50年近く前のこと、私の堅信礼準備の時に、当時の牧師にこう言われました。「自分の祈祷書、聖書、聖歌集は持っていますか。自分の祈祷書で礼拝し、自分の聖歌集で歌いなさい。」
親のお下がりの祈祷書と聖歌集を使っていることを伝えると、牧師は堅信礼の記念に祈祷書をプレゼントして下さいました。堅信式後に初陪餐そして祝会、戴いた祈祷書の表紙裏に按手してくださった教区主教、牧師、ゲストで来会した米国聖公会の執事(女性)にサインをしていただきました。その祈祷書と相変わらず親の聖歌集と聖書をカバンに入れて主日に出かける教会生活が続きました。
再び教会に戻ろうと思うようになった頃、祈祷書を読み通してみたことを思い出します。その時の感想は「まさに揺り籠から墓場まで」の祈りが用意されているということでした。その内容は、日々の朝夕の礼拝(当時の文語祈祷書では「早晩祷」でした)や聖餐式、聖婚式や産後感謝式、病床の祈り、通夜、葬送式、逝去記念の祈り、聖職按手式や牧師任命式等々で、現行祈祷書も殆ど変わりありません。私には、主日の礼拝でもこのような祈祷書の全体を感じながら祈ることは大事なことのように思えるのです。
現行祈祷書の中の聖餐式本文はp.162~ですが、その前に「準備の祈り」が数種類あることはご存知ですか?教会暦に応じて、聖餐式の前にその準備の祈りも出席者と一緒にしたいと思う時もあります。また、様々な感謝や祈願の祈りも掲載されていることもご存知でしょうか?日々、自分の言葉で祈ることの大切さを踏まえつつ、祈祷書にある成文祈祷をすることで自分の祈りが補われたり軌道修正されたりすることもあります。是非My祈祷書をお持ちになって、主日の礼拝にもMy祈祷書で礼拝することを心がけていただきたいと思うのです。
My祈祷書を持つことの意味を理解すれば、My聖歌集を持つことの意味もお分かりでしょう。
現行の『日本聖公会聖歌集』も先ず1ページ目から読んでみると興味を引くかもしれません。ここには挙げませんが「へえ、そうなのか!」と思うことが誰にでもいくつかあるはずです。また、目次をみれば580曲の聖歌がどのような順番に並んでいるのかなどの概要も理解できるでしょう。きっと聖歌を歌うことの恵みや楽しみと共に聖歌にまつわる知識や雑学も楽しいものになるのではないでしょうか。
私が昔お世話になったある信徒の方は、自分の聖歌集に何時その歌を歌ったかを小さく記録していて、その聖歌をある主日礼拝で歌った後、「この聖歌はあなたのお祖母ちゃんのお葬儀でも愛唱歌として歌ったね」と懐かしそうに話しかけて下さったことがありました。その人の古今聖歌集511(現行聖歌集471)「恵みのかげに」のページには「小野寺リウさん愛唱歌」とでも書かれていたのでしょうか。先月、他教会の親しい信徒の方が逝去され葬儀に行きました。その方の愛唱歌としてその聖歌が歌われ、主の御許でこの聖歌が幾度も歌われるだろうと思いました。
祈祷書と聖歌集だけでなく、聖書も自分の本を持って、自分の礼拝用書で礼拝することは大切なことであると思います。「My聖書」については機会を改めて記したいと思います。
教会備え付けの礼拝用書を用いても、コピーを用いても、その内容に変わりはありませんが、自分の信仰生活を日常化するために、是非自分の祈祷書、聖書、聖歌集を持って大いに用いていただきたいと思います。
(『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信2023年1月号)