成長の時を見守り支える
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉 第3章1節)
新年おめでとうございます。本年も教職員一同で子どもたちの心身の豊かな育みのために努めて参りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
昨年の引越を機に、牧師館玄関前(みどりの広場の突き当たりコンクリート立ち上がり部分)に水仙の球根を植えました。また、幼稚園の各クラスではヒヤシンスの水栽培を行っています。
水仙の芽が出てくるのを心まちにし、また、水栽培のヒヤシンスの根が伸び、芽が大きくなってくる様子を楽しみながら新年を迎えました。花の咲く時が楽しみです。
それぞれの子どもたちにも成長の時があります。十分に根を張る時、葉をしげらせる時、花を咲かせる時、実を結ぶ時、休眠する時。
成長するのは子ども自身なのですから、大切な事は周りの人が出来るのは良い環境を整えることであり、あとは手出しをせずに関心をもって見守ることです。それぞれの子どもの姿をしっかりと見極めながら、急がせず、かといって放任するのでもなく、心の栄養になる言葉をかけ、子どもたちを見守ることが大切なことだと言えるでしょう。
各ご家庭におかれましては、子どもたちが出来るだけ規則正しい生活が出来るようにご配慮いただければ幸いです。なぜなら、規則正しい生活は、「時」のメリハリをしっかりと創り出すからです。生き生きと心を通わせ、言葉を交わし合う生活を創っていく上でも、「時」をしっかりと意識していたいと思うのです。
近年、日本の教育力の低下が指摘され、マスコミなどでも、昨今の子どもたちの学力が世界の他国に較べて順位を下げていることが話題になります。特に思考力や応用力の低下が目立っているようです。その原因として、子どもたちが幼い頃から周りの人たちと対話する機会を奪われ、自分の実感を大切にして他者と心を通わせる機会が減っていることが指摘されています。
人と人との深く暖かな心の交流を失っては人間としての成長はあり得ません。時代は私たちを怠惰にさせるほどに便利な道具や指先を動かすだけで遊ぶ気になる遊具にあふれ、心と体を十分に動かしながら他の人とぶつかり合い、理解し合いながら心の交流を深める機会が乏しくなってきています。同じ場所にいながらも、例えば、それぞれがテレビ画面に向かって一日中ダラダラと電子ゲームをする人も増えて、そこでの心の触れ合いや交流は乏しくなり、「時」に対するメリハリも失っているかのように感じられます。
子どもの確かな成長を信じて、豊かな交わりのある「時」を創り出す働きに努めて参りたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。