主に全てを献げる マルコ12:38-44(B年特定27) 2024.11.10
2024年11月10日 聖霊降臨後第25主日 説教小野寺達司祭 (はじめの2、3分過ぎより)
今日の聖書日課福音書は、律法学者たちが敬虔を装いながらも実際は神のことを思わず人目を気にしたり貧しい人を食いものにしているのに対して、貧しいやもめが心からの献げ物をする姿を対照的き、主イエスがその貧しいやもめに目を留められた物語の箇所が取り上げられています。
今日の聖書日課福音書の後半の「やもめの献金」の箇所は、簡潔な記述でそのメッセージも明確ですが、この箇所を旧約聖書との関わりを意識しながら学びたいと思います。
旧約聖書の中には、イスラエルの民に対して、貧しい人々や弱い立場の人々を配慮すべきことを教えている箇所が沢山あります。
例えば、申命記第15章には「負債の免除」や「奴隷の解放」のことが記されており、第15章11節では「この地に住むあなたの同胞、苦しむ者、貧しい者にあなたの手を大きく広げなさい。」と教えています。イスラエルの民の間では、親を失った子や夫に先立たれた女性など身寄りのない人を世話していくことが当然のことと考えられました。その実践例として、人々は3年ごとにその年の収穫から十分の一を取り分けて蓄えていたことなどが挙げられます。そのようにして、耕す土地のない異国からの寄留者や身寄りのない子どもや老女たちも食物を得ることが出来るように配慮したのでした。
申命記にはその他にも、金を貸す時に不当に高い利息を取ってはならないことや、7年に1度畑を休耕にして、その年にその休耕畑が生んだ作物は貧しい人々が自由に収穫することを認める掟なども記されています。
また、レビ記の中には、麦を収穫する時に、やもめや身寄りのない子どもたち、寄留の異国人のために畑の隅を刈り取らずに残すこと、束ねる時に落とした穂は拾い上げずにそのまま畑に残しておくように(19:9-10,23:22)と記されています。ミレーの名画『落ち穂拾い』もこうした思想を背景に、聖書の物語を題材にして描かれたものであり、畑の持ち主が一本残らず無駄のないように落ち穂を集めている様子を描いた作品ではありません。
こうした旧約聖書の律法の言葉の土台になっている精神は、イスラエルの民の中で互いに助け合うことや弱い立場の貧しい人々を配慮することであり、それは神に選ばれた民として当然のことと考えられました。そのような信仰が、次第に体系化されて制度となり、律法の文言は更に詳細に口伝として伝えられるようになったと言えるでしょ。
しかし、主イエスの時代のイスラエルの社会状況は、必ずしも旧約の律法の精神が人々の間に浸透していたわけではありませんでした。また、律法学者たちの言動も、必ずしも神の御心をこの世界に具体化するのに相応しいものではありませんでした。
今日の聖書日課福音書の前半で主イエスが指摘して厳しく批判しているように、当時の律法学者は自分の身分の高さを人前で誇り、神殿の境内で人々から尊敬の目を向けられることを喜び、神殿や会堂でも、また宴の席でも上席に座る者であることを自慢していたのでした。
主イエスは、ユダヤ教の指導者たちが敬虔ぶった姿を人々に示して見せかけの長い祈りをする一方で、弱く貧しい立場の人々を少しもかえりみようとしない姿を見抜いておられました。そして、主イエスはそのような律法学者を含めた神殿の指導者たちを厳しく批判なさったのでした。
主イエスは律法学者のことを「やもめの家を食い物にする」と言って批判しておられます。この批判は、多くの人々が孤児ややもめなどのために捧げる献金や献げ物を律法学者たちが自分たちの都合のよいようにあれこれと理由をつけて横取りし、私腹を肥やしてたことによると考えられます。
今日の聖書日課福音書の出来事は主イエスが十字架にお架かりになる直ぐ前の火曜日の出来事であり、この日は「論争の火曜日」と言われています。主イエスが十字架へと向かわせたのは、主イエスがこの日の論争で祭司長や律法学者などユダヤ教の指導者たちをハッキリとしかも厳しく批判したことが大きな原因、口実になりました。主イエスは、自分の言葉や行いが十字架に向かうことになっても、神殿の指導者たちが弱く貧しい人々を少しも顧みず特権意識の上にあぐらをかいている姿を見過ごしにすることが出来なかったのです。
今、主イエスはエルサレム神殿の外庭にいます。律法学者たちが何とかしてイエスを言葉の罠にかけてイエスの言葉尻を捕らえようと無理難題を持ちかけましたが、主イエスは彼らの挑戦を悉く打ち砕きました。恐らく指導者たちは主イエスの批判を逃れるために、イエスの前から引き下がっていったのでしょう。
そのような時、主イエスは一人の貧しい女性が神殿の中庭(女性の庭)に入って来たことに目を留められました。この貧しいやもめは、その身なりも見るからに貧しくみすぼらしかったことでしょう。幾つか置かれている献金箱は金属のラッパの口のような受け皿があり、お金を入れると音がしました。多くの人が意図的に大きな音を立てて献金をする仲、貧しいやもめは静かに祈りレプトン銅貨2枚をそっと献金箱に入れました。レプトンは当時の一番小さな単位の貨幣で、1レプトンは当時の労働者一日の賃金1デナリオンの128分の1です。(一日の労賃が12,800円とすれば1レプトンは128円です。)レプトン2枚が今このやもめの持っている全てであり、この人はそれを2枚ともお献げしたのでした。神殿の指導者や大金持ちたちはこのやもめには目もくれず、もしかしたら主イエスの弟子たちでさえこの女性を気に留めなかったと思われます。
でも、主イエスは、このやもめが神に心を向けて心からの献げ物をしていることに目を留められたのです。
主イエスは弟子たちを呼び寄せて言われました。「よく言っておく。この貧しいやもめは、献金箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から持っている物すべて、生活費を全部入れたからである(12:43,44)。」
主イエスがこう言われた時、神殿には普段とは違う空気が流れました。権力や財力とは別の観点から、神のお喜びになる出来事が起きていることが、主イエスによって指摘されたのです。
エルサレム神殿について少し別の視点から考えてみたいと思います。
主イエスの時代よりも千年前、イスラエルの王になったダビデはエルサレムに神殿を建てたいと考えました。しかし、主なる神は軍人であるダビデに主の宮を建てることをお許しになりませんでした。そこでダビデは息子ソロモンに神殿建設の夢を託してダビデはそのための資金を用意するのです。自分の金銀財宝を神殿建設のために差し出し、家来たちにも主の宮を建てるための寄進を呼びかけます。すると、ダビデの周りの高官や側近たちも自分の財産を差し出して神殿建設の資金が奉献されたのでした。
その時、ダビデはイスラエルの全会衆の前で主を讃えてこう言いました。
「取るに足りない私と、私の民が、このように自ら進んで献げたとしても、すべてはあなたからいただいたもの。私たちは御手から受け取って、差し出したに過ぎません(歴代誌上29:14)。」
レプトン2枚を献げたこの貧しいやもめも、自分の全ては主の御手から受けたものであり、主から受けたものを主にお捧げする思いで、例えレプトン2枚であっても、自分の全てを主に献げたのでしょう。人の目に映る華やかさの点ではダビデのようではなかったとしても、その信仰の点では、一千年前に同じ場所でダビデが祈ったのと同じ姿がこの貧しいやもめによって再現されていると言えます。しかもその出来事は、ユダヤ教の指導者たちによってではなく他の人からは見向きもされない貧しいやもめによって現わされているのです。主イエスは、神の宮である神殿が権力や財力が支配する場所になることを喜ばず、自分の全てが捧げられる礼拝の場となることを望んでおられたのでしょう。
主イエスは私たちのことをこうして主に宮に招いてくださいました。私たちはこの礼拝で、貧しいやもめと同じように主イエスの眼差しを受けています。私たちは全身全霊の礼拝を献げ、ここから各自が遣わされていく生活の場で、各自の思いと言葉と行いの全てが礼拝の行為となるように遣わされていきます。私たちは、神と人に仕えることを通して私たちの全てが神を誉め讃え神を証しする者となるように促されています。