草花の生長と子どもの成長
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 (コリントの信徒への手紙I 3:6)
上に記した聖書の言葉は、パウロが信仰の共同体である教会の成長について語っている言葉です。
わたしは時間を見つけては聖堂脇の花壇やサツマイモの植えてある三角畑を見て回るのが大好きです。そして、植物の生長と子どもたちの成長には重なり合う点が多いことなどを思い巡らせています。
植物の生長には段階があります。野生の植物は人間の手が無くても、季節に応じて自然に発芽して育ち始めます。人が種を蒔いたり苗を植えたりするのにも相応しい時期があり、その時期を逸せずに適した環境を与えれば、草花はその中で順調に育つはずです。草花にはそれぞれに固有の遺伝子があり、その働きによって相応しい時期に芽を出し、葉を付け、茎を伸ばし、花を咲かせ、実を着けます。人が適切に関わることで、草花のもつ秘めた固有の性質は目に見える姿となって現われ、わたしたちはその生長と開花、また結実を楽しみます。
わたしたちにできることは、草花の生長と開花を願い環境を整えることであり、無理に茎や葉を引っ張ることはできないし、つぼみをこじ開けることもできません。草花の育ちに合わせて、必要な分量の水や肥料を与えたら、あとは草花自身にひそむ力によって生長するのを待つことが、人の仕事だと言えるでしょう。
さて、人の成長を支援することは、植物を育てることととてもよく似た側面があります。人も動物も植物も神に創られた生き物だからでしょうか。
人の成長の過程にも、それぞれの時があります。目と目を合わせ互いに心を通わせる時、柔らかな声で沢山の言葉をかけてあげる時、子どもの言葉をしっかり受け止めてオウム返しするように応答してあげる時、子どもが適切な言葉で自分の気持ちを表現できるように気持ちを向けて支える時、子どもの心に沿ってピタリとした言葉を語りかけるべき時、新しい物事に挑戦する子どもの勇気を支えて励ます時、他者を配慮した子どもの言動を認めて自覚化させる時、自分の中のエネルギーを適切にコントロールして表現するように子どもを方向付ける時、この世界の大切はことを伝えるために大人としての自分がしっかりと子どもと対峙する時等々、わたしたちは子どもの成長に沿って、急ぎ過ぎず、怠らず、関わり続けることが必要なのでしょう。
現代は誘惑の多い時代です。子どもたちも例えばテレビ番組などから暴力や下品な情報の影響を受ける場合もあります。その時は、立派な花を咲かせて実を着けさせるためには脇芽を摘んだり不要な実を摘果するのと同じように、しっかりとした態度で子どもに向き合うことも必要になるでしょう。草花の病虫害の駆除は早期発見と早期対処が求められるように、他者に危害を加えたりた他者から危害を加えられないようにするために、大人として素早く適切な対処が必要になることもあるかもしれません。
また、良いことだからと言って子どもに過度に負担になるほど勉学や習いごとを強いることなどは、肥料過多状況の植物に似て、かえって成長の負担や妨げになって、子ども自身が飽和状態に例えられるとも言えるでしょう。
草花の生長は、毎日その日なりです。焦らず、怠らず、希望を持って開花や収穫を楽しむように、子どもの育ちについても日々を楽しみつつゆったりと落ち着いた家庭づくりを心がけることが求められているのではないでしょうか。もちろん幼稚園でも、教職員の資質向上をはじめ、子どもたちの成長に相応しい環境となれるよう努めて参ります。
わたしたちを育ててくださる神の愛を子どもたちに具体的に注ぎ、子どもの成長に資することができることは、子どもに関わる者の大きな喜びです。その喜びは、草花の世話の喜びより遙かに大きいと言えます。