前を向いて
わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 (ローマの信徒への手紙 5:3-4)
もう40~50年も前のことですが、私の恩師がよく「今の若い人たちは悩み方を知らないのよね。」、「どうせ悩むなら上手に悩みなさい。」と言っておられました。私もそのように言われる対象のひとりでした。
私たちが生きていく時に、自分の思い通りにならないことや好ましいとは思えない状況に置かれることは沢山あります。いや、生きていくということは様々な課題に次々と出会い、それにどのように向き合うかということなのでしょう。順風満帆の人生は、たまたま良い風向きを授かっただけのことで、振り返ってみれば自分の力を少しも出さずに過ごしてしまったことを悔やむことになることもあり得るのです。
子育てで大切なことは、安全安心の温室に子どもを置くことではなく、それぞれに置かれた環境の中で、一人ひとりがしっかり自分として生きていく力を育てるように支援することです。今、教育界で流行の言葉を用いれば、その力を「非認知的能力」と言います。
かつて、ある研修会の小グループで話し合っているとき、若い先生が「クラスに落ち着かない子どもがいて、担任の私は力不足でなかなかクラスがまとまらなくて・・・。私は悩んで胃腸炎を起こして2日間寝込んでお休みしてしまいました。同僚にも重ねて迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っています。」と、ご自身の悩みを話してくれたことがありました。
私は、その若い先生に、少し冗談も交えて、次のように伝えました。
「胃腸炎を起こすほどに悩むのは、あなたが一所懸命に自分の仕事に取り組んでいるからこそのこと。もしあなたの2日間の欠勤を本当に迷惑だという同僚がいたら、『私は胃腸炎を起こすほど真剣に保育しているのよ。あなたも自分の保育についてそれほど悩んだことあるの?』って言ってやりなさい。あなたが自分に不足していると感じているその力を付けたいのなら、具体的に何をどう勉強すれば良いのかを調べて勉強し、実際の場面ではどのようなアドヴァイスを得たいのかをはっきりさせて上司や同僚に尋ねて、目の前の課題を一つずつ越えていくことをお勧めします。そうする中で、あなたは保育者として力をつけていくでしょう。抱え込んで悩むのではなく、前向きに建設的に悩みましょう。」
私は、このように生きることが、神さまが与えてくださった人生を自分として豊かに生きることにつながると考えます。その中で経験する試練や苦難は決して悪いことではありません。厳しい状況に置かれても、やがてその時を振り返ってみれば、「あの時のあの試練があったからこそ、今があります。」と感謝する時が必ず来ることを信じて歩んでいきましょう。
私は、あの研修会でご自身の悩みを語ってくださった若い保育者とその場面を思い出して、あの人は建設的に悩みながら頑張っているだろうかとふと思うことがあります。
私たち教職員も保護者の方々も、子どもたちと共に、神さまから与えられた大切な自分の人生を建設的に前向きに歩んでいけますように。神さまの御守りと導きをお祈り致します。