2021年07月26日

57.食事する (ανακειμαι アナケイマイ)

食事する (ανακειμαι アナケイマイ)

 私たちの文化の中で、食事をすることと横たわることは結びつきにくいと思いますが、「食事をする」という言葉の元々の意味は、「横たわる」、「もたれかかる」です。。

 聖書の中に、イエスが食事をする場面がいくつかあります。その代表的な場面は「最後の晩餐」であると言えるでしょう。 「最後の晩餐」の場面を思い描くためにも、ぜひこのキーワード「横たわる」について理解しておきたいのです。

 レオナルドダビンチの名画「最後の晩餐」を参考にしながら考えたいと思うのですが、ダビンチの描いた「最後の晩餐」は、イエスの生きた時代ではなくダビンチの生きた15世紀後半の時代の様子が色濃く出ていて、あの絵から「横たわる」を理解するのは難しいことなのです。

 イエスと弟子たちが最後の食事をする場面の記事はどの福音書にも記されています。ヨハネ13:23には、「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。」とありますが、実はこの弟子はイエスの胸元にもたれるような姿勢を取っているのです。この弟子に限らず他の弟子たちもみな低い長椅子か床に左肘をついて体を横に投げ出している姿勢を想像してください。これがイエスの時代の「食事をする」姿勢であり、「横たわる」が「食事をする」になります。聖書の中では、このανακειμαιという動詞は、すべて「食事をする」の意味で用いられているのです。

 マルコ14:18では「一同が席について食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人でわたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」も同じ場面での出来事です。ここで、ダビンチの絵に影響されて現代の西洋式椅子と食卓を連想しては、最後の晩餐の情景は聖書が描写する様子からずれてしまいます。

 マタイ26:7の場面を想像してみてください。「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席についておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。」

 イエスが左肘をついて横になっており、女はそのイエスに香油を注ぎかけたのです。女は身をかがめ膝をついて石膏の壺を傾けています。そして、この女の人は、その壺を置いてイエスの髪を、おそらくこの女の長い髪の毛で、拭ったのではないでしょうか。

 ヨハネ12:2では「ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。」という記述がありますが、ここは直訳すれば「イエスの胸にもたれかかっていた。」であり、上述のヨハネ13:23でのイエスに愛されている弟子の描写と共に、イエスに受け容れられている者の光栄の姿を見ることができるのです。

 「横たわる、食事をする」がこのような性質の言葉であり、この言葉を名詞的用法にして「横たわる者」になり「食事の席に着く者」の意味で用いられるようになり、「客」と訳されるようにもなります。

 「婚礼の礼服(マタイ22:10,11)」、「洗礼者ヨハネの殺害(マルコ6:26)」などの箇所にこの言葉がありますので、実際に聖書を開いて確かめてみてください。また、ヨハネ6:11では「5千人の給食」の中で「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。」という文章にもこの言葉が用いられています。

 その当時は、脚のあるテーブルと椅子で食事をしているのではないことを理解しておきましょう。

posted by 聖ルカ住人 at 20:46| Comment(0) | 聖書のキーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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