2021年07月16日

54.エルサレム Ιεροσολυμα

エルサレム  Ιεροσολυμα


 先回はエリコを取り上げました。そうであればエルサレムを取り上げないわけにはいきません。ただし、あくまでも「聖書のキーワード」としてのエルサレムに限定します。そうでないと、1冊の本程度の説明をしなければなりません。ギリシャ語のエルサレムの綴りは、タイトルの他にΙερουσαλημ としている箇所もあります。

 旧約聖書以前の時代では、紀元前3000年頃、城壁に囲まれた面積3haほどの居住地跡があり、これがエルサレムと起源とされ、その地名は古代エジプトの「アマルナ粘土板文書」などの記録に見られるとのことです。

 旧約聖書では、起源前1020年の頃にサウルを初代の王としてイスラエル王国になりますが、その第2代国王ダビデによってエルサレムが都に定められました(サムエル下5:6-)。

 神は、軍人であったダビデに神殿の建設を許しませんでしたが、その子ソロモン王によって最初のエルサレム神殿が建設され、ソロモンの時代に王国は栄華を極めたと言われています。しかし、ソロモンの死後紀元前922年に王国は南ユダ国と北イスラエル国に分裂し、エルサレムは南ユダ王国の都になりました。

 北イスラエル国は紀元前722年にアッシリア王国によって滅び、南ユダ国も紀元前597年にバビロニアの支配下に入り、ネブカドネツァル2世によってエルサレムの住民3000人程がバビロンに捕虜として連行され、更に紀元前586年にユダ国も完全に滅ぼされてしまいます。この時にエルサレム神殿は破壊され、多くの住民はバビロンへと連行されています。この捕虜連行が「バビロン捕囚」です。

 しかし、バビロニア王国はその後半世紀足らずでペルシャに滅ぼされ、ペルシャ王キュロスはイスラエルの民の故郷への帰還を認めました。そして、イスラエルの民の悲願であったエルサレム神殿再建は、第2神殿として紀元前515年に成し遂げられています。その後イスラエルはセレウコス朝シリアの支配を受けたりしますが、紀元前140年頃にはユダヤ人がハスモン朝を建てて一時的に独立します。しかしローマ帝国の勢力が強まり、紀元前37年にはローマの宗主権のもと、ヘロデ大王によってヘロデ朝が創始され、イスラエルはローマの支配下におかれました。ヘロデは第二神殿をほぼ完全に改築し、この神殿はヘロデ神殿とも呼ばれるようになります。

 ローマの支配下、州都はカイサリアに置かれますが、エルサレムとその神殿はユダヤ教の中心となり続け、紀元30年頃にイエスが十字架刑に処せられたのもエルサレムでした。

 紀元66年にはユダヤ戦争が起こり、イスラエルの民はローマに抵抗したものの、紀元70年にエルサレムは占領され、神殿も破壊され、イスラエルは国を失うことになってしまいます。

 イスラエルの民は、エルサレムを追われ、離散を強いられ、ユダヤ教徒にとっての一致の拠り所はエルサレム神殿での礼拝祭儀から、どこにいても律法によって結束を図ることへとシフトしていくのです。

 キリスト者にとって、特にルカによる福音書や使徒言行録によれば、イエス・キリストの福音はエルサレムから波紋が広がるように拡大し、地上のエルサレムは信仰的に重要な意味はなくなっていきます。キリスト者たちは終末的な希望をもって、永遠の住まいを「天のエルサレム(ガラテヤ4:26)」、「新しいエルサレム(黙示3:12)」と表現するようになるのです。

posted by 聖ルカ住人 at 23:37| Comment(0) | 聖書のキーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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