清められた10人の[規定の病]を負った人 ルカによる福音書17:11-19 聖霊降臨後第18主日(特定23) 2025.10.12
主イエスは、サマリアとガリラヤの間を通って、エルサレムに向かっておられます。主イエスがある村にお入りになろうとすると、10人の重い皮膚病を病んでいる人たちが現れ、大声で憐れみを請い求めたのでした。主イエスは、彼らに、祭司のところに行ってそのまま体を見せるようにお告げになりました。彼らは祭司の所に向かいますが、その途中でみな清められていることに気付きます。その内の一人は大声で神を賛美しながら戻って来て、主イエスの足下にひれ伏して感謝したのです。彼はサマリア人でした。主イエスはその人に言いました。
「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を崇めるために戻ってきた者はいないのか。」
そして主イエスはこのサマリア人に言いました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。
はじめに「重い皮膚病」という言葉について理解しておきたいと思います。
日本語訳では、かつての文語訳や1954年日本聖書協会訳の聖書等で、この言葉は「らい病」と訳されました。日本語で「らい病」と訳された言葉の原語ヘブル語ではツァーラアトであり、ヘブル語のツァーラアトは、新約聖書のギリシャ語で魚などの鱗()を語源とするλepροs であり、λepροs は英語で leprosy 、その病を得た人をleper と訳してきました。これらの言葉は、長い歴史の中で、元々の「ツァーラアト」という言葉が、今私たちが用いる「らい病」や「ハンセン氏病」と同じ意味なのかが不確かなまま、偏見や差別的な意味合いを含みながら用いられてきたと言えます。
「らい病」の病原菌は、1873年にノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンによって発見され、その抗菌薬プロミンが発見されたのは1940年のことでした。旧約聖書のツァーラアトや新約聖書のレプロスが、やがてハンセン医師によって病原菌が発見された「らい病(ハンセン氏病)」と同じ病原菌によるものかどうか確かでなく、近年、聖書を翻訳する場合にもこの「ツァーラアト」や「レプロス」をどう訳すべきかは大きな課題となって来ました。1987年に刊行され現在私たちが用いている聖書新共同訳では、かつて「らい病」と訳された言葉は「重い皮膚病」と訳され、2018年に発行された聖書協会共同訳では「規定の病」と訳されています。また、他の出版社から発行された日本語訳聖書(新改訳)ではツァーラアトのままカタカナで用いています。
さて、旧約聖書レビ記第13章45節には、重い皮膚病に関して次のように記されています。
「規定の病を発症した人は衣服を裂き、髪を垂らさなければならない。また、口ひげを覆って、『汚れている。汚れている』と叫ばなければならない。その患部があるかぎり、その人は汚れている。宿営の外で、独り離れて住まなければならない。」
その箇所からも読み取れるように、規定の病(ツァーラアト)は、現代のように医学的、細菌学的に診断していたわけではありません。当時、病は、その病をもつ本人なり先祖が罪を犯し、その罰としてのしるしが身体に表れていると考えられました。その中でもこの「ツァーラアト(規定の病)」は、その病の重さのゆえに、最も恐れられた病だったのです。
旧約聖書レビ記に記されている規定によれば、この病の人は、宿営の外で-つまり健康な人々の生活の場の外に-排除されました。そして、町の門の外で、例えば旅をする人がこの病の人に気付かずに近寄ってきたときなど、自分の名を名乗る代わりに「汚れた者です。汚れた者がここにいます」と叫んで相手の注意を喚起し、自分の方からとその場を立ち去らなければならない、とされていたのです。
主イエスと弟子たちの一行は今エルサレムに向かっていました。
この病の人たちは、ユダヤ人もサマリア人も互いの違いを忘れ、日頃の差別意識などすっかり消えて、でもお互いに自分の素性を明かすこともなく、肩を寄せ合うようにひっそりと町の外で暮らしていたのでしょう。
彼らは主イエスがその近くを通ると聞くと、「私は汚れています」と叫ぶのではなく、主イエスに向かって憐れみを求めて大声で叫ぶのです。主イエスはそれに応えて、彼らにそのまま祭司たちの所へ行って見せるようにお告げになりました。
旧約聖書の規定では、ツァーラアトの者は、祭司によってその病が消えていることを認められると、浄めの式を行い、それを終えて初めて他の人々との交わりに復帰することができました。でも、主イエスは、憐れみを求める10人の病者に、その症状があるまま、自分たちを祭司に示すように言われたのです。
ユダヤ教の浄めの規定に従えば、神殿に行って祭司に体を示して浄めの祈りを受けられるのはその病が癒えた後です。でも主イエスはこの10人に、直ぐに立って祭司たちのことろに行くように命じたのでした。
この点についてある聖書学者は次のように説明しています。
この個所は、主イエスがこの病のために排除された人たちを立ち上がらせ、自分たちが差別を受けている実情を差別する者たちに突き付けるように勇気づけた物語である、と言います。
この病の人は、体が健康を害している以上の差別を受け、苦しみを味わっています。病者であれば、健康な人以上に周りの人たちの憐れみを受け、看護される必要があるでしょう。それなのに、彼らは生きることを認められず、体の苦しみ以上の社会的な苦しみを味わうのです。主イエスは、その実情を、差別している者の代表的立場にある祭司に示すように促していると考えられます。
そして、主イエスの言葉に促された10人は、皆立ち上がり、皆清められました。言葉を換えれば、この10人は主イエスによって本当の自分を回復し、一人前の人間として人々の中で生きていくようにされたのです。彼らは主イエスに立ち上がらせていただきました。そして、神殿に向かう途上で皆浄められています。
けれども、その中で自分が癒されたことを知って、大声で神を賛美しながら戻ってきたのは、ただ一人だけでした。しかも、その人は日頃イスラエルの民から差別され交わりを絶たれていたサマリア人でした。主イエスは言われました。「清くされたのは10人ではなかったか。他の9人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を崇めるために戻ってきた者はいないのか。」
ツァーラアトを病んで見捨てられ、誰一人相手にしてくれる者などなかった時、主イエスはその人々の叫び声を受け止めてくださいました。そして、主イエスは、彼らに立ち上がってその姿を祭司たちに示すように指示してくださいました。主イエスは、彼らがワラにもすがるような思いで必死に叫んだ時、「汚れた者よ、下がれ」とは言わず、彼らの叫びに応えてくださっています。そして、そのみ言葉に従って立ち上がり、歩み始めたとき、この人たちの内に自分は主イエスに受け入れられ、愛され、人間として生きる力を与えられていることに気付いたのでしょう。主イエスのみ言葉は、絡みついてくる差別や偏見から解き放ち、大切なその人として生きる事へと導いてくださいます。
10人の重い皮膚病の人たちが主イエスによって清められましたが、それは、これからも主イエスとの交わりを深め、その恵みの中に生きていく信仰の入り口だったはずです。他の9人のイスラエル人は浄められた後どうしたのでしょう。彼らは、自分が浄められて、自分の願いが満たされると、またユダヤの祭司階級を頂点とした制度の中に戻って、サマリア人を差別しながら自分を高みに置く生活を始めていったのではないでしょうか。
主イエスの戻ってきてひれ伏すサマリア人に目を向けてみましょう。
このサマリア人は、自分の病が浄められたことを通して大声で神を賛美する事へと導かれています。初めは遠くから憐れみを求めて叫ぶほかなかった人が、今は主イエスの足下にひれ伏して感謝し、恵みを与えてくださった神を賛美しています。
肉体的、物質的な恵みは分かりやすく、人を喜ばせます。そして、それは大切なものでもあります。でも、受けた恵みは忘れやすく、過ぎ去り消えていくことも多く、それゆえにもっと多くを求めたくもなります。主イエスの許に戻ってきたこのサマリア人にとって、自分が浄められた事は単なる肉体的な恵みに留まらず、主なる神から受けた恵みに応えて、感謝し賛美する事へと導かれています。このサマリア人は、この先、差別や偏見に悩み苦しむ人の友となり、自分が主イエスから受けた愛を分かち合うために尽くすことが予想されます。 主イエスはこのサマリア人に言います。
「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
主イエスは、この人が浄められた事に留まるのではなく、「立ち上がって行きなさい」と促します。
主イエスの体である教会に連なる私たちも、同じ信仰に生かされ、感謝賛美へと導かれ、主イエスの祝福を受けつつ生きる者です。私たちは自分の苦しみや困難を主イエスに叫び、憐れみを求めましょう。そして主に対する感謝と賛美をささげる者となり、それぞれの信仰を養われ導かれる歩みを進めて参りましょう。

