2023年01月18日

説教のYouTube配信 2023年1月17日

説教のYouTube配信

 東松山聖ルカ教会では、コロナ対策の一環として、主日礼拝をYouTube配信をするようになって1年経った。ただし、個人情報を保護する意味でも対象を教会の信徒に限定し、配信を希望する人には書面での申し出をしていただき、その人に限定してライブ配信とその後の動画を閲覧できるような体制をとった。
 私たちの教会外の方々と情報交換する中で、他の教会の信徒も、コロナ禍で礼拝の開催が制限されていたり、教役者不在の主日には信徒の人が聖書朗読をするだけで説教がない場合もあり、せっかく私たちの教会でYouTube配信しているのなら、教会外の人たちにも閲覧できるようにすることを希望するという声も戴いた。
 そこで、これまでの対象者を限定したライブ配信の意図は保ちつつ、礼拝の中でも説教部分だけを切り取って配信することの可能性を検討した。結果、ライブ配信ではないが、説教部分を切り取って、試しに配信してみることにした。
 本教会から発信する福音のメッセージが動画を通して教会外の人々にも届くことを思うと、この20年ほどでパソコンの環境は大きく変化していることを痛感する。上手に用いていきたい。この作業を行うのは、私ではなく、パソコンやiPadの操作に詳しい教会員である。
 視聴していただくには、パソコンの検索エンジンを用いて、例えば「東松山聖ルカ教会 YouTube」などと入力すれば、容易にアクセルできると思う。
 まだ1月15日顕現後第2主日の聖餐式の動画のみだが、できるだけコンスタントに続けてアップロードできるように努めていきたい。
 ちなみに、以下が一昨日の礼拝における説教のURLである。 
posted by 聖ルカ住人 at 20:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月27日

天に一人を送る 12月26日

 去る12月18日に、敬愛する信徒Y兄が逝去され、今日、志木聖母教会で葬送式が行われた。
 私は、式服持参で式に参列し使徒書を朗読させていただいた。  
 Y兄は、私が7年間チャプレンとして出向した立教小学校で、当時読書課の先生をしながら教務の中枢を担っておられ、前教頭退任の後には、教頭もなさった。
 そのような「肩書き」は、私が報告するまでもないが、個人的な思い出も沢山ある。
 私の執事按手式の時には、Y兄が教区の文書部長をしておられ、式の中で沢山撮った写真をまとめてファイルにしてプレゼントして下さった。私が立教小学校に赴任した4月に、まだ荷物整理をしている合間に家族で初めて小学校を訪ねたとき、たまたま校門辺りにおられたY兄は正門をくぐる私たち家族を嬉しそうに手を振って迎えてくれた。読書研究会のメンバーに私を加えて下さり、先生方と学び色々な本と出会わせてくださった。定年前に他校の校長として招かれたY兄は、送別会には「アカペラで・・」と言って「名月赤城山」を披露して下さった。
 本日の葬送式の後で、喪主の親族のご挨拶の中で、Y兄は施設で過ごした最後の頃も聖歌や立教大学応援歌『行け!立教健児』を歌うと嬉しそうにしていた、と言っておられた。
 そのご挨拶を聞きつつ、私も昔のことを思い出した。そして、お別れのお花入れの時に、「Y先生には、立教小学校で3年生までお世話になった二男のことも応援していただきました。二男はその後慶應大学に進み野球をやっていたのですが、先生はご自分の手帳に慶應の塾歌を書いているのを見せて下さって、二男を応援して下さっていて、とても嬉しかったです。」と、こちらからもご遺族にご挨拶申し上げた。
 二男がちょうど現役大学生選手だった頃、たまたまお会いしたときに私が持っていた慶應のユニフォーム型の小さなストラップY兄にお渡ししたことがあり、その時にもY先生はとても喜んでおられたことも思い出した。また数年経って「息子は今筑波の大学院に行って、野球のことで論文を修士論文を書いています」とお伝えした時にも、「それじゃ僕の後輩だ」と嬉しそうだった(Y兄は東京教育大のご出身であった)。
 息子たちが小学生だったときのこと、Y先生が「Mくん(私の長男)が「ユングの本ありますか」と言ってきてビックリしましたよ」と楽しそうに笑っておられたことも懐かしい。抽選に当たった『モモ』100万冊記念シンポジウムにご一緒に行ってくださり、河合隼雄氏の話や小学生女児の作文朗読を堪能したこともY兄と共有した豊かな思い出である。
 教区の諸行事が志木聖母教会で行われることが多く、いろいろな会合のおりにY兄にお会いすると、いつも「3人の息子さん、お元気ですか。どうしてますか?」と聞いてくれて、それぞれの様子を話すのを嬉しそうに聞いてくれていて、こちらも嬉しかった。
 几帳面であったY兄は、ご自分の葬儀のことなどを含め、ご自分の願いや希望をしっかりと書き残してご遺族に託しておられたと聞いた。
 一件堅物のように思う人も多かったが、Y兄は信仰に基づいた強さを据えつつ、実は少しお茶目な人だったと私は思っている。
 心から、Y兄の天国での平安を祈る。
posted by 聖ルカ住人 at 14:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月25日

名前のことー園児との会話ー   2022年11月25日(金) 

名前のこと-園児との会話から-   2022年11月25日(金) 

 昨日は、幼稚園の礼拝の日で、テーマの聖句は「あなたは身ごもって男の子を産む。そのことイエスと名付けなさい(ルカによる福音書第1章31節)。」だった。
 降誕日のちょうど1ヶ月前であり、どのようなお話をしようかと迷ったが、この日の礼拝は11月誕生児の感謝祝福の礼拝を兼ねており、天使ガブリエルからマリアへの「受胎告知」のことよりも「名付けられること」を主なテーマにして話すことにした。
 話の主旨は以下のようであった。
 『天使ガブリエルは、マリアから生まれる赤ちゃんの名をイエスにするように命じました。イエスという名は「神さまは救い」という意味で、マリアから生まれたイエスさまは、大人になると、その名前の通りのお働きをするようになりました。その名前にはイエスのお父さまである神さまの思いや願いが込められていました。私たち一人ひとりも生まれたときに、両親や家族の思いや願いを込めた名前が付けられ、他の人とは取り替えられない大切な人として生きることが始まりました。その一人ひとりを救い主である主イエスが守り祝福していてくださいます。今日は、皆さんがどのような思いや願いを込めて名前が与えられたのか、ぜひお家の人にきいてみてください。私たちは、一人ひとりが取り替えられない大切な人として幾度も名前を呼ばれて、神さまと周りの人々に大切に育てられてまた今年の誕生日を迎えられることを感謝しましょう。』
 メッセージのテーマがマリアへの受胎告知とイエスの命名のことなのか、私たちの名前のことなのか焦点を絞りきれず、私は、子どもたちがどのように受け取っているのか落ち着かない思いで礼拝を終えていた。
 日頃、園児たちとはあまりおしゃべりする機会が無い私であるが、今日は年長児の遠足に同行し、子どもたちと一緒に歩いたり遊んだりする時間が与えられた。
 歩きながら一人の男児が私に話しかけてきた。
 「先生、僕の名前はね、夏になる頃には木がどんどん伸びて、沢山の葉が青くなって、大きくなって、やがて実をつけるでしょ。夏の木のようにすくすくと元気に育つようにって・・・」。
 「それで、直樹くんか。素敵な名前だね。なおちゃんは何月生まれ?」。
 「7月」。
 「昨日の礼拝での名前のこと、お家で聞いてみてくれたんだ」。
 「うん」。
 なおちゃんが、家庭で、礼拝での「宿題」のことを話題にし、おそらく、家庭で温かな雰囲気の中でこの話題が受け止められ、なおちゃん命名の謂われが語られたのだろう。
 小春日和の穏やかな一日は、単に天候に恵まれただけでなく、子どもとの会話にも恵まれた豊かな日となった。
posted by 聖ルカ住人 at 23:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月15日

終戦記念日に当たり 2022年8月15日

2022年8月15日
終戦記念日に当たり 脇芽のヒマワリの花のことなど
 終戦記念日です。今年は、昨日まで4つの主日の礼拝祭壇花として、庭に咲いたヒマワリを用いることが出来ました。
 初夏の頃、数種混合の種を蒔いたのですが、その中から育った数本は脇芽が良く出る種類で、主幹のてっぺんだけでなく、脇芽から、またその脇芽からと、例えて言えば子どもヒマワリ、孫ヒマワリ、ひ孫ヒマワリが咲きました。花はそろそろ終わりなのですが、玄孫ヒマワリまでは頑張ってくれることを期待しています。
 今もロシア軍のウクライナ侵攻が続いており、両国の兵士やウクライナ民間人の沢山の尊い命が奪われています。かつてウクライナを舞台にした「ひまわり」という映画を観ました。その時の気持ちが今年の夏のヒマワリを見る思いと重なってきます。
 ヒマワリや麦を与えてくれる豊かな大地が人間の愚かさの故に損なわれています。
 ウクライナで沢山のヒマワリが平和の証しとして咲く日を思い、祈ります。

DSC_0485.jpg   
posted by 聖ルカ住人 at 16:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月29日

明日から降臨節 2021年11月27日(土)

2021年11月27日(土)
 明日の主日礼拝準備と清掃の後、4本ロウソクを立てるアドヴェントクランツや玄関前のリース作りをしました。
 その作業をしながら、コロナウイルス感染症の対策に努めながらどのように礼拝できるかなど話し合いました。そろそろクリスマスイヴ礼拝の式文の準備も始めるところですが、いずれにしても、皆が一堂に会しての礼拝ができるように準備を進め、もしそのように礼拝することが難しい状況になれた小回りを利かせた対応したいと思います。

  アドヴェントクランツ01.jpg  リースつくり.jpg
posted by 聖ルカ住人 at 11:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月19日

子どもの祝福式(七五三の祈り)

11月13日(土)
 数日前に「教会で七五三のお祈りをしていただけますか?」と問い合わせがありました。喜んでお受けしました。そして、今日、5歳男児の幼児祝福式をご両親とお祖母さまと一緒に行うことが出来ました。
 教会(司式司祭)からのささやかなお祝いのしるしは、ご本人には羊飼い主イエスのカード、ご両親には聖母子のカード。
 教会は、神社のように「祝七五三。ご祈祷致します」という幟旗は立てていないけれど、信徒に限らずその折々に子どもの祝福のお祈りを致します。

posted by 聖ルカ住人 at 17:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月31日

逝去者記念聖餐式及び墓参

10月31日(日)
 教会暦では11月1日が諸聖徒日、11月2日が諸魂日であり、教会ではこの時期に主にあって逝去された方々を覚えて祈りをささげる習慣があります。今日は、その直近の主日であり、本教会関係逝去者のために祈りをささげ、礼拝後には教会霊園に墓参しました。
 近年、核家族化、単身世帯がふえて、お墓をどのように守り継承していくかは多くの家庭での課題であるように思われます。教会として在籍逝去信徒と家族およびその関係者逝去者をしっかり覚えて守っていくことは、教会の大切な働きであると思います。


posted by 聖ルカ住人 at 21:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月18日

今朝、読んでいた本から 説教の「お決まり」を突破したい

 今朝、読んでいた本から 
 「聖書を読み味わうことと読み手の生き方は決して切り離すことはできない。聖書を読むようにしか、私たちは生きることが出来ないし、私たちが現に生きているようにしか、聖書を読むことが出来ない。それ故、聖書を読むときだけ聖霊の導きを求めるのではなく、全生活の全領域、全生涯に渡って聖霊の導きを求めつつ、聖書を読み味わう際、私たちは特別に神の助けにより頼むのである。(「宮村武夫著作集1,p.83)」

 上記の言葉は、私がかつて幾度かお会いし親しくお話しさせていただいた宮村武夫先生(故人)の一文である。
 私は、既に定年退職の身ではあるが、教会の牧師館に住まわせていただき、引き続き教区の教役者の一人として現職同様の勤めに与れることは感謝に耐えない。毎主日の聖餐式で司式・説教に奉仕し平日も朝夕の礼拝をはじめ聖堂で祈ることは「住職」としての勤めであり、これが出来ることは自分の心身の健康を保つ上でも神から戴く恵みであると思っている。
 しかし、この年齢になると、例えば、主日礼拝の説教準備をしていても、思い巡らせる内容は自分の若い頃からの気づきや考え方の域を出ないことも多く、準備した説教の原稿もそれまでと同じであり、その域を出ていないことを痛感している。聖書についてまたその内容についての知識などほんの少しに過ぎないのに。
 名人落語家の噺なら、同じ題目の落語を幾度聴いても飽きないだろう。年間のプログラムを組んで、毎主日ごとに、「御慶」、「二番煎じ」、「長屋の花見」、「舟徳」、「火焔太鼓」、「抜け雀」、「芝浜」等々と52週(年によっては53週)分を3年周期(現在、日本聖公会の主日用聖餐式聖書日課は3年周期A、B、C年となっている)で説教原稿を用意する可能性もないわけではないが、自分の説教がそうするほどに洗練されて語り継がれるべきものだとも思っていない。
 上記の宮村武夫先生の言葉を言い換えれば、自分の生活の脈絡と聖書の脈絡がどのように接触しそこで聖書は自分に何を働きかけているのかを受け止められるように、全生活を通して聖霊の導きを求めまたその働きに鋭敏でありたいと思う。そして、このことの内実を自分でどれ程に掴めているかが説教の質を決めていくのだろう。
 その点が欠けていたら、説教はお決まりの釈義で聖書を説明することに留まることになる。もし、教役者の説教がお決まりの釈義にも至らない勧話程度に過ぎないのであれば、聖霊の導きを求めつつそれぞれの生活を営む方々の現場の声を聴かせていただいた方が、ずっと魂の養いになるのではないだろうか。
 私は、聖書の言葉そのものの力を自分でしっかり受け止めているか、そして、聖書の言葉の力をそのままに会衆に伝えられているかということが説教の基本であると思うが、自分が説教する者として生きる脈絡の中で聖書の言葉をどのように捕らえているかということが欠落してしまえば、お決まりの釈義の域を脱けられないのではないかと思う。
 説教の「お決まり」を突破していくには、私に語られている聖書の言葉を私がどのように受け止めているのか、聖書に分け入りまた自分に分け入っていく覚悟が改めて必要なのだろう。 
posted by 聖ルカ住人 at 11:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月18日

祭壇の花 明後日の主日礼拝のために

2021年9月17日(金)
祭壇の花 明後日の主日礼拝のために

 ちょうど松山聖ルカ幼稚園の子どもたちと礼拝・誕生会をしていた時に、明後日の主日礼拝のためのお花をお持ちくださった方がある。
 日本列島に台風が接近しており、明日の天候がどうなるのか分からず、今日のうちにお届けくださった。
 その方は、ご自宅の広い敷地に野菜や草花を育てておられ、それもできるだけ「自然な状態」での管理を心がけて、必要以上に雑草処理することもなく、野菜や草花も伸び伸びと育っているように感じられる。玄関前に書き置きと一緒に置かれた秋の花々も綺麗だ。玄関前は西日が当たる場所なので、バケツを直ぐに室内に移したが、それぞれの花の水揚げがどうなるのか、少し心配だ。
 夏を迎える頃、妻とその方のお宅を訪問して、畑を案内していただいたときは、楽しかった。お持ちくださった花々があの庭のあちこちに咲いている姿を想像する。台風の雨風が強くならないことを願う。

   祭壇の花 用意.JPG  
posted by 聖ルカ住人 at 11:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月31日

原爆の図丸木美術館見学

7月27日(火)丸木美術館訪問
 「原爆の図丸木美術館」へ行ってきました。
 東松山市に住むようになって4ヶ月。記憶では26年前に家族で行ったはず。
 内容は当美術館のホームページに委ねることにします。
 あのように「原爆の図」を幾つも描かせた原爆の破壊的エネルギーとその悲惨さ。それは被爆地のことに限らず、ずっと尾を引いています。丸木位里(1901-1995)、丸木俊(1912-2000)のご夫妻があの悲惨なエネルギーを絵画で表現したその情熱エネルギーに圧倒される思いでした。

posted by 聖ルカ住人 at 15:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする