2023年01月10日

歓声 2008年7月

歓 声

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙第12章15節)

  私が職員室でパソコンに向かっていると、保育室の声が聞こえてきます。ある日の、いわゆる朝の「集会」の時間です。M先生の張りのある声がここまで届いてきました。

「今日はもう一つみんなにお知らせがあります。入院してお休みしていたMちゃんが、今度の土曜日に退院することになりました。」

 クラスのみんなから歓声が沸き起こりました。そこに「やったー!」という声も混じっています。私は、子どもたちの中にある優しさ、純粋さ、温かさに触れ、胸が熱くなる思いでした。Mちゃんの手術前には、クラスの子どもたちをはじめたくさんの人が祈りを込めて千羽鶴を折って、担任のM先生がお届けしたのでした。

 聖書の中に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙第1215節)という言葉があります。そのような感性が子どもたちの中にあって、ちょっと大げさな表現になりますが、あの歓声は私の中に「人間って良いものだ、世の中捨てたものじゃない。」という思いを再確認させてくれる出来事でした。

 今の世の中は、対人関係がどんどん希薄になる傾向があり、確かな人間関係の中で自分を再確認することのできる場も少なくなってしまったように思えます。でも、私たち人間は生きた手応えの中で自分を再確認しながら生かされていくものではないでしょうか。その手応えを得る機会の乏しい現代人の中には、共感してくれる人のいない寂しさを、それとは意識しないうちに形を変えて病理的に表現する人もいると指摘する人もいます。

私たちは自分が嬉しいときに周りの人にどんな反応を求めているでしょう。また、悲しんでいるときにどんな反応を受けているでしょう。

 子どもたちがあのような歓声を上げられる感性は、一朝一夕には生まれ育ちません。それはきっと子どもたちがまだ赤ちゃんで「バブバブ」といっていた頃に、お母さんが赤ちゃんとしっかり目を合わせて、柔らかい笑顔で「おやー、そう、バブバブね。」と応じていた頃から育ってきたのではないでしょうか。

キリスト教の保育とは、小さいときから倫理や道徳とその行動様式を厳しく訓練するより、まず暖かく豊かな心の交流のある人間関係を子どもに体感させることにあると私は考えます。

 そうであれば、まず子どもに先駆けて心底暖かく豊かでなければならないのは私たち大人であるはずです。神は、なかなかそうなれない私たち大人にあの歓声を通して小さな神の国の姿を示して、私たちが神の絶対的な愛を受け入れるように招いておられるのではないかと思うのです。

20087月あいりんだより)

posted by 聖ルカ住人 at 13:53| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「今が華」と励まされて

 私たち夫婦が3人の男児を育てるのにエネルギーを使っていた頃、教会の或るおばあさん信徒がよく次のように言って妻の子育てを励ましてくださいました。

 「今が華よ。」

 子どもの行動範囲が広がり、一時も目を離せない中で、炊事、洗濯、掃除などの日常的な家事をしながら、育児をする時期があります。私たち夫婦は、3人の男児の子育てに時間的なゆとりもなく、夢中で子育てをする時期に、幾度「今が華よ」という言葉に自分を取り戻し、励まされたことでしょう。

 この言葉をかけて戴いたとき、私の胸には「そうは言っても・・・。」という思いも付きまとっていたことも認めねばなりません。でも、それはかつて私たち夫婦よりもっと厳しい状況下でお仕事もし、子育てをなさった方の実感でした。

 既に3人の息子たちは成人し普段は老夫婦二人で過ごしている私は、子育てに奮闘する若いご夫婦やお母さんを見かけると、「今が華よ」という言葉を贈りたくなります。

 子育ては、時間的にも、心理的にも、経済的にも負担がありますが、親子の関わりの中でこそ知ることのできる子どもの命の輝きを見逃すことなく、「今」の子育てを楽しんで欲しいと思います。子どもは、そして私たちは、「今」しかない時を日々生きているのですから
posted by 聖ルカ住人 at 10:49| Comment(0) | 子育て応援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする