イエスの十字架に関わる人 二人の例
・キレネ人シモン
シモンは、過越祭を祝うためにキレネ(エジプトの西に接する地中海沿岸の町)からエルサレムに来ていました。ゴルゴタの処刑場に上っていく道に人だかりができています。3人の死刑囚が兵士に囲まれて、自分の処刑台となる重い木を担いで歩いています。その3人の中の一人は、頭に茨の冠を押し付けられ、激しく鞭打たれたために体中が血に染まって黒ずみ、よろめいています。シモンはいきなり一人の兵士に引きずり出され、その男に代わって彼の処刑台となる木を担がされました。
「何でこんなことをする羽目に・・・。」
ゴルコタの丘で、その男の十字架が立て上げられその男が死んでいく様子を見ていると、シモンにはその男が犯罪人であるとは考えられなくなってきました。その3日後にこの男が復活したことを知ったシモンは、このイエスという男の弟子たちと関わりを持つようになり、イエスを自分の救い主として受け容れました。
聖書の中に、シモンは「アレクサンドロとルフォスの父(マルコ15:21)」と記され、使徒パウロは「主にあって選ばれたルフォスと、その母によろしく。彼女は私の母でもあります(ロマ16:13)」と記しています。シモンが強いられてイエスの十字架を担った出来事は、イエスの苦しみを担う名誉になり、彼の子孫たちはパウロとも親交のある信仰者になっていきました。
私たちも、始めのうちはイエスのことが分からなくても、自分からイエスに近付きそのお方を知ろうとすることによって、その先が大きく開かれてくるのです。
・十字架の下の百人隊長
百人隊長とは、ローマ兵百人ほどをまとめる下士官のことです。ゴルゴタの処刑場で、十字架に架けられた犯罪人たちの下に立っていた番兵は百人隊長でした。この兵士にとって、3人の犯罪人がなぜ十字架刑に処せられたのかはどうでもよく、この処刑に因る反乱や暴動などが起こらずにこの任務が終わることを願っていたことでしょう。十字架に付けられた犯罪人たちの一番近くにいたのがこの百人隊長でした。
この百人隊長には、十字架上の犯罪人の一人がイエスを罵る声やもう一人の犯罪人がイエスから楽園の約束を受ける言葉もはっきりと聞こえ、十字架の犯罪人たちの呻き声や息づかいまでを感じ取ることができました。粛々と作業が進めることばかりを考えていたこの百人隊長の心が次第に動き始めます。
百人隊長には、真ん中の十字架にいる男の故に、この処刑場の様子がいつもとは違うように感じられるのです。
三つ並んだ十字架の真ん中の男から、この百人隊長がこのような刑場では聞いたことのない赦しの祈りが聞かれ、この男は罵られ嘲られているのに、その十字架から死を超える希望の光が放たれているのです。全地は暗くなり太陽は光を失っているのに、この人の周りには神の御心が現れ出ているのです。
この十字架の男は「父よ、私の霊を御手に委ねます」と言って息を引き取りました。その時、百人隊長は思わずこう言って神を賛美しました。
「本当に、この人は正しい人だった(ルカ23:47)」。
私たちも、主イエスに近づきましょう。遠くにいては聞こえないけれど、十字架の直ぐ下でイエスの息づかいを感じ、この百人隊長のようにイエスの御声を聞くことができるように導かれましょう。
(2022.04.10号 『我が牧者』東松山聖ルカ教会教会報掲載)