2025年12月15日

洗礼者ヨハネを生かすイエス      マタイによる福音書11章2~11節     A年降臨節第3主日 2010.12.12

洗礼者ヨハネを生かすイエス      マタイによる福音書11章2~11      A年降臨節第3主日 2025.12.14


  今日の聖書日課福音書は、救い主イエスを指し示した洗礼者ヨハネと主イエスの関係を理解する上での大切な箇所です。

 主イエスは、マタイによる福音書第1110節で、旧約聖書のある箇所を引用して、洗礼者ヨハネを神の歴史の中に位置付け、洗礼者ヨハネを意味づけています。

 主イエスは、「見よ、私はあなたより先に使者を遣わす。彼はあなたの前に道を整える」と書いてあるのはこの人のことだ、と言って、主イエスが洗礼者ヨハネを意味付けておられます。

 洗礼者ヨハネは今、囚われの身となって獄中にいます。なぜ投獄されることになったのかについては、マタイによる福音書の第14章に記されています。

 当時ユダヤの地方を治めていた領主は、ヘロデ・アンティパスでした。彼の父は、いわゆるヘロデ大王であり、救い主誕生の知らせをきいて、ベツレヘム周辺の子どもを殺した人物です。その息子であるヘロデ・アンティパスにはフィリポという兄弟がいました。アンティパスは、兄弟フィリポの結婚相手であるヘロディアを奪って自分の妻にしてしまうのです。ユダヤの人々は、神殿の指導者たちも、このようなヘロデ・アンティパスを批判的に思いながらも、この男を恐れて黙っていました。

 そのような中、洗礼者ヨハネはヘロデのところに出向き、公然と「その女をめとることは許されない(14:4)」と告げるのです。ヘロデは自分を批判するヨハネを捕らえて牢に入れました。ヘロデは、ヨハネを殺そうと思うのですが、群衆がヨハネを支持していることを考えると殺すことをためらい、殺す理由も見つからず、ヨハネを牢の中に置いたままにしていました。ヨハネは、ヘロデ・アンティパスによっていつ殺されるか分からないまま牢の中で過ごしています。

 洗礼者ヨハネは、ヘロデに捕らえられる前には、人々に神の怒りが差し迫っていることを大声で叫び、悔い改めを説き、その徴となる洗礼を授けていました。その言葉と行いによって神の義を示す洗礼者ヨハネは、ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻を奪った不義についても、毅然とした態度でヘロデに迫りますが、そのためにヨハネは今獄中の身となっています。

 獄中の洗礼者ヨハネにも、救い主イエスの働きについての風評や噂は伝わってきます。ヨハネは自分の使者(弟子)をイエスのところに遣わして、こう尋ねるのです。

 「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか(11:3)。」

 洗礼者ヨハネは、自分がヘロデに殺されることを予感して心が揺らいでいます。自分が全身全霊をかけて「自分の後には救い主が来る。その時のために、悔い改めて洗礼を受けよ」と叫び、「私はその履き物をお脱がせする値打ちもない」と言って、人々に備えを促しました。

 ヨハネが指し示したイエスが本当に「来るべきお方(救い主)」なのかと、ヨハネは自分の弟子をイエスのところに遣わして尋ねさせ、自分のしてきたことに間違いなかったことを確かめないわけにはいきませんでした。ヨハネは自分の死が迫っていることを予感し、自分の働きの確証を求めたくなっていたのです。

 洗礼者ヨハネは、自分のしてきたことが、何かによって、また誰かによって、しっかりと消えない意味を与えられなければ、自分の人生が虚しいものになってしまうのではないかと言う思いが心をよぎったのではないでしょうか。

 「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」

 主イエスは、洗礼者ヨハネに遣わされて来た者たちにお答えになりました。

 「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病(規定の病)を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである(11:4-6)。」

 主イエスがヨハネの弟子たちに伝えたこの言葉は、旧約聖書イザヤ書第35章の言葉です。預言者イザヤは、この世界に神の御心が完成したときの姿を思い浮かべてこの言葉を述べています。この世界に神の御心が取り戻されたとき、すべての人の目が開け、すべての人が自分の足で歩き、すべての人が本当のことを聞き分け、死んだ人も生き返り、貧しい人にも喜びの知らせがもたらされるのです。イザヤは、預言者として、メシアが到来した時の様子をそのように謳いました。

 主イエスは、洗礼者ヨハネの弟子たちに、その時が既に今来ていることをヨハネに告げなさいと言っているのです。イザヤが預言した救い主の到来は、今、実現していると主イエスは言っておられます。そのことをあなたたちはヨハネに伝えなさいと、主イエスは言っておられるのです。

 洗礼者ヨハネは、戻ってきた使いから、御言葉を受けました。主イエスこそヨハネが指し示した救い主であることの確かな知らせが、ヨハネに届いたのです。これでヨハネは、自分のすべてを主イエスに委ねることができます。そして、ヨハネはイエスを指し示して生きた自分の生涯に大きな満足を得たことでしょう。

 洗礼者ヨハネは、この後、ヘロデの誕生の祝いの日に、奪った妻ヘロディアとその娘サロメの悪巧みによって首を切られて殺されることになります。洗礼者ヨハネは、そのようにして自分の生涯が閉じられることになっても、自分が生きたことの意味を主イエスによって確かにされ、不安や恐れも乗り越えることができたことと思います。

 洗礼者ヨハネは、旧約聖書の預言者たち、ことにイザヤが指し示した神の救いが、主イエスによって完全に示されている事を告げられ、確信をもって神のもとに召されていきました。

 救い主イエスの出現を指し示して生きた洗礼者ヨハネは、「旧約時代の最後の預言者」と位置づけられます。そのヨハネの働きは、主イエスによって確かな意味を与えられました。例え権力者によってその生涯が理不尽な形で終わるとしても、洗礼者ヨハネの生涯は主イエスによって決して消えない意味が与えられ、ヨハネは永遠の命に生かされるのです。

 視点を洗礼者ヨハネの弟子たちのことに移してみましょう。獄中のヨハネに遣わされてイエスの許に行った使者たちは、主イエスに会い、イザヤ書の御言葉によって彼らの先生のことをしっかりと意味づけられ、今度は主イエスからいただいたそのメッセージをヨハネのところに携えていく役目を主イエスから与えられています。洗礼者ヨハネの弟子は、主イエスに会い、主イエスからメッセージを受けることよって、その役割が変わるのです。洗礼者ヨハネの弟子たちは、これまでとは違った主イエスの福音の光を放つ者となるのです。

 そして、このことは洗礼者ヨハネとその弟子たちに限ったことではなく、旧約時代に神の言葉を取り次いで生きた預言者たちにも言えることです。

 つまり、ここで旧約の時代から救い主イエスを与えられた新しい時代になるのです。

 天体にたとえるなら、太陽系の惑星は、地球も火星も木星も、水星も土星も、みな太陽を中心にして位置づけられて初めて自分の軌道が定められるように、旧約の時代を生きる者も新約の時代を生きる私たちも、主イエスによって与えられた神の愛の中に受け入れられ、生かされていることを知るとき、私たちは初めて自分が掛け替えのない命を受け、神に愛されて生きていることを認め、その感謝と喜びを与えられるのです。また、惑星は、どの星も皆自分で光を放つのではなく、太陽の光を映し出しているように、私たちも主イエスを映し出して生きる時に人として光り輝く者とされるのです。

 今日、私たちは、洗礼者ヨハネもそうであったように、私たちも一人ひとりが主イエスに愛され生きる意味を与えられている者であり、永遠の命のうちに生きることものとされることを教えられ、確認しています。

 教会暦における主イエスご降誕を祝う日も近づいてきます。私たちは主イエスよって与えられる喜びの恵みに与り、神の愛の光を輝かす者になるように導かれましょう。

posted by 聖ルカ住人 at 09:40| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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