2024年02月11日

仕えることと祈ること  マルコによる福音書1章29-39      顕現後第5主日

仕えることと祈ること  マルコによる福音書1章2939      顕現後第5主日  2024.02.04


2024年2月4日 顕現後第5主日 説教小野寺司祭 (youtube.com)

 主イエスの宣教の働きは、ガリラヤ地方で、病気の人々を癒し、悪霊を追い出し、福音を宣べ伝えて始まりました。主イエスは、休む暇もなく働いておられます。その一方、第1章35節には、祈る主イエスの姿が描かれています。

 「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れたところへ出て行き、そこで祈っておられた。」

 主イエスが、大勢の病人を癒し悪霊を追い出してお働きになるその源には、祈りにありました。

 主イエスの教えも行いも、祈りに裏打ちされていたと言えます。

 私たちは、主イエスがそのお働きをなさる上で、深く祈っておられることに目を向け、私たちも祈ることを通して主イエスに養われ、導かれながら、人々の良い交わりの中に生かされる者であることを確認したいと思います。

 祈ることについて、思い巡らせてみたいと思います。

 祈りは、神と深く心を通わせることであり、私たちは祈ることによって自分の心の深い思いや言葉に表せない深い呻きを含め、私たちの全てを神に触れていただき、受け入れていただきます。私たちは、祈りを通して自分の全てが神に受け入れられ、愛されていることを確認し、自分を神に委ねて生きることが出来るようになります。主イエスの御名によって神に祈ることは、自分自身とも深く関わり、その中で新たに自分自身と出会うこともあります。

 もし私たちがこのようにして自分自身と深く真実に関わることをしなかったら、私たちはどうして他の人々に関わる者として、真実で落ち着きのある関係をつくり上げることが出来るでしょうか。自分と深く向き合うことの出来ない者が他の人と深く真実な関係を持つことなど出来ません。また、祈りのない生活は、私たちの心の内側の世界に対する自分の感性をも錆び付かせます。

 私たちは、主イエスの十字架を、その縦棒を神との関係に、その横棒を人々の関係として例え、この縦の棒と横の棒の調和によって、私たちと神との関係が成り立つと教えられます。

 私たちは、祈りを通して神と向き合い、自分の心の一番奥深くまで神に触れていただき、私たちが自分で自分を理解するよりももっと深く自分を神に理解していただくことによって、初めて自分でも自分をよりしっかりと把握しながら生きていくことへと導かれるでしょう。そして、そのように自分を深く豊かに知る人が、他の人との関わりに於いても、相手の人としっかりと出会い、相手の人に正面から心と心を向き合わせることによって、相手の人に対しても建設的に支援する関わりを持つことが出来るようになるのです。

 例えば、専門職の心理療法士は、他人の心理的な病や悩みを共にすることを仕事にしますが、養成される過程で、またその仕事をしながら、自分自身がクライエントになって「教育分析」を受けるのです。他の人の内面に関わる者が、信頼のおける専門家のもとで自分がクライエントになって自分の内面に深く関わるのです。

 私たちが祈ることは、主イエスから「教育分析」を受けることに例えることができるでしょう。私たちが、信仰者として人々に関わることと祈ることの双方が車の両輪であり、私たちにとっての祈りは生活の中で欠かせないことなのです。

 私たちは今日の聖書日課福音書の中に「休む間もなく人々に関わる主イエス」と「人々から離れて祈る主イエス」という両面を見ることが出来ます。

 私たちは主イエスのお働きの中に、その両面、「祈り」と「交わり」の両面があることをしっかりと理解しておきたいのです。私たちにとっても、祈りによって神と深くつながることと、私たちの周りの人々に仕えて生きることは、信仰者として表裏一体、車の両輪で切り離すことの出来ない大切なことなのです。

 祈ることは、呪文を唱えることやまじないをするようなことではありません。私たちは、祈りを通して先ず自分が深く神と出会い、神に生かされることを確認することよって初めて、周りの人々に対する関わりもそこに神が共にいてくださる交わりになるのでしょう。

 主イエスの悪霊を追い出す働きも、その人を神に出会わせ、その人を神との交わりの中に生きるように導く働きであり、悪霊を追い出すことは、自分のことを棚に上げて他人の霊を操作することなどではないのです。

 教会は、主イエスの名によって祈ることで成長し、祈りによって示されたことを行いに表して世界に広がってきました。そして教会は、この祈りの力によって祈ることと仕えることの両面の働きを発展させ、礼拝することとこの世に仕えることを一つのこととして宣教の勤めに与ってきました。

 主イエスによって召し出された私たち一人ひとりも、人として成長しようとするなら、忙しさの中にあっても、先ず祈りを通してしっかりと神と向き合うことが求められます。そうすることを通して、私たちは他の人のことをもキリストと結び合わせる働きに与ることが出来るのではないでしょうか。

 私たち一人ひとりが祈りを通して主イエスと一つになることが出来ますように。そして主イエスが神と人に仕えたように、私たちもその働きに与る喜びを与えられますように。

 本日の特祷の言葉にあるとおり、私たちは主なる神への祈りを通して、行うべきことを悟る知恵とそれを忠実に成し遂げる恵みを与えられますように。

 この礼拝の後に予定されている堅信受領者総会が、主の導きのもとに進めることが出来ますように。 

posted by 聖ルカ住人 at 05:00| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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