2023年02月03日

「時」を受け入れ「時」を活かす (あいりんだより2009年3月)

「時」を受け入れ「時」を活かす

 「何事にも時があり  天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉第3章1節)

 3月になりました。進学、進級をひかえ、子どもたちは希望に胸をふくらませる時です。それと同時に3月は、子どもたちにとってこれまでの自分に別れを告げて新しい世界、新しい次元に移っていく時でもあり、一抹の寂しさや不安を抱くこともある時です。

 私は、3月になると、かつてカウンセリングの指導をしてくださった恩師が次のように言っていた言葉を毎年のように思い出します。

 「時が人を癒したり生かしたりすることがあってね、そういう意味ではこの時期(3月,4月)は大切なのですよ。」

 かつて私が関わった次のような幼稚園生の事例があります。

 その子は、ごく普通の子でしたが夜尿がやまない子でした。やや甘えん坊ですがいつも元気に健康に遊んでいますが、夜尿はなかなか治まりませんでした。でも、その子が小学生になったとたん、夜尿はピタリと治まったのです。「時」がその子に以下のような決心させたのです。

 「他のお友達はもうオネショしていないんだって。小学生になるんだから、私ももうオネショはやめよう。」

 すべての夜尿がこれほど単純に治まるわけではないし、夜尿のある子に「あなたはもう小学生になるのだから・・・。」とプレッシャーをかければ良いというものではありません。でも、少なくともこの子にとって「時」が大きく働いたことは確かです。

 「時」は、その子にとってそれまで「甘えん坊」だった自分に別れを告げさせ、自立の段階を一つステップアップさせたと言えるかもしれません。

「何事にも時がある」ということは、何もせずただすべてを神に任せてこちらはジッとしているということではありません。鳥がしっかりと巣立つために、親鳥は小さなヒナにえさを運んだりわざと少し離れた場所にえさを取りに来させたり子育てをしますし、ヒナ鳥も巣の中で幾度も羽ばたきの仕草をして筋肉を鍛えたり親鳥にえさの捕獲の訓練を受けながら、巣立ちの時を迎えるのです。

「時」は待つものでもありつつ、活かすものでもあります。その状況を受け入れて「時」が来るまで耐えなければならないこともありますが、「時」を活かして積極的に動かなければならないこともあるでしょう。

いずれにしても、今という「時」のはるか先で、神さまが私たち一人ひとりを大きな御手の中に位置づけてくださいます。やがて時がたち、今という時を振り返って「あの時があったからこそ今の自分がある」と言えるようになりたいと思いますし、そうなるためには、日々祈りの思いをもちながら、「時」が熟するのを待ちながら、ていねいに子どもに関わっていく他に子育ての王道はないのではないかと思います。

(あいりんだより2009年3月)



posted by 聖ルカ住人 at 10:02| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする