御国(みくに)が来ますように
「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。」(マタイによる福音書第6章10節)
教会で古くから伝えられてきた祈りに「主の祈り」があります。イエスさまが弟子たちに教えた祈りとされ、今では世界中の言葉に訳されています。私たちはこの祈りを日本語で唱えていますが、この祈りは、キリスト教が世界に拡がっていく中で二千年にわたって唱えられてきた祈りであり、「世界を包む祈り」とも言われています。
この「主の祈り」の中に「御国が来ますように」という言葉があります。私たちの生きているこの世界に「御国(天の国)」が来るとは、どこか特別の地域を区切ってそこが神の領土であると宣言するようなことではなく、私たちが生活している直中に「そこには確かに神が共にいてくださる」という姿が現れ出ることであり、神さまの意思、お考え、願いがそこに現れ出るということなのです。
そうであれば、私たちが「御国が来ますように」と祈ることは、私たちがただじっとしているうちに理想の世界を神さまが創り上げてくださいと願うことではなく、神さまの願いを実現するために私たちを生かしてくださいますようにと願うことであることが分かるでしょう。
愛恩幼稚園では、日々「主の祈り」を唱えています。子どもたちがこの言葉の意味を理解するには、まだまだ時間がかかるでしょう。でも、イエスさまは、子どもたちを抱き上げて、「神の国はこのような者たちのものである」と教えました。子どもたちは、理屈ではなく存在で「御国」の姿を表しています。私は、「主の祈り」を日々祈りながら過ごしてきた子どもたちがますます大きく育ち、神さまの願う世界をこの世に実現するための働き人になって欲しいと思います。それは、大袈裟なことではなく、自分の家族や友人を愛することや自分の仕事を通して社会や隣人のために尽くすことなどを含め、一見平凡でありながらも地道に神さまの御心を行うところから開かれてくることであるように思います。
神さまに向けて祈る愛の心と、自分の隣り人を大切にする愛の心は、十字架の縦の棒と横の棒に例えられ、この両者がしっかりと組み合わされて十字架は成立します。
3月です。「御国が来ますように」と心から祈り、子どもたちが御国の実現のために働く人に大きく羽ばたくことを夢見ながら、私たちも子どもたちと共に育っていきたいと思います。