2021年6月4日
『神學の聲』
東松山の牧師館に転入してちょうど2ヶ月経ちました。引っ越しの荷物整理など大方終わっていて良いはずなのに、途中で放り出してしまった感もあり、荷物整理は完全に停滞しています。
停滞の原因は、荷物の処分に決断ができないこと。その一例がこの『神學の聲』。
個人的には、もういつまでも手元に置いておかなくても良いのではないかと思うのですが、いざ処分しようとすると、「もしかしたらこれを必要とする人がいるかもしれない」とか「廃棄してしまったら、教会として貴重な史料が永久に失われることになってしまうのではないか」と思って「とても捨てられない」という気持ちが強くなってしまいます。
私が神学生だった1980年代半ば、この『神學の聲』は「必要とする学生はここから持っていって可」という時期があり、私はできるだけ手元に置いておきたいと考えて個人用に戴き、全巻揃っているわけではないけれど、以来30数年にわたって書棚の一角に置かれ続けてきました。
半分くらいは読んだのではないかと思いますが、開き直してみると鉛筆で線が引いてあったりはするものの、全く覚えていないことばかり。聖公会神学院の常勤、非常勤の先生方の執筆による論文や報告などであり、神学生時代には授業の課題レポートの参考にも利用した記憶があります。この機関誌から、アングリカンコミュニオンの動きやその中での日本聖公会の課題やその取り組みについて、(具体的にはカトリック教会との合意文書についての日本聖公会の見解、MRIからPIMへの動きや日本聖公会の経済面を含めた自律の課題等々)、学ぶことは山ほどあるかと思います。
先日は、「廃棄する前に読んでみよう」と思い、第三巻第一号1956年(「校長就任説教」森譲、「聖公会神学院史」松平惟太郎)を読んでみました。森譲師は私が現職として最後に勤務した水戸聖ステパノ教会で戦中戦後牧師としてお働きになったあとに聖公会神学院校長に就任した方でありその後京都教区主教になっておられます。また、松平惟太郎師は私が敬愛する教役者であられた方であり、ことに日本聖公会の歴史をしっかりと文章にして残しておられ、この文章にもその一端がうかがえます。
そうであっても、私はもう『神學の聲』から『神学の声』までを通して読み直すこともないでしょうし、この機関誌そのものを研究や調査の対象とすることもないでしょう。でも、私はこれらの冊子を捨てる気になれず、机の脇に中途半端に置いたままになっています。
荷物の整理は中断したまま、東松山聖ルカ教会牧師館での生活は3ヶ月目に入ります。