羊飼い喜び
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」(ルカによる福音書第2章11節)
救い主(キリスト)誕生の知らせがいちばん初めに届いたのは、羊飼いのところでした。
当時の羊飼いは、卑しい職業とされていました。羊飼いは、遊牧の生活をします。定住地もなく野原で生きる羊飼いは、当時の律法(おきて)を守れる境遇にはありません。例えば、野原に羊を残したまま安息日ごとに神殿もうでをすることなど、羊飼いには出来ないことです。
そのような羊飼いは、権力者たちから「律法を守れない汚れた者」「民族の一致と団結を乱す者」として扱われ、次第に落ちこぼれた者の集まりとなっていきました。羊飼いたちは、世の中に背を向け、たとえ救い主が出現したところで自分たちには関係のないことだと考えたことでしょう。
しかし、救い主誕生の知らせがいちばん初めに届いたのは、羊飼いのところだったのです。
この出来事は、救い主がいつもわたしたちの心の奥深くにひそむ貧しく弱いところに宿ってくださり、どんな境遇の中にある人のことでも神は大切に思っておられることのメッセージです。
羊飼いは、この知らせを受けて、生きる喜びを取り戻したことでしょう。「神は、人の職業や身分によらず、私たちのことも認め、受け入れ、愛してくださる」という知らせを、羊飼いは天使から受けたのです。そして、彼らは救い主にお会いし、喜びに満たされました。
ここにクリスマスの喜びがあります。クリスマスとは、キリスト(救い主)とマス(礼拝)から成り立つ言葉です。つまり、キリストの生誕を感謝して礼拝することが本当のクリスマスなのです。
クリスマスの喜びが、わたしたち一人ひとりの心の奥底からの、本当の喜びとなり、わたしたちの幼稚園の枠を越えて拡がっていくように祈りたいと思います。
わたしは、キリスト教保育の基盤もキリストの降誕に示された神さまの意思にあると思います。誰もが、神から与えられた大切な命を生きています。その命が、損なわれるようなことや、不当な悲しみや苦しさの中に捨て置かれることを神がお喜びになるはずがありません。私たちも、クリスマスのメッセージをしっかりと受け止めて、自分と他者を共に大切にして生きていきましょう。
クリスマスおめでとうございます。共に救い主の降誕を祝いましょう。