2023年08月16日

9.時 ωρα(ホーラ)

時 ωρα(ホーラ)

 ヨハネによる福音書を読んでいると、イエスが「時が来た」とか「時が来ていない」と言っている言葉にたびたび出会います。拾い上げてみると「時が来た」は12:23、13:1、17:1の3箇所、「時が来ていない」は2:4、7:6、7:8、7:30、8:20の5箇所です。

「時」とは時計の刻む時刻を意味しますが、「神の定めた時期」の意味をこめて、特にヨハネによる福音書では、上記8箇所を見てみると、イエスの十字架の死と復活の時を意味する言葉として「時」という言葉が用いられていることが分かってきます。

 その一例を挙げれば、カナの婚宴の席でぶどう酒がなくなりそうになったとき、母マリアがイエスに「ぶどう酒がありません(ヨハネ2:3)」と言うと、イエスはマリアに「私の時はまだ来ていません(ヨハネ2:4)」と答えています。この場面での「時」は、神の御心が成就する時のこと、また、主なる神の栄光と御子イエスの栄光が一つになって現れる時のことであり、この場面でイエスが婚宴のぶどう酒に関わることが救い主がこの世を贖う決定的なことではないという意味でこの言葉が用いられているのでしょう。イエスはそうは言いながらも、誰も気付かないようにそっと瓶の水をぶどう酒に変えるしるしを行い、婚宴を祝しておられます。

 聖書全体では、この「時ωρα」という言葉はヨハネによる福音書ほど限定的な意味で用いられているわけではありませんが、「時が満ちる(ガラテヤ4:4)」と神は御子を遣わし、「お定めになった時(使徒1:7)」に神は聖霊を与え、盗人が夜来るようにキリスト再臨の「その時(1テサロニケ5:1)」は来ると、救いの「時」が神の定めの中にあることを伝えています。

posted by 聖ルカ住人 at 15:01| Comment(0) | 聖書のキーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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