2023年03月04日

「大切に育てる」ということ (あいりんだより2010年1月号)

「大切に育てる」ということ

   求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。(マタイによる福音書7:7)

 新年おめでとうございます。

 年末に里帰りしてきた大学生の息子が、レポートの課題とする新聞の切り抜きを私に見せてくれました。不登校児の増加に関する記事でした。ある評論家がそのコメントをする中に「現代の子どもたちは、大切に育てられるあまり、他者とのコミュニケーション能力が育っていません」という言葉があり、家族でそれについての議論が始まりました。

 「コミュニケーション能力が育っていない子どもは、むしろ大切に育てられてこなかったのではないか」とか「大切に育てると言うことの中身の問題なのではないか」などと話は延々と続きました。

そ の議論の中で、次第にはっきりしてきたのは「大切にする」と言うことは、必ずしも子どもの欲望を即座に満足させたり、子どもの葛藤をいつでも回避してあげたりすることではない、ということでした。「子どもを支援する」というとき、いつでも子どもを中心にして周囲がホイホイすることを連想する人もいるようですが、もしそのような接し方をしたら、上記の評論家の指摘するとおり、子どものコミュニケーション能力は育たないでしょう。

 以下の例え話をご存じの方も多いと思いますが、子どもを大切に育てることにも共通することだと思いますので、触れておきましょう。

 極貧の国の子どもたちに100円分の支援をするとします。食料を100円分買ってわたすことと、釣り糸と釣り針を100円分買ってわたし魚の釣り方を教えることでは、どちらが彼らにとって有効な支援になるでしょう。むろん後者です。

 この例から考えてみると、現代の日本の状況で、子どもを「大切に育てる」ということが、子どもが駄々をこねるときに何でも自分の思い通りになるような環境をつくることや子どもが風邪を引かないように無菌状態の安全な室内においておくことにすり替わってきているのかもしれません。でも、本当に子どもを大切に育てるとは、そのような至れり尽くせりの環境の中で過保護にすることではなく、子ども自身の学ぶ力や生きる力を育てることなのではないでしょうか。

 本園では、子どもたち一人ひとりを大切にし、成長を支援して参りたいと思います。子どもたちがじっとしているだけで事態が自分の思い通りに進むことが子どもを「大切にする」ことではありません。また子どものすべての要求を無条件に満たしてあげることが「大切にする」ことでもありません。

 先ずは、私たちが、子どもたち一人ひとりをできるだけ子どもの枠組みで理解することに努め、子どもたちの言動を先回りせずに半歩下がって受け止めて理解し、できるだけ子どもの心の動きに沿った言葉で応答し、子どもたちと心をかよわせることを心掛けたいと思います。こうした関わりから生まれる心と心の繋がりによって、子どもたちは自分の存在に実感を深め、他の人とコミュニケーションを取りながら生きていくことの楽しさと大切さを、身をもって感じていくことになるでしょう。

 このことは、決して目立つことではなく、派手の保育を展開することにもなりませんが、子どもたちが一個の掛け替えのない人として育っていく基本であり、人としてお互いを大切にし合う基本でもあります。

 人間関係の希薄化から様々な社会の問題が噴出する昨今、一人ひとりを大切にすることの比重は増しつつあります。幼稚園でも、家庭でも、子どもたちの自立を促すために、本当の意味で子どもたちを「大切に育てる」一年にして参りましょう。

 本年もどうぞよろしくお願いします。

posted by 聖ルカ住人 at 12:16| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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