2022年08月15日

終戦記念日に当たり 2022年8月15日

2022年8月15日
終戦記念日に当たり 脇芽のヒマワリの花のことなど
 終戦記念日です。今年は、昨日まで4つの主日の礼拝祭壇花として、庭に咲いたヒマワリを用いることが出来ました。
 初夏の頃、数種混合の種を蒔いたのですが、その中から育った数本は脇芽が良く出る種類で、主幹のてっぺんだけでなく、脇芽から、またその脇芽からと、例えて言えば子どもヒマワリ、孫ヒマワリ、ひ孫ヒマワリが咲きました。花はそろそろ終わりなのですが、玄孫ヒマワリまでは頑張ってくれることを期待しています。
 今もロシア軍のウクライナ侵攻が続いており、両国の兵士やウクライナ民間人の沢山の尊い命が奪われています。かつてウクライナを舞台にした「ひまわり」という映画を観ました。その時の気持ちが今年の夏のヒマワリを見る思いと重なってきます。
 ヒマワリや麦を与えてくれる豊かな大地が人間の愚かさの故に損なわれています。
 ウクライナで沢山のヒマワリが平和の証しとして咲く日を思い、祈ります。

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2021年11月29日

明日から降臨節 2021年11月27日(土)

2021年11月27日(土)
 明日の主日礼拝準備と清掃の後、4本ロウソクを立てるアドヴェントクランツや玄関前のリース作りをしました。
 その作業をしながら、コロナウイルス感染症の対策に努めながらどのように礼拝できるかなど話し合いました。そろそろクリスマスイヴ礼拝の式文の準備も始めるところですが、いずれにしても、皆が一堂に会しての礼拝ができるように準備を進め、もしそのように礼拝することが難しい状況になれた小回りを利かせた対応したいと思います。

  アドヴェントクランツ01.jpg  リースつくり.jpg
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2021年11月19日

子どもの祝福式(七五三の祈り)

11月13日(土)
 数日前に「教会で七五三のお祈りをしていただけますか?」と問い合わせがありました。喜んでお受けしました。そして、今日、5歳男児の幼児祝福式をご両親とお祖母さまと一緒に行うことが出来ました。
 教会(司式司祭)からのささやかなお祝いのしるしは、ご本人には羊飼い主イエスのカード、ご両親には聖母子のカード。
 教会は、神社のように「祝七五三。ご祈祷致します」という幟旗は立てていないけれど、信徒に限らずその折々に子どもの祝福のお祈りを致します。

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2021年10月31日

逝去者記念聖餐式及び墓参

10月31日(日)
 教会暦では11月1日が諸聖徒日、11月2日が諸魂日であり、教会ではこの時期に主にあって逝去された方々を覚えて祈りをささげる習慣があります。今日は、その直近の主日であり、本教会関係逝去者のために祈りをささげ、礼拝後には教会霊園に墓参しました。
 近年、核家族化、単身世帯がふえて、お墓をどのように守り継承していくかは多くの家庭での課題であるように思われます。教会として在籍逝去信徒と家族およびその関係者逝去者をしっかり覚えて守っていくことは、教会の大切な働きであると思います。


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2021年10月18日

今朝、読んでいた本から 説教の「お決まり」を突破したい

 今朝、読んでいた本から 
 「聖書を読み味わうことと読み手の生き方は決して切り離すことはできない。聖書を読むようにしか、私たちは生きることが出来ないし、私たちが現に生きているようにしか、聖書を読むことが出来ない。それ故、聖書を読むときだけ聖霊の導きを求めるのではなく、全生活の全領域、全生涯に渡って聖霊の導きを求めつつ、聖書を読み味わう際、私たちは特別に神の助けにより頼むのである。(「宮村武夫著作集1,p.83)」

 上記の言葉は、私がかつて幾度かお会いし親しくお話しさせていただいた宮村武夫先生(故人)の一文である。
 私は、既に定年退職の身ではあるが、教会の牧師館に住まわせていただき、引き続き教区の教役者の一人として現職同様の勤めに与れることは感謝に耐えない。毎主日の聖餐式で司式・説教に奉仕し平日も朝夕の礼拝をはじめ聖堂で祈ることは「住職」としての勤めであり、これが出来ることは自分の心身の健康を保つ上でも神から戴く恵みであると思っている。
 しかし、この年齢になると、例えば、主日礼拝の説教準備をしていても、思い巡らせる内容は自分の若い頃からの気づきや考え方の域を出ないことも多く、準備した説教の原稿もそれまでと同じであり、その域を出ていないことを痛感している。聖書についてまたその内容についての知識などほんの少しに過ぎないのに。
 名人落語家の噺なら、同じ題目の落語を幾度聴いても飽きないだろう。年間のプログラムを組んで、毎主日ごとに、「御慶」、「二番煎じ」、「長屋の花見」、「舟徳」、「火焔太鼓」、「抜け雀」、「芝浜」等々と52週(年によっては53週)分を3年周期(現在、日本聖公会の主日用聖餐式聖書日課は3年周期A、B、C年となっている)で説教原稿を用意する可能性もないわけではないが、自分の説教がそうするほどに洗練されて語り継がれるべきものだとも思っていない。
 上記の宮村武夫先生の言葉を言い換えれば、自分の生活の脈絡と聖書の脈絡がどのように接触しそこで聖書は自分に何を働きかけているのかを受け止められるように、全生活を通して聖霊の導きを求めまたその働きに鋭敏でありたいと思う。そして、このことの内実を自分でどれ程に掴めているかが説教の質を決めていくのだろう。
 その点が欠けていたら、説教はお決まりの釈義で聖書を説明することに留まることになる。もし、教役者の説教がお決まりの釈義にも至らない勧話程度に過ぎないのであれば、聖霊の導きを求めつつそれぞれの生活を営む方々の現場の声を聴かせていただいた方が、ずっと魂の養いになるのではないだろうか。
 私は、聖書の言葉そのものの力を自分でしっかり受け止めているか、そして、聖書の言葉の力をそのままに会衆に伝えられているかということが説教の基本であると思うが、自分が説教する者として生きる脈絡の中で聖書の言葉をどのように捕らえているかということが欠落してしまえば、お決まりの釈義の域を脱けられないのではないかと思う。
 説教の「お決まり」を突破していくには、私に語られている聖書の言葉を私がどのように受け止めているのか、聖書に分け入りまた自分に分け入っていく覚悟が改めて必要なのだろう。 
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2021年09月18日

祭壇の花 明後日の主日礼拝のために

2021年9月17日(金)
祭壇の花 明後日の主日礼拝のために

 ちょうど松山聖ルカ幼稚園の子どもたちと礼拝・誕生会をしていた時に、明後日の主日礼拝のためのお花をお持ちくださった方がある。
 日本列島に台風が接近しており、明日の天候がどうなるのか分からず、今日のうちにお届けくださった。
 その方は、ご自宅の広い敷地に野菜や草花を育てておられ、それもできるだけ「自然な状態」での管理を心がけて、必要以上に雑草処理することもなく、野菜や草花も伸び伸びと育っているように感じられる。玄関前に書き置きと一緒に置かれた秋の花々も綺麗だ。玄関前は西日が当たる場所なので、バケツを直ぐに室内に移したが、それぞれの花の水揚げがどうなるのか、少し心配だ。
 夏を迎える頃、妻とその方のお宅を訪問して、畑を案内していただいたときは、楽しかった。お持ちくださった花々があの庭のあちこちに咲いている姿を想像する。台風の雨風が強くならないことを願う。

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2021年07月31日

原爆の図丸木美術館見学

7月27日(火)丸木美術館訪問
 「原爆の図丸木美術館」へ行ってきました。
 東松山市に住むようになって4ヶ月。記憶では26年前に家族で行ったはず。
 内容は当美術館のホームページに委ねることにします。
 あのように「原爆の図」を幾つも描かせた原爆の破壊的エネルギーとその悲惨さ。それは被爆地のことに限らず、ずっと尾を引いています。丸木位里(1901-1995)、丸木俊(1912-2000)のご夫妻があの悲惨なエネルギーを絵画で表現したその情熱エネルギーに圧倒される思いでした。

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埼玉ピースミュージアム(埼玉平和資料館)

7月21日(水)埼玉ピースミュージアム(埼玉平和資料館)
 ぶらり100分、埼玉ピースミュージアムへ行ってきました。
 東松山聖ルカ教会から車で約15分(関越自動車道東松山I.Cからも15分)。
 資料館のパンフレットには、「戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるために、平成5年(1993年)8月1日に開館しました。(西暦年号は引用者による附記)」とあり、戦争に関する資料や生活用具などの調査、収集、保存、展示を行ったり、戦争体験者の証言の記録、講演会などの開催をはじめとする事業を行い、「戦争の悲惨さと平和の尊さを時代に継承」を目的とした資料館です。ある意味、特徴の無い平凡な資料館ですが、やはり内容には重いものがあり、このような資料館が存在することの大切さを思います。
 隣の熊谷市は第二次世界大戦最後(1945年8月14日午後11時30分頃から約1時間)の空襲被爆市です。死者266名は埼玉県下最大の被害であったようです。6発の大型爆弾と8049発(581トン)の焼夷弾が投下されたとのことですが、終戦で要らなくなる爆弾類の処分投下という見方もあるようです。
 タワーから関東平野が360度展望できます。写真はタワーから東松山市内方面。

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2021年07月12日

7月11日(日)突然の豪雨と落雷

7月11日(日)突然の豪雨と落雷
 このところのゲリラ豪雨には、凄まじいものがあります。
 東松山では、昨夕6時30分頃から激しい雷雨がありました。また、雷が原因でしょうか、10分近い停電もありました。これほどの強い雨はめったに経験したことがありません。いわゆる雨台風の暴風雨圏に入っているときのような思いになりました。雨が通り過ぎて、玄関を出てみると、「ああっ!」。ここまで育ってきたバラのシュート(新枝)が強風でもがれるように折れてしまいました。
 強雨に撃たれなければ問題ないと思っていたけれど、甘かったな。まさかそれほどの風も吹くとは。悔しい。
 私の被害はこの程度でしたが、おそらく同じような豪雨をもっと長時間受けて被災された静岡県、島根県、鳥取県をはじめとする方々のため、祈っています。

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2021年07月01日

吉見百穴を訪ねて

先日(6月22日)、自分の「地域学習」と理由付けして、吉見百穴を訪ねました。
 私は、生まれてから30歳を過ぎるまで、ずっと埼玉県浦和市に住んでいました。小学4年生(1960年頃)の「冬休み学習帳(もしかしたら、夏休み学習帳だったかもしれない)」に、「埼玉県のカルタを作ろう」という課題があり、その例として「う」は「浦和は県庁のまち」という言葉が載っていました。私は五十音全部を作らねばならないと半ば義務感を抱きましたが、それはとてもできることではなく、家族総出で取り組んだことがありました。
「あ」の「安行植木の名産地」は父親のアイディア。「い」の「岩槻人形かわいいね」は母親。「う」は例示されていた言葉のリズムが悪いので気に入らず私が「浦和は県の中心地」としました。「え」は何があるだろう、と行き詰まりそれは後回しにして、「お」は「大宮は各方面の分かれ道」。そして、できないものは後回しにしながら幾日かかけて最後の「よ」まで来て、もういい加減嫌気がさしていた私に、母親が「よ」は「吉見百穴古代のお墓」と提案してくれました。今から60年ほど前に初めて耳にした「吉見百穴」という言葉は、不思議にも私の中に残り続けていました。
 この4月から東松山での生活が始まり、車を走らせていると所々で吉見百穴を案内する道路標識が目に入ります。「何だ、こんなに近いのか。」と思い、今回、初めてこの百穴を訪ねてきました。
 吉見百穴は、いわゆる古墳時代後期(7世紀後半)に造られた横穴墓群で、237穴が発掘されており、1923(大正12)年3月7日に国の史跡に指定されています。
 実際に現地に行ってみて、「ああ、やっぱり・・」と思ったことがありました。それは、第2次大戦下に掘削された軍需工場造設の地下壕跡があることです。埼玉県・吉見町発行のパンフレットには、「航空機のエンジン部品を製造するための、大規模な地下軍需工場が造られました。吉見百穴の下にも巨大なトンネルが碁盤の目状に幾つも掘られています。」と記されています。この掘削工事のため十数個の横穴が消滅し、現在確認している横穴墓は217基であるとのこと。
 人間の命を惜しみ或いは魂の平安を願って死者を弔ったであろうこれらの埋葬穴群に、千年以上も後に生きる人間が戦争兵器製造の国策により、ずかずかと、民衆が気持ちを抑えざるを得ないような大義名分を立てて入り込んでくるダイナミズムはここにも働いたのか、というのが、上記の私の「ああ、やっぱり・・」という言葉の中身です。
 終戦後のそしてこれからの吉見百穴は、そのような意味をも含めて、古墳時代の史跡であると共に第2次世界大戦時代の史跡であるという二つの意味において、日本の史跡として捕らえて後世に伝えていくべきであろうと考えます。
 今回吉見百穴を訪ねてここに地下壕が掘られたことを知り、私は35年ほど前に家族で訪ねた長野県松代の大本営移設計画の地下壕を連想しました。そちらの地下壕掘削工事には多くの在日外国人が過酷な労働を強いられました。その地下壕で見学できるのは隧道のほんの一部ですが、ほぼ完成していたという天皇御座所や現在は地震研究所が使用している箇所などは見学できませんでした。私は、可能な限り、正しい史料と共にそれらの場所も広く開示されるべきだと思っています。
 その松代を含めた夏の旅の帰り道、東松山インターを降りて丸木美術館を訪ねましたが、そこにも近いうちにまた「地域学習」に行きたい、と思っています。

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posted by 聖ルカ住人 at 16:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする