一つひとつの積み重ね
朝のジョク&ウォークで、ある家の庭に植えられたキュウリが立派に生長していることに気付きました。8月も中旬になると、農家では春植えのキュウリは処分して秋野菜の植えつけをする準備に取り掛かることも一般的です。春植えキュウリの収穫を秋まで狙ってもそれは難しいことで、暑さに株が弱り、葉は虫に食われ、水遣りと追肥を心掛け、それでも花が咲いても結実しない例もあります。でも、その庭のキュウリはなんと元気なこと。
ある日、そのお宅の庭に人が出ていたので、声をかけてみました。「キュウリが立派に育って、他の花々も元気で、何か秘訣でもあるのですか?」
その人は微笑んで話して下さいました。
「秘訣と言っても別にないのですよ。3月に元肥を入れて土作りして、苗は良い苗を買って、実り始める頃から追肥をしています。」
「ウリハ虫は来ませんか?」
「来ますけれど、それ程の被害はないですね。納豆菌水なども使っています。」
「ああ、納豆菌水、私も試しています。」
「YouTube見ながらやっています。それに庭先だから毎日お世話できるし。一株からもうすぐ100本収穫になります。」
「菊の葉の色も良いですね、元気そう。」
「でも、お盆に間に合わなくて・・。」
短い時間でしたが楽しい会話でした。
その人が「秘訣などないけれど」と言いながらもすべきことは丁寧にしている様子が私にはよく分かりました。そして私は「やっぱり総合力だな」と独り言をいいました。
野菜や草花を育てるには、特別な工夫や秘策が必要なのではなく、当たり前の事をどれもしっかりとすることが大切なのでしょう。
良い土壌をつくる、良い種や良い苗を用意する、適度な水と日差し、病気や害虫を避ける、生長に応じて追肥する、雑草をぬく、脇芽を摘む、収穫を忘れない等々。
専門家が診れば、花でも野菜でも健康に育っているかどうか、もしそうでないなら何が生長を阻害しているのか、一目で分かるようです。もし何か秘訣があるとすれば、すべきこと一つひとつの積み重ねの上に更に何かの要素を一つ加える程度のことなのではないでしょうか。
ここから話は、私たちの信仰生活のことです。
私たちが生きることも、何か特別に大それたことをすることではなく、毎主日の礼拝を大切にし、日々の祈りに励み、聖書の言葉を心に宿し、目の前の出来事一つひとつを神にお応えする思いで対応していくこと。この積み重ねが信仰の実が豊かに結ぶことにつながります。神から与えられた自分の心身を慈しみ、御心に適う生活を心掛けることの大切さを改めて思います。その上で、何か人生を豊かにするための秘訣があるとしても、それは上記のことに何か一つを付け足す程度のことになるのではないでしょうか。
時には、一つひとつの積み重ねを心掛けても、なかなか自分の思い通りにならないこともあります。それでも御心を行うことを心掛ける人と共に主イエスは生きてくださるのだと思います。主イエスの許で重荷を下ろしてまたその歩みを進める私たちを主イエスは共に生きて導いてくださるでしょう。
(『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信2024.09.01 第39号)