「世界一」の子育てを
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」 (コリントの信徒への手紙Ⅰ 3:6 )
子育てはなかなか私たち大人の思い通りにはいかないものです。私たち大人に出来ることは、子どもに内在している「育つ力」が現れ出るように支援することではないでしょうか。
それでは、子どもの「育つ力」を支援するとは、どうすることでしょう。それは、「我が子」にとって「世界一の親」になることであり、私たち幼稚園の教職員としては子どもたちの「世界一の先生」になることです。
「世界一」と言っても、オリンピックのような勝敗をつける競技で世界の頂点に立つことではなく、時に半歩下がって子どもの見守り役になり、時に半歩先に進んで子どもの良きお手本になり、また時には子どもと一緒になって子どもの気持ちを共感する人になって、子どもにとっての「最も大切な人」になることなのです。
私たちは、どんなに高価な外食も3日も続けば飽きてしまいますが、お母さんの作る味噌汁は毎日だって飽きません。和やかで温かな会話のある食卓は、何にも勝る子育ての場であって、それは各家庭でその子にとって「世界一」の場となるでしょう。私が小学生の頃、『うちのママは世界一』というテレビ番組がありました。その内容は別として、どの子どもにも「うちのママは世界一」、「ボク(わたし)の幼稚園は世界一」という経験をして欲しいと思います。それは、モノの豪華さにおける世界一ではなく、子どもの経験の質や深さとしての「世界一」なのです。子どもの経験の質やその深さは、何かの出来事での体験が、大切な人と分かち合われて共感されるときに、本物となります。私たちは、日頃、子どもたちとどのような言葉をどれだけ交わし合い,心を通わせているでしょうか。
子どもにとっての「世界一」とは、必ずしも子どもの物的な要求を何でも直ぐに満たしてくれる存在のことではありませんし、いつまでも赤ちゃん扱いして幼いままに留めさせる存在のことでもありません。かといって、子どもを叩いたり叱りつけたりすることでの「世界一」などと言うのもいただけません。なぜなら、子どもは多くの場合、叩かれれば「なぜ叩かれたのか」などと考えるより、叩かれたこと自体が心の傷になってしまうからです。また、子どもは、叱られたときも、大人が叱ったその内容に反応するより、叱る人の感情に反応することが明らかだからです。
冒頭に掲げた聖書の言葉のように、「育ててくださるのは神」です。私たち大人に出来ることは、子どもの成長する力をしっかりと見据え、そこに肯定的かつ積極的に反応してあげることです。これさえ出来れば、子どもにとって「うちのママは世界一」であり、食育、知育、体育などそれぞれの事柄はそのバリエーションに過ぎません。そのバリエーション部門でも、例えばお料理、会話、生活習慣等々でも、ぜひ「世界一」の子育てをしていきましょう。神さまからいただく金メダルを目指しましょう。 (あいりんだより2010年2月号)