平和のために
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイによる福音書第5章9節)
国語辞典(『広辞苑』)を引いてみると、「平和」とは「①やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりのないこと。②戦争がなくて世が安穏であること。」と記されています。
誰もが、「平和」とはとても大切な言葉であると思うでしょう。わたしもそう思います。
ただし、聖書で使われる「平和」とは、単に「おだやかで変わりがない」状態を意味するのではなく、「神さまのお考え(み心)のとおりであること」を意味していることを、つまり神さまの意思の実現であることを、踏まえておく必要があるでしょう。そして、「平和」は与えられた状態のことではなく、わたしたちが努力してつくり出していくことで実現するという一面があることもしっかりと心に刻んでおく必要があるでしょう。
子どもの健やかな成長にも平和が必要ですし、平和なしに子どもの健やかな育ちはあり得ないとも言えるのです。
家庭や幼稚園などの子どもを取り巻く環境を子どもの育みのために相応しく整えることも、平和を実現するための身近な大切な働きです。わたしたちは、誰もが神さまから命を与えられ受け継いでいます。命の継承は、平和の中で、安定して安心して行われなければなりません。そのために、わたしたちが、神さまのお考え(御心:みこころ)に相応しく子どもが育つように祈り願いながら働きます。
家庭が明るく円満であるように努めたり、家族が適切な栄養をとりながら楽しく食事ができるように料理をしたり、清潔で整った環境の中で暮らせるように掃除や洗濯をしたりすることも、何気ない平凡なことのように見えるけれど、実は平和を実現していくための大切な働きであると言えるのではないでしょうか。
わたしたち人間は、この世に命を受けた時から、いや、胎内に宿ったときから、優しく柔らかな笑顔と声によるたくさんの働きかけを受けながら、つまり平和を体で感じ取りながら、少しずつそだつのです。そのように育って、平和の感性を養って、平和を実現するための働き人に育っていくのでしょう。
こうした個人の成長における平和も、日頃暮らしている街の平和も、戦争のない世界をつくり出す平和も、その根底には、この世界とわたしたち一人ひとりを愛して生かそうとする神の熱い思いがあるのです。
そうした神の熱い思いを覚えて、わたしたちはそれぞれに日々の具体的な働きをとおして神の平和を実現するために生きています。子どもたちの伸びやかな成長は、平和が実現する最も具体な例です。逆に言うと、子どもが伸びやかで健やかであるかどうかは、その世界が平和であるかどうかの指標でもあります。
幼い者、弱い者、小さい者が大切にされ、喜びの中に生きられる平和な世界をつくるために生きることを喜びにすることができますように。