2023年03月15日

傷みと苦しみを知る人の優しさと強さ (あいりんだより2011年4月号)

傷みと苦しみを知る人の優しさと強さ

 わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 (ローマの信徒への手紙 5 : 3-4 ) 


 新年度を迎えました。保護者の皆さまにはお子さまの入園、進級おめでとうございます。

 本年は、1ヶ月ほど前の3月11日に発生した太平洋東北沖大地震(東日本大震災)に起因する諸被害のため、多くの人が傷み、苦しみ、その辛さを抱えて4月を迎えたのではないでしょうか。仮に人的、物的な被災がなかったとしても、心に大きなダメージを受けている方も沢山おられるのではないかと拝察しております。

 今回の地震の後、私も教会の牧師として、ほんの少しではありますが、被災者に対する支援プログラムの構築とその調整に関わりました。その委員会の中には阪神大震災を現地で体験した方もおられましたし、今回の地震被災者もおられましたが、そのような方々は概して優しくかつ粘り強いのです。彼らは、自分の傷みを人々に関わる優しさに変え、自分の苦しい経験を他者と関わる上での粘り強さの糧としているように見受けられました。

 だからといって、わたしはこれ以上子どもたちに悲しい経験や苦しむ経験をさせればいいなどとは思いませんし、苦しい経験をすれば、それが必ず強さや優しさになるとも考えません。

 痛みや苦しみを優しさや強さに変えていくためには、傷ついたり悲しんだりしている子どものかたわらにいて寄り添い、見守り、支える存在が必要となります。

 子どもたちにとっては、「大丈夫、わたしが見ているから」、「あの時は辛いし、悲しかったね。あなたのその気持ちは、いつか傷みを知る優しさと強さになる日が来ますよ」と、ゆったりと、落ち着いて、坦々と子どもを支援する存在が必要なのです。

 実は、このことはこのような災害時にだけ適用すべき特別な支援の態度なのではありません。この態度は、日頃から子どもたちの成長を見守り支えようとする親、家族、教師、保育士などにとって、子どもに関わる基本的は態度なのです。また、こうした基本的な態度は、子どもたちだけではなく、わたしたち親や教師も含めたあらゆる人が他者と関わる時の大切な態度なのではないでしょうか。わたしたちは、大人でも「絶対的他者」と言うべきお方に見守られて、生きています。キリスト教保育ではこの絶対的他者である「神」を掲げ、「神」の御心をこの世界に示したイエス・キリストに導かれ、その守りと導きの中でわたしたちは子どもたちと関わっています。

 愛隣幼稚園は少人数の幼稚園です。わたしたち教職員は、子どもたちの目に見える行動だけではなく、一人ひとりの内的な世界も大切にして理解することを心がけ、子どもたちが日々経験することを一緒に味わいたいと思います。子どもたちの喜びや楽しさばかりではなく、悲しさや苦しさをも共にして、優しさ、強さ、心の豊かさを育んでいきたいと思います。周りの人の共感と受容を得ることで人は自分を保ち育てていきます。お互いに良い他者となり合い、優しさと強さを育み合いましょう。

posted by 聖ルカ住人 at 09:56| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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