躍動する心
「わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカによる福音書第24章32節)
私は、小さな子どもの動きを見るのが大好きです。よちよち歩きするくらいの年齢の子どもが遊ぶ姿を見ていると、こちらもとても楽しくなってくるのです。その年齢の子どもは、何にでも興味津々です。もしその子どもたちの心の中を覗くことができたら、彼らの心はきっと周りの物事に対する反応で躍動していることでしょう。例えば、道路を歩いているとき、子どもはちょっと高くなっている所を歩いてみたり、路上に引いてある線の上を歩いてみたり、水たまりの中に入ってみたり・・・。
でも、大人はついつい「急いでちょうだい!」「ほらほら、危ないから!」と声を掛けたくなり、時には子どもの腕を引っ張って、引きずってでも速く歩きたくなってしまいます。
私はそのようなときにも、子どもは自分の躍動する心を行動に表し、身体のバランス感覚をはじめ、視覚、聴覚、触覚などあらゆる感覚を刺激しながら、感性を育てているのだと思えるようになってきました。子どもたちは、そのような行為の中で、周りの物事に興味を持ち、そこに自分を関わらせ、楽しみながらやがてそれを自分の経験として心に納める、という学習の「初めの一歩」を、既に始めているのです。
もちろん、私たちは子どもたちに公共の場で他の人々に迷惑をかけることがないように教えていくことも必要です。しかし、自分の感性と意思でしっかりと生きていくことができるようになる土台は、自分が興味をもった事柄に触れてみて、味わってみて、その手応えを心と体に感じることなのです。
幼稚園は、集団で活動をします。そのねらいはみんなが画一的な行動を取るために訓練することではなく、お互いの躍動する心が行動となり、触れ合い、ぶつかり合って、その先に一人でいることでは生まれない新しい世界を創造していく経験をすることなのです。そうできるとき、一人の心の中にあった躍動感は、他の人の心の躍動感と刺激し合い、他者と生きる楽しさが倍増することでしょう。
社会のルールを身に付けることは、そうした子どもの心の躍動感を押さえつけたり奪ったりすることではなく、より良い方法で、より良い方向にその躍動感が生かされ、やがては、その子どもが意欲的に活き活きと生きていくことへと導くためであることを認識しておきたいと思います。
幼稚園生活に慣れ始めた5月、子どもたちにとって、躍動する心を伸びやかに表現できる場をつくり、その表現を支えていきたいと思います。