全であって自分には弱さや悩みなど無いと言うのなら、私たちの内に働いてくださる神を認められず、傲慢になったりすることにもつながります。

 ちょうど、主イエスがお生まれになった夜、この世界は自分のことを考える事ばかりに目が向いて、御子を宿す余地はなく、救い主を馬小屋へと追いやりました。また、この世は馬小屋で生まれた救い主を十字架の上へと追いやってしまいました。もし私たちが自分の力を頼みとして自分の強さを誇るのなら、私たちの心の内のどこに救い主は宿るのでしょう。神は私たちの弱さや小ささ、醜さに宿ってくださるのです。

 パウロは言います。「キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

 主イエスがお選びになった弟子たちのことを思い起こしてみましょう。

 主イエスの弟子たちの中で、自分の能力や業績を誇れる人など誰もいませんでした。彼らの中には徴税人がいました。同じイスラエルの民から嫌われて過ごしていたのが徴税人です。また、ガリラヤ湖の漁師たちも主イエスに召し出されて弟子になりましたが、彼らも平凡な両師でした。十二弟子だけではなく、主イエスと弟子たちに奉仕した女性たちもまた同様です。その一人にマグダラのマリアがいますが、彼女はかつて「7つの悪霊に取り憑かれた女」とまで呼ばれた人でした。主イエスはこの世で身分の低い者や軽んじられている者、平凡な人、蔑まれてた人々を敢えてお選びになりました。

 それは、パウロが他の箇所(Ⅰコリント1:29)で言っているとおり、「それは、誰一人、神の前で誇ることがないようにするため」でした。神の前では、人の弱さは決して蔑まれることではありません。弱さが蔑まれたり、弱さのゆえにその存在を否定されることは、神にとってご自身の作品が否定されることに他ならず、それは神のお嫌いになること、と言えるでしょう。

 主イエスの母マリアは、天使から救い主の母になることを告げられた時、戸惑いながらも天使の言葉を受け入れて、神を誉め称えて歌いました。その「マリアの賛歌」の中にも「神は飢えた者を良いもので飽き足らせ、富んだ者を虚しく追い返される(ルカ1:33)」と言っています。ここにも神の御心は、弱さや貧しさに働く、という考えが見られます。

 パウロも、自分に働きかけてきた神の御業を振り返る時、「弱さを通してお働きになる神」について避けて通ることはできませんでした。

 パウロは、フィリピの信徒への手紙第3章5節からの個所で次のように言ってかつての自分を振り返っています。

 「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義に関しては非の打ちどころのない者でした。」

 かつてのパウロは、イスラエルの民としての自分を誇ろうとするなら、誇ることが十分にあると言います。でも、パウロはそれに続けて言います。

 「しかし、私にとって利益であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。」

 回心する前のパウロは、自分を救われる側においてその自分を誇り、神との約束を守ることにおいては誰よりも完全でることを誇ろうと生きていたと言えます。そして、主イエスを救い主と信じて生きる人々を、つまり自分の弱さと罪を認めて主イエスが示した愛によって生きようとする人々を、迫害していました。

 パウロの嫌ったクリスチャンは、救い主イエスに対する信仰とその教えによって生かされている人々でしたが、彼らの多くは神との契約を守れずに社会から落ちこぼれた人々であり、それはパウロの嫌う人々であり、パウロは、イエスを救い主と信じる人々のことを迫害するまでになっていました。やがてパウロはキリストを受け入れ、そのキリストの故に自分がかつて誇っていた一切が損失であるとまで見なすように変えられていきます。パウロは、神の力が自分の弱さに迫り、弱さを通して神が働くのであれば、「わたしは喜んでその弱さを誇ろう」と悟るのです。パウロは、自分の弱さを装って強く見せかけるのではなく、その弱さに働く神に感謝し、神がそのように自分を通して働いて下さることを喜ぶ、と言います。

 私たちも同じです。私たちが弱いままの自分に留まる時、救い主イエスはそこに共にいてくださり、そこに神の栄光が表れます。裏を返して言えば、私たちが弱い時にこそ神の栄光を顕すことができるのであり、弱い私たちがそのままの本当の自分である時に神の祝福を受けることが出来るのです。

 パウロは、私たちの体は「土の器(Ⅱコリント4:7)」であると言いました。土の塵から創られた存在の弱くはかない人間が、もし自分の力によって全てのことが可能であるかのように考えたり、自分の業績や財産、地位や名誉を誇ったとしても、土の器である私たちはいつかはまた土の塵に戻ります。そのような私たちも、自分の弱さを知る時、その弱さを通して働き弱さの中に宿ってくださるキリストの力によって生かされる事を知ることができます。そして、その時、私たちの弱さは神の恵みをいただく通路にさえなるのです。

 パウロは、自分の弱さを知り自分の罪の故に神の赦しを求める者に対して、主イエスは赦しの宣言と祝福を与えてくださり、弱さを通して恵みが働くことをコリントの人々に、そして私たちに、教えています。

 自分の弱さを認められない者は、自分より強い者に対して過度に服従したり逆に反抗的になったり、自分より弱い者を見つけては優越感を覚えたりいじめの対象にさえしたりすることにさえなるでしょう。

 神が私たちを創り、私たち一人ひとりを愛してくださっています。神の愛によって私たちは小さな自分をそのまま受け入れ、そこに働いてくださる神の恵みと導きを感謝できるのです。そして自分でもその弱く小さな自分をいとおしむことができ、私たちは自分の弱さを知る者として強くされるのです。

*この説教案を準備するに当たり、小職の聖公会神学院時代の同級生であり友人であった故ヨハネ下田屋一朗司祭と共に受講した臨床牧会訓練(.聖路加国際病院)において、同司祭(当時聖職候補生)に多くの気付きと示唆を与えられたことを附記する。

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2024年06月30日

少女を起こす御言葉   マルコ5:22-24,35-43    2024.06.30

少女を起こす御言葉   マルコ5:22-24,35-43  (B年特定8)            2024.06.30


 今日の聖書日課福音書は、主イエスが会堂長ヤイロの娘を生き返らせた物語の箇所です。その当時、ユダヤ教世界はエルサレム神殿を頂点として、それぞれの地域(町や村)にはその地に住む人々の集まる会堂(シナゴーグ)がありました。会堂は現代の教会と公民館の性格を合わせたような働きをしていました。人々はこの会堂で安息日をはじめ日々の礼拝をし、集会をしました。その世話役をするのが会堂長であり、ヤイロもその一人でした。会堂長は専門の祭司ではなく、その会堂の建物の管理や礼拝運営を仕切る役割を執り、その地域の長老の中から選ばれた人でした。

 そのような働きを担う会堂長は、多くの場合、ファリサイ派でした。福音書の中にしばしば「ファリサイ派や律法の専門家」と表現される人が出てきますが、会堂長もファリサイ派の律法の専門家である場合が多く、ヤイロもファリサイ派の律法に通じた人の一人であったと想像されます。当時のファリサイ派が主イエスを憎み、やがて一世紀も終わりになる頃には、ファリサイ派を中心としたユダヤ教徒らは、キリスト者たちを会堂から追放したことなどを考えると、会堂長ヤイロが主イエスの足元にひれ伏したりイエスに何かを懇願したりすることは当時のユダヤ教の指導者たちには認め難く、また許し難いことであったに違いありません。

 会堂長ヤイロの娘は瀕死の病に伏していました。ヤイロは自分の町にイエスが来ていることを知ると、イエスの周りに群がる群衆をかき分けるようにして主イエスの所に走り寄り、第523節にあるとおり、足元にひれ伏してこう言って願ったのでした。

 「私の幼い娘が死にそうです。どうか、お出でになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」

 ヤイロはイエスを案内して娘の寝ている家へと急ごうとしますが、家から使いの者が来てこう言ったのです。

 「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」

 ヤイロは驚き嘆きましたが、その話をわきで聞いていた主イエスはヤイロに向かって言いました。

 「恐れることはない。ただ信じなさい(5:26)。」

 そして、主イエスはヤイロの家に向かいますす。

 ヤイロの家では、既に「泣き女」たちもいて、沢山の人が泣きわめて娘の死を際立たせていました。その当時、人の死を悼んで大袈裟に泣いて周囲の人びとの悲しみを引き出す役割の「泣き女」がいたのです。

 主イエスは家の中に入っていってその人々に向かって言いました。

 「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」

 これを聞いた多くの人は主イエスを嘲笑います。

 しかし、主イエスは、子供の両親とペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子だけを残して、他の人たちをみな家の外に出して、死んだ娘のいる部屋に入っていきました。そして、主イエスはその娘の手を取り「タリタ、クム」(少女よ、さあ、起きなさい)と言われました。するとヤイロの娘はすぐに起きあがって、歩き出したのでした。

 私はこの箇所を幾度か読み返していると、福音記者マルコがこの物語を通して伝えたい思いが何であるのかが次第にはっきり見えてくるように思い始めていました。福音記者マルコがこの箇所で伝えているのは、会堂長ヤイロとその娘の出来事を通して、当時のユダヤ教の教えや習慣の限界を示し、主イエスこそがその限界を超えて真の救いを与えてくださるお方である、と言うことです。

 当時、イスラエルの指導者たちは、イスラエル民族が神に選ばれた民であると自己理解し、神と民との約束である十戒を中心とした律法を厳格に守ることで、神の救いを得られると考えていました。イスラエルの指導者たちは律法の文言を細かな点に渡って解釈し、その解釈に対して落ち度なく生きることが神との契約を全うすることであり、天の国を受け継ぐことになると考えました。しかし、そのような律法に基づく完全主義は、本来完全にはなり得ない人間の中に不安や恐れを生じさせることになります。

 ちょうど真っ白な紙に小さな汚れがあれば、その汚れがどんなに小さくても、それが目について気になるのと同じように、神の前に完全であろうとすればするほど神との約束の細かな点にまでその汚れに例えられる「罪」ついて神経質にならざるを得なくなります。そうなれば、神との契約の基本的な精神を忘れて律法の細かな文言にこだわることが律法を大切にすることに置き換わり、更にはそれを他の人に強いて、そのように出来ない人々を罪人として断罪するのが当時のユダヤ教指導者たちの在り方だったのです。

 主イエスとファリサイ派の律法の教師たちとの対立は、このようなファリサイ派の「律法主義」が原因になっていたと言えます。

 当時、人間が病むことや天寿を全うせずに死ぬことは、本人なり家族なり誰かが罪を犯し、神からその罪の懲らしめを受けることであると考えられ、また、病は神との関係が損なわれた汚れの徴であると考えられました。そうであれば、ヤイロの娘のような幼い子供の死は、例えヤイロがどれほど律法に忠実な人であったとしても、神の罰を受けた罪の結果が娘に表れたことを批判されることになり、ヤイロはただ嘆き悲しむほかありません。当時の会堂長ヤイロにとって、幼い娘の病や死は神からの一方的な裁きを受けたこと意味する出来事と意味づけられたことでしょう。

 しかし、主イエスは足元にひれ伏すヤイロに言いました。

 「恐れることはない。ただ信じなさい(5:36)」。

 今日の聖書の個所の中で、主イエスはヤイロとその周りにいた人々に、神に信頼することがどれほど大切なのかを教え、死は終わりではなく次に主イエスによって立ち上がるための眠りであることを示しておられます。

 主イエスは、主イエスを信頼してその御言葉に依り頼む者にとって、死は終わりなのではなく、その先に神の御前に人を起き上がることへと導くのであり、死を恐れ嘆くことはないと、教えています。

 私たちは、今日の聖書日課福音書から、私たちが日々の生活の中で色々な困難や不都合に出会った時にも、主イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい。」と言っておられることを覚えたいと思います。私たちも主なる神を信頼することを通して、そこから先の世界が開かれて来ます。私たちは、主イエスが死を命に変えてくださることを信じて、落胆や絶望の先に導かれ、開かれ、主イエスが十字架と復活によって示してくださった新しい世界に生かされるのです。

 会堂長ヤイロは主イエスの「恐れることはない。ただ信じなさい。」というみ言葉を信頼しました。他の人びとが主イエスの言葉や行動を馬鹿にしているような場面でも、ヤイロは主イエスを信頼し主イエスに従っていきます。そのように主イエスを信じて従うことがヤイロに新たな希望を与え、娘の新しい命の世界が開けてくるのです。主イエスは神に信頼して生きるヤイロたちを祝福してくださいます。

 主イエスは、救い主イエスを信頼する者を落胆や困惑、絶望にとどめることなく、起きあがらせ、再び歩み出させる救い主です。

 今日の聖書の御言葉は、主イエスを信じることによって私たちを起きあがらせ、私たちを新しく生まれ変わらせることへと招いています。主イエスの御言葉は死を超えた神の力によって私たちを起き上がらせ、強め、主イエスに従って生きることへと私たちを励まし導きます。

 私たちはこの主イエスの言葉を自分の心に深く迎え入れて、主イエスを救い主と信じる信仰を強められますように。そして、神の御心を現す器として生かされることへと導かれますように。

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2024年06月24日

神の主権と計画    ヨブ記38:1~11,16~18 特定7(B年)

神の主権と計画    ヨブ記38:1~11,1618 特定7(B年) 2024.06.23


  聖書日課旧約聖書のヨブ記から学び、導きを受けたいと思います。旧約聖書日課の初めの言葉、ヨブ記38:1-2 をもう一度読んでみます。

 「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か。知識もないのに言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。」(新共同訳)

 聖書教会共同訳では「知識もないまま言葉を重ね、主の計画を暗くするこの者は誰か。」と訳されています。

  ヨブと、ヨブの友人たちとの長い論争と問答の末に、主は嵐の中から「知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするのは一体誰か」と言っておられます。「経綸」とは、「国家などを治め整えること、またその方策」という意味であり、神は「なぜあなたがたはあれこれと勝手な議論を重ねて、私の思いを見えなくしてしまうのか」と言っておられるのです。これは厳しい言葉であり、主なる神がヨブと友人たちを叱りつけて、その議論を一気に抑え込んでいるようにも思えてしまいます。また、神はヨブの苦悩など全く顧みないのかとも思える言葉です。

 今日は、主なる神がヨブと友人たちに向けたこの言葉の意味するところを学び、主なる神のお働きを思い起こし、この言葉に含まれたメッセージを受け取りたいと思います。

 先ず、ヨブ記全体を簡単に思い起こし、ヨブ記第38章の言葉がどのような位置にあるのかを確認しましょう。

 ヨブ記は、神の前にも人の前にも正しい人とされるヨブが苦しみの中で友人たちと交わす言葉、問答によって成り立ち、その前後(1,2章と第42章後半)には、この問答を際立たせるかのように導入と結びの物語があります。

 ヨブ記第1章1節に、ヨブについて「この人は完全で正しく、神を畏れ、悪を避けていた」と記されています。ヨブは、家族にも財産にも恵まれ、豊かな生活をし、自分の子どもたちのためにも絶えず祈る人でした。

 ところが、主の許しを得たサタンによって、ヨブは突然に財産も家庭も奪われて、ヨブ自身も全身のいやな腫れ物に悩まされることになります。ヨブは陶器のかけらで自分の身を掻き、灰の中に座り込みました。灰の中とはゴミが焼かれる場所です。ヨブは、人々と生活と交わりの場所からゴミのように捨てられ、哀れな姿になっています。大富豪であり信仰の模範であるヨブは、一転して、見るも惨めな姿になってしまったのです。

 それでもヨブは、「私は裸で母の胎を出た。また裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の名はほめたたえられますように(1:21)。」と言い、「このような時でも、ヨブは罪を犯さず、神を非難しなかった(1:22)」と記しています。

 ヨブの妻は変わり果てた夫に「神を呪って、死んでしまいなさい(2:9)」と言います。ヨブの妻は、すっかり変わり果てた夫に、神に見捨てられて絶望するしかない人の姿を見たのでしょう。

 このようなヨブの災いを聞いて、3人の友人がヨブを慰めようと訪ねてきます。ところが、彼らは変わり果てたヨブの姿を見て、しかもそこにいるのがヨブであるとは認められないほどであって、慰めの言葉も失い、7日7晩、誰もヨブに向かって話しかけることができません。ヨブの外見も内面もその惨めさと辛さは、私たちの想像を遙かに越えたものであったに違いありません。

 沈黙して過ごした7日7晩の後、ヨブが3人の友達に向かって口を開きました。ヨブは第3章3節でこう言います。

 「私の生まれた日は消えうせよ。」

 ヨブは、こんな惨めな姿になった自分と自分の生まれた日を呪って嘆きます。これまで、自分でも、また他の人々も、ヨブは正しい人であると認めてきました。神が居られるのなら、なぜ罪のないヨブがこんな姿になるのか、ヨブ自身も理解できないし、他の人にも理解できません。ヨブの苦悩はこうして一層大きくなるのです。

 そして、ヨブの自分の生まれを呪う言葉をきっかけにして、ヨブと3人の友人の間に言葉が交わされ始めます。

 友人たちは、当時の旧約の思想に基づいて、ヨブにそこまで酷いことがおこるのは、あなたか身内の誰かが罪を犯しているはずだから、謙虚に自分の罪を認めるように迫ります。

 例えば、友人のひとりは第83,4節で、次のように言っています。

 「神は公正を曲げるだろうか。全能者は正義を曲げるだろうか。もし、あなたの子どもたちが神に罪を犯したならば、神は彼らをその背きの手に引き渡される。」

  これに対して、ヨブは自分は罪を犯す者ではないと自分の思いを吐き出します。第301921で、ヨブは神に向かって次のように言っています。

 「神は私を泥の中に投げ込み、私は塵や灰のようになった。私があなたに向かって叫び求めてもあなたは答えず、私が立ち尽くしても、あなたは私を顧みない。あなたは私に対して冷酷になり、御手の力で私を責め立てる。」

 このように、ヨブはなぜ自分がこれほどの苦しみに合わなければならないのかと、主なる神に問いを投げかけ、訴えます。ヨブは深い苦しみの底から、友人に弁明し、直接神にその思いをぶつけます。しかし、ヨブがどんなに訴えても、主なる神はそれにお答えにはならず、沈黙し続けておられます。

 ヨブと3人の友達の互いの言葉が第37章まで進んでいきますが、第38章で主なる神は突然に嵐の中から彼らに呼びかけてこられます。

 第382節で主は言われます。

 「知識もないまま言葉を重ねて、私の計画を暗くするものは誰か(教会共同訳38:2)」。更に、主なる神は「私が地の基を据えたとき、あなたはどこにいたのか(38:4)」と言い、16節以下には「あなたは海の源まで行ったことがあるか。深い淵に奥底を歩いたことがあるか(38:16)」、「死の闇の門をあなたは見たことがあるか(38:17b)」、「あなたは地の広がりを悟ったのか。そのすべてを知っているなら、言ってみよ(38:18)」と、主はたたみかけるようにヨブに迫ってこられます。

 それらは、ヨブを圧倒する言葉です。人の思いや考えをものともせず、人に有無を言わせない絶対者の言葉が第38章全体を通して押し迫って来るようにも感じます。ヨブが、そして私たちが、自分の思いや考えによってあたかも主なる神を知っているかのように驕り高ぶる時、それをうち砕く圧倒的な主の言葉であるように思えます。

 神は私たち人間の認識の限界を超えて遥かに豊かに深く働いておられますが、苦悩のただ中のヨブに向かっても、主なる神は「お前は私の計画を知ったつもりになっているのか。お前はお前の考え方で勝手に私を理解したつもりになっているのか。どこまで私の働きと計画を知ってそう言うのか。」と言います。

 それは、人間の自分中心、利己主義、神をさえ操ろうとする傲慢をうち砕く主なる神の言葉であり、人に神への畏れを生じさせ、神と人の関係を本来のあるべきところへと引き戻す言葉であると言えます。

 さて、それでは神は私たちの傲りや高ぶりをうち砕いて、御自分の力を人に示していればそれで満足するお方であり、造られた存在である私たちを圧倒して、私たちが苦しんでも私たちを諦めに向けさせるだけなのでしょうか。主なる神は、ヨブが苦しんで呻いても、主権は自分にあると言って高みにあり、人の悩みにも苦しみにも無関心なのでしょうか。主なる神はヨブのように苦悩する人々に対しても何も思わず何もお感じにならないのでしょうか。

 決してそうではありません。

 そのことを考えるのに、もう一度38章2節の「主の計画(経綸)」という言葉に戻ってみましょう。

 「主の計画(神の経綸)」の内実は何でしょう。それは、ただ人を威圧して沈黙させて統治する計画ではありません。それは、神がお造りになったものをひとつも憎まず、苦悩する者には深い憐れみをもって、全ての人をご自身の許に導き寄せる計画なのです。

 主なる神は、ヨブのように苦悩する人を憐れみ、ご自身も苦しみ、御子イエス・キリストをこの世におくって下さいます。ここに主なる神の計画(この世界の治め方)が、私たちの目に見えるように明らかにされているのです。神の御子は十字架の上にご自身の身を置き、そこから「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫びました。主なる神ご自身が主イエスを通してこのようなお姿になって、ヨブのように苦悩する者の経験を共にしてくださいます。

 私たち人間は神に創られ、限りある者であり、罪を負う者です。そしてそれ故に負わねばならない苦悩や困難もあります。そのような私たちのために、主なる神は、主イエスを通して、私たち以上に苦しく酷い経験をされたのです。

 主イエスは、ご自身は全く罪がないにもかかわらず、ヨブ以上の苦しみと死を受けられました。それはヨブのような苦しみと困難の中にある人々と共に主なる神がどこまでもいて下さることを、神ご自身が身をもって証して下さる証になりました。

 これが主なる神の経綸(計画)であり、苦しむヨブへの答です。神はサタンにヨブを苦しませることをあえて許しました。ヨブは苦しみました。ヨブはこの苦しみが何故なのかを尋ね求めて叫んでも、主なる神はそれにはお答えになりませんでした。しかし、神は主イエスを通して身をもってその答えを具体的にお示し下さいます。

 主なる神のこの答えは、苦しみながら神を求め神に問うて止まない人に対する答えでもあります。もし私たちが受ける苦しみや担う困難が主イエス・キリストの働きの故であるならば、私たちはその苦しみや困難を通して、神のご計画を担う器として選ばれていることを誇ることができるのです。

 そうであれば、主なる神がヨブと友人たちに発した「これは何者か。知識もないのに言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは」という言葉は、ヨブをただお叱りになる言葉ではなく、苦しみや困難の中にある人々を絶望から救いの希望へと招き寄せる言葉であることが分かります。私たちも主なる神の大きな計画の中に生かされている喜びへと導かれて参りましょう。

posted by 聖ルカ住人 at 10:07| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする