彼岸花
「彼岸花 今年も彼岸に咲きにけり」
この句はその当時小学校4年生だったと思うが、息子が私に付き合って作ったもの。季重なりでもあり、「俳句」としての評価は「才能なし」か「凡人」かもしれないが、私はこの句をとても気に入っている。
ちょうど2000年のことであった。当時、世の中は、仕事のためだけではなく家庭にも急速にインターネット環境が拡大し始め、多くの教会で宣教の一環としてホームページを立ち上げるようになった。
前橋聖マッテア教会の牧師であった私は、ホームページを立ち上げることを年の初めの教会委員会で提案し、その年の復活日の完成とアップロードを目ざして、大斎節の間、ホームページ作成に熱中していた。多くの人が親しめるように「句会コーナー」を設けようと考え、短歌、俳句、川柳をいくつか掲載し、そのホームページで投句を求めることにした。できあがったホームページは自分としてはなかなかの出来映えで、その後の改良と更新を加えてますます成長していった。「句会コーナー」は、短歌にも俳句にも何の基礎知識も無いまま、他の人が投句するための呼び水とするためにそれぞれ2,3句を作り、ホームページ開設の時に掲載した。しかし当たり前にことかも知れないが、開設後も投句はほとんど無かった。それでも、「継続は力」とばかり、私はそのコーナーに俳句や短歌を少しずつ掲載し、我が子たちにも応援を求めた。その時、私の三男が応じて口にしたのが上記の句である。
前橋聖マッテア教会の敷地は広く恵まれていた。歴代の教役者たちが皆植物好きで、広い敷地には色々な植物があった。その中でも曼珠沙華(彼岸花)は見事だった。牧師館前にも聖堂アプローチの脇にもフェンス脇にも広い敷地のあちこちに雑然と植えられた彼岸花は、秋分の日前後に一斉にあでやかな花を咲かせ、道行く人の目を楽しませた。猛暑の年も冷夏の年も、彼岸花は秋の彼岸の頃に花を咲かせた。それは神の摂理と言える着実な生命の営みである。私には、「今年も彼岸に咲きにけり」とはそのような神の営みを背景にした表現に思えた。
また、この「彼岸」は、秋分の日を意味するだけでなく、生死の川を渡った対岸をも意味していると捕らえれば、この球根を植えて既に召された先輩教役者やこの教会の信徒逝去者たちの居られるところでも今年も彼岸花が咲いたと言い切ってうたっているとも言える。
私が前橋に赴任した当初、庭の彼岸花の球根は、長年手を入れなかったようで、地中で毎年分球を繰り返した球根は場所によっては地表にまでグロテスクに盛り上がるほどになっており、それらを掘り上げて植え直したが、さて、余った球根をどうしようかということになった。
思いついたのは、前橋公園の水路沿いや土手の中腹に植えること。毎朝犬の散歩の時に、球根を数個持って出かけ、埋めてくることにした。また、息子たちが所属していた少年野球チームの練習場である利根川河川敷の南町グラウンドの土手にも植えた。少なくとも2年にわたってそのようにした記憶があり、植えた球根の数は200個は下らないだろう。もう一箇所、峰公園の教会墓地にも15球ほど植えたが、それは私の前橋勤務最後の年であったため、教会墓地の境界に植えた曼珠沙華が毎年咲いていると話に聞くが実際に見てはいない。
また、残念ながら、離任する前年に前橋市で全国都市緑化フェアが開催されて、メイン会場の前橋公園は大幅に改装されてしまい、密かに植えて年毎に咲き始めていた彼岸花の球根も大掛かりな工事によって殆ど無くなってしまったようだ。それまで前橋公園も南グラウンドも彼岸花は咲いていなかったので、もし今でも咲いていたら、それは前橋聖マッテア教会の彼岸花の兄弟である。
現在勤務する東松山聖ルカ教会の敷地には、彼岸花はない。ホームセンターで4個入りの袋が398円で「リコリス」という名で売られていた。一袋購入して花壇のどこかに植えた。来秋の彼岸の頃にその彼岸花は息子の俳句の通りに咲いてくれるだろうか。そしてこの花は本当に「今年も彼岸に咲きにけり」だなぁ、と思わせてくれるだろうか。
