2023年02月08日

神の似姿を示す人として  (あいりんだより2009年5月号)

神の似姿を示す人として

 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。(創世記第1章23節)

 昨年の遠足のことでした。本園の子どもたちが遊具の前で列を作って順番を待っていると、他園の子どもがズカズカと割り込んできました。わたしは、思わず「みんな順番に並んでいるのだから、列の後ろに回りなさい」と言っていました。世の中にはそのような子どもを「たくましい」などと勘違いしている人もいるようですが、それは「たくましさ」ではなく「厚かましさ」です。

 旧約聖書の冒頭には天地創造の物語があります。その中で、神は人間を「神にかたどって」お創りくださった事が記されています。

 「神にかたどって」とは、他の動物にはない人間の抜きん出た性質のことを意味しています。つまり、この物語の根底には、人間は物事を他の動物以上に認識する能力や物事を建設的に創造していく能力、それに言語をはじめ他者とコミュニケーションを豊かにとる能力などが特別に与えられているという人間理解があります。そして、その能力を生かして神の意思をこの世に具体的に現していくことが人間らしく生きることの内実であると聖書は教えているのです。

 わたしたちはその場その場の出来事に応じてそれに対処する方法を選び取り、決断して行動に表します。その一つひとつが神の似姿を現すことへとつながれば、人間として何と名誉なことだろうかと思います。そしてそのような生き方を貫くことがたくましいことであり、それは何でも自分勝手に一人だけ良い思いをすれば周りにお構いなしという厚かましい生き方とは雲泥の差があることがお分かりでしょう。

 目の前に困っている人がいたとしましょう。困っている人を可愛そうに思うのも人間の反応ですし、いじめてやろうと思うのも無視しようとするのも人間の反応です。わたしたち人間は、困った人を見たときに、自分でも人間として恥ずかしく思えるほどに神の似姿に相応しくない感情が湧くことだってあるかもしれません。でも、自分の中にあるそれに気付き、神の似姿に相応しく自分を顧みて、どうすれば目の前の困っている人の助けになるかを考えて行為に現すこともまた神の似姿に相応しい人間の在り方であり生き方なのではないでしょうか。

 幼稚園時期の子どもたちは、まだまだ幼く考えも短絡的ですが、素直であり、生き方を方向付ける上で大切な時期であると言えます。本当のこと、正しいことをしっかり見据えながら、大きく育ち、やがて神の意思を示す人になれるよう願ってやみません。そのように生きることこそたくましい生き方であり、それは他人を顧みない厚かましい生き方とは全く違うことを再度申し上げておきたいと思います。

(「あいりんだより」2009年5月号)

posted by 聖ルカ住人 at 20:45| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする