2023年02月06日

確かな眼差しのもとで (あいりんだより2009年4月)

確かな眼差しのもとで

「子どもたちをわたしのところに来させない妨げてはならない。」(マルコによる福音書9:14)

 教育要領が改訂され、「遊びをとおして子どもを育む」と言うことが、強調されるようになりました。小学生になると、文字の読み書きを覚えたり計算のし方を学んだりするようになりますが、そのような学びの根底には子どもの生きた経験がなくてはなりません。子どもの場合、その生きた経験を重ねるのが「遊び」と言うことになります。

 今から15年近く前になるでしょうか。『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(R・フルガム著)という本が随分話題になったことがあります。この本の中でも、人が幼い頃から遊びをとおして沢山の生きた経験を重ねることの大切さを強調していたように、私は記憶しています。

 私は、遊びの大切さを十分に踏まえつつ、更に遊びが深まり発展するためには、他者の「確かな眼差し」が必要であることを付け加えたいと思います。私たち人間は、心の内外に恐れや囚われがなく内的にも自由であるときに、より深く本当の自分になっていくことができます。子どもの遊ぶ場面でも同じです。子どもたちが自分たちで自由に遊んでいるだけでも、遊びは深まり進展するものですが、そこに子どもを深く見つめる確かな眼差しがあるとき、子どもたちの遊びは深まりと発展は一層確かなものとなるのです。子どもたちがそのような確かな眼差しに守られて遊び、その遊びが展開していくことは、本人の心の表現にも関係してきます。子どもは遊びをとおして、自分を癒し、自分を教育し、自分を成長させていくことができます。

 私たち大人は、時に子どもたちにアドバイスをしたり、子どもたちを大きな危険から守ったり、また時には遊びに必要な道具をそろえたりして、子どもの遊びがより深く大きく進展するように配慮するのですが、このように子どもを支援する存在のことを、親も教師も子どもにとっての「人的環境」と呼んでいます。

 そして、子どもたちばかりでなく私たち大人に対しても、私たちを越えたもっと大きく深く確かな眼差しが注がれていることを心に留めておきましょう。この眼差しは、愛の眼差しであり、私たちはこの眼差しを受けながら、隣人を自分のように愛することへと向かっていけるのです。新しい一年のスタートです。私たち大人が神から受ける愛の眼差しを自覚し、子どもたちに確かな眼差しを向ける子育てへと向かって参りましょう。(あいりんだより2009年4月)

posted by 聖ルカ住人 at 21:01| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする