2021年12月13日

幼児賛美歌『藁の寝床ですやすやと』に思うこと

『藁の寝床ですやすやと』(幼児賛美歌32)に思うこと

 子どもの頃からどこか素直でなく生意気たっだ私は、幼児用の聖歌・賛美歌が好きではなかった。
 幼稚園生の頃に、例えば、日常生活で使わないような赤ちゃん言葉で「小さいお手々」とか「お目々を閉じて祈りましょう」という歌詞を歌って礼拝していると、内心「へっ、子ども扱いしやがって!」というような思いがつきまとっていたことを、今でもはっきりと覚えている。
 そんな私がやがて教会の教役者になり、いくつかの併設する幼稚園での園長を仰せつかり、子どもたちと一緒に礼拝する中で、いわゆる「子ども聖歌」をたくさん歌ってきた。そして、70歳を過ぎて現職を退いた今でも、私は嘱託勤務する教会に併設する幼稚園で、子どもたちと一緒に礼拝し、いくつか「子ども聖歌」を歌っている。
 私にとって、その極めつけのような歌が表題の「藁の寝床で」(幼児賛美歌第32番)というクリスマスの子ども賛美歌である。実は私はこの歌をこれまで殆ど歌ったことがなかったのだが、園児たちと礼拝する時にこの幼児賛美歌「藁の寝床ですやすやと」を歌うにあたり、しっかり歌えるようにしなければならなくなった。
歌詞は以下の通り。
1.わらのねどこですやすやと
  イェスさまはいまおねんねよ
  しずかなおうたがきこえます
  ねんねのおうたがきこえます
2.どこのおうちもみなしずか
  クリスマスのほしだけが
  きらきらおめめをさましてる
  しずかなしずかなよるでした 
(作詞:深山澄 作曲:大中寅二)
(参考 https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/youzi032.html
 
 子ども聖歌が嫌いだった自分を思い出さざるを得ない。
 そして、この歌を歌うことについて昔のような屁理屈をつける。
 この歌詞は、メルヘンチックな平穏なイエスを表現しているのではなく、飼い葉桶をも厭わずに宿る神の御子を表現しているのだという理屈によって自分を納得させ、子ども聖歌が嫌いだった遠い昔の自分を思い出しながらも、自分の信仰のこととしてこの聖歌を歌っている。いや、この屁理屈は屁理屈なりに真実だと信じて、気持ちを込めて歌っていると言った方が確かだと思う。
 もしかしたら、今でもこうして園児と一緒に子ども聖歌を歌うことは、半世紀以上も前の自分の子どもらしい信仰の埋め合わせをさせてくれているのかもしれない。
 クリスマスの絵本もクリスマスカードもクリスマスソングも、イエス・キリストの降誕やそれにまつわる聖書の物語が排除されるかのような昨今の日本のクリスマスシーズンである。こうして、また聖家族は馬小屋に追いやられ、イェスさまは藁の寝床に寝ることになるのだろうか。
 神の御子イエス・キリストはこうした聖歌を歌う子どもたちの中に宿ってくださるのかもしれない。

posted by 聖ルカ住人 at 17:48| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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