2024年05月28日

御国が来ますように(愛恩便り2019年3月)

御国(みくに)が来ますように 

 御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。(マタイによる福音書第6章10節)


  「主の祈り」は、キリスト教徒が古くから伝承してきた大切な祈りであり、「聖書」の中に、イエスさまが弟子たちに「だから、こう祈りなさい。」とこの祈りを教えておられる箇所があります。

 「主の祈り」の中に「御国が来ますように」という言葉があります。私たちの生きているこの世界に「御国が来る」ということは、どこか特別の地域を区切ってそこをキリスト教徒の領土にすることではありません。そうではなく、御国とは、私たちが生活している直中に「そこには確かに神が共にいて祝福していてくださる」という姿が現れ出る状態のことであり、言い換えれば、「神さまの願っておられる姿が私たちの生活する場に現れ出てくること」であると言えるでしょう。

 そうであれば、私たちが「み国が来ますように」と祈ることは、私たちがただじっとしていれば神さまが理想の世界をもたらしてくださるように願うことではなく、私たちを天の国を実現させるための働き人として用いていただけますように、という意味が込められていることが分かります。私たちは神さまからこの世に命を与えられ、それぞれに与えられた自分の命を用いて、神の願う世界が実現するように生きています。

 愛恩幼稚園でも、日々の小さな礼拝の中で、この「主の祈り」を唱えています。まだその深い意味までは理解できなくても「御国が来ますように」と日々祈りを捧げながらこの一年を過ごしてきた子どもたちが、やがて大きく育ち、神の国を実現する良い働きをする人になって欲しいと思います。それは、大袈裟なことではなく、自分の家族や友人を愛することや、自分の仕事を通して社会や隣人のために尽くすことなど、一見平凡でありながら、地道に神さまの御心を実践しようとすることから始まる働きであるように思います。

 神さまに心を向けて祈ることと、自分の隣り人を大切にしてその人々のために祈ることは分けることのできない一つのことであり、両者は十字架の縦の棒と横の棒に例えられます。そして、この両者がしっかりと組み合わされて十字架ができます。

 3月です。今年度の最後の月です。主イエスさまの教えてくださった「主の祈り」を心から祈りたいと思います。

 やがて子どもたちが、神さまの願う世界の実現のために働く人として、大きく羽ばたくことを夢見ながら、子どもたちと共に残り少ない日々を過ごしていきたいと思います。

posted by 聖ルカ住人 at 16:06| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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