安息日の回復-ファリサイ派との議論- マルコによる福音書第2章23-28 (B年 特定4) 2024.06.02
2024年6月2日 聖霊降臨後第2主日 説教 小野寺達司祭 (youtube.com) この説教の動画 クリックしてご覧ください。
この主日の聖書日課旧約聖書と福音書をつなぐ言葉を挙げてみると、十戒、律法、安息日などを思いつくのではないでしょうか。
今日の旧約聖書日課は申命記第5章6節以下の箇所で、第6節から十戒の序文で始まり、第7節から21節までに十の戒めが続いています。
また、今日の聖書日課福音書には、福音記者マルコが、ある安息日にイエスとファリサイ派の人々が安息日に関わる律法について議論をしている箇所が採り上げられています。
ある安息日に主イエスと弟子たちの一行が、麦畑をぬける道を通っている時のことでした。弟子たちは、歩きながら実った畑の麦の穂を摘み、手の中でその麦の穂を揉んで殻を落とし、その麦を食べ始めたのでしょう。このことについて、イエスと弟子たちを監視するファリサイ派の人たちは、イエスに「ご覧なさい。あなたの弟子たちは安息日にしてはならないことをしているではないか」と、批判し始めたのでした。
ファリサイ派が今問題にしようとしているのは、弟子たちが他人の畑麦で許可の得ずに穂を摘んだということではありません。律法の中に次のような言葉があります。
「隣人の麦畑に入ったなら、手で穂を摘んでも良い。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない(申命23:23)。」
日本でも、江戸時代には街道沿いに柿の木が植えられ、旅する人が飢え渇いた時に、その柿の実をもいで食べることが出来るように旅人に対して配慮されていました。
イスラエルの民も、律法によって、旅人やひもじい思いをしている人への配慮がされていたのです。恐らく主イエスの弟子たちも、枕するところなく過ごしておられる主イエスに従い空腹を覚えていたのではないでしょうか。
弟子たちが麦の穂を摘むことは律法に反することではなく、今、ファリサイ派が問題としているのは、イエスの弟子たちがその行為を安息日にしていることなのです。
ファリサイ派は、弟子たちの行為は安息日に行ってはならない「労働」であると指摘します。
例えば、イスラエルの律法の下に出来てくるその細則によれば、麦の穂を摘むことは「収穫」の労働であり、手で実った麦を揉むことは「脱穀」の労働であり、その麦に息を吹きかけることは実と殻を「選別」する労働であるということであり、律法の細則はそれらの労働を安息日に行うことを禁じていたのです。
こうしたユダヤ教ファリサイ派の在り方は、旧約聖書に成文化されている律法を日常生活の中で適応させようとすれば、更に細かな規則が必要になります。当時の律法の専門家たちは、安息日に行ってはならない労働を39種類挙げて、更にそれを1500種以上の労働を禁じる規則とした記録が残っています。
洗礼者ヨハネや主イエスが宣教の活動を始めた頃、イスラエルの民の間には救い主の訪れを待ち望む気運が高まり、洗礼者ヨハネがその救い主ではないか、あるいはヨハネから洗礼を受けて沢山の癒やしや悪霊を追い出しているナザレのイエスが救い主なのではないだろうかと多くの人が期待を込めて洗礼者ヨハネやイエスの動きを見つめていました。
ユダヤ教の指導者たちは、ガリラヤ地方で「神の国運動」を行い民衆の支持を集め始めた洗礼者ヨハネやイエスのところにファリサイ派の律法学者たちを遣わして調査させています。その調査は、始めのうちはイエスや弟子たちを観察することでしたが、次第に審問する段階に入っている様子が今日の聖書日課福音書から窺うことが出来ます。しかも、彼らの審問、問いかけは、次第に主イエスの言葉や行動の中から批判すべきことを粗探しし、言葉の罠にかけ、イエスが律法を汚したという口実を見つけて最高法院に訴えることへと変わっていくのです。
麦畑を通る主イエスの一行が実った麦の穂を摘んで口にした時、ファリサイ派律法学者たちは、この時とばかりにイエスに問いかけてきました。
「ご覧なさい。なぜ彼らは安息日にしてはならないことをするのか(マルコ2:24)」。
ファリサイ派律法学者たちの批判的な質問に対して、主イエスは、ダビデの例を挙げて反論します。その出所となる物語はサムエル記上第21章にあります。
紀元前1000年になろうとする頃、イスラエルの初代の王サウルは、ダビデが自分の王座を奪おうとしていると誤解し、その妄想はサウルの中で次第に大きくなっていました。サウルはダビデの殺害を企て、ダビデは僅かなと部下とサウルの追っ手を逃れていましたが、ダビデも部下も空腹になり、ダビデたちはこっそりとノブという地に住む祭司アヒメレクを訪ねるのです。その時、祭司アヒメレクの所には神殿で聖別されたパンしかありませんでした。聖別されたパンは、エルサレム神殿で新しくパンが聖別されて献げられると、古いパンは下げられて祭司たちの日毎の糧になっていたのです。祭司アヒメレクはダビデに「あなたたちの身が汚れていないのなら聖別されたパンを差し上げましょう。」と言って、本来なら祭司しか食べることの出来ないパンをダビデたちに与え、ダビデと家臣はそのパンを食べて飢えを凌いだのでした。ちなみに(この福音書の箇所に名前の出てくる)アビアタルは祭司アヒメレクの息子がす。祭司アヒメレクは、逃亡するダビデを助けて神殿で聖別されたパンを与えて助けたことを知ったサウル王に殺されることになります。ダビデは祭司アヒメレクの息子アビアタルからサウルが祭司アヒメレクを殺した知らせを受けたのでした。
主イエスはこの物語を引き合いにして、人の命は律法以上に大切であることをファリサイ派律法学者たちに伝えます。今日の聖書日課福音書(マルコ2:27)で主イエスは「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。」と言っておられます。
主イエスは律法の大切さ、そして安息日の大切さをよく知っていたことは言うまでもありません。主イエスは安息日の大切さを伝える文言そのものより、その文言を支える主なる神の思いの大切さを律法学者たちに伝えているのです。
そのことを考えるためにも、十戒の中の「安息日」について、思い巡らせてみたいと思います。
十戒の中で、「安息日」についての戒めは第4に位置します。その前の第1の戒めから第3の戒めは神に対する戒めであり、第5から第10までの戒めは対人間に関する戒めで、その両者をつなぐ要の位置に「安息日を守ってこれを聖別し、あなたの神、主があなたに命じられたとおりに行いなさい(申命5:12)」と、第4の戒めがあります。
神に対する掟とそれに基づく人に対する掟を守って生きていくために、イスラエルの民は安息日にこの十の戒めを確認しました。神との関係と人々との関係を安息日に振り返り、修正して、自分を通して御心を行うことに相応しくあるように養いと導きを受けるのです。これが安息日の意味です。
イスラエルの民は、そのために安息日を設けてそれを特別な日としました。
この日に、民は自分と神の関係を深く問い返し、主なる神に導かれて生きることができるように、神の御心に基づいて神と自分を確認するための日としました。
そのことは、今日の旧約聖書日課の中にも読み取ることが出来ます。
安息日を守って聖別すべきことについては申命記第5章12節~15節に記されていますが、なぜ安息日を守るのかについては、先ず序文の6節で「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と述べられています。それに加えて、この安息日についての第4の戒めの中でも15節でもう一度「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。」と言っています。
このことは、イスラエルの民が主なる神によってエジプトでの捕らわれから救い出された民であるという自己理解とその信仰によって生きる民であることの大切さを表しているのです。
主イエスは、このことを踏まえて、ファリサイ派に答えます。ファリサイ派は主イエスに付き纏うように観察し、調らべ、審問し始めていますが、その根底にある彼らの律法主義を批判して、「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。」ときっぱりと言っておられます。
旧約の民であれ、新約の民であれ、人は誰もが罪の奴隷だった時があり、私たち新約の民は主イエスによって自分では逃れられないその罪を赦され、解放され、救われて天の国の約束を受けています。
古い契約の民であったイスラエルの民は、安息日を聖なる日として、神との交わりを正しいものにしようとしたはずでしたが、旧約の民の指導的立場にあったファリサイ派律法学者たちは、その精神より律法の文字の解釈に拘り神の恵みを受ける通路を失っていきました。
私たち新しい契約の民は、主イエスによって救い出され、罪を赦されて今を生かされています。私たちも新しい契約の民として、私たちの安息日である「主の日」を主なる神との交わりをいただく聖なる日としていきましょう。
私たちは主イエスによって死と滅びに向かう奴隷状態から解放され、神の大きな愛の中に生かされていることを覚え、主イエスが私たちの安息日を回復してくださったことを思い起こして感謝したいのです。そして、私たちは、主イエスのみ言葉と御糧によってますます養われ、導かれていく信仰生活を整えていくことが出来ますように。