2023年01月09日

積極的に聴きましょう  2008年6月

積極的に聴きましょう  

 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。 (ヨハネの手紙一 4:16


  「積極的に話す」はよく耳にしますが、「積極的に聴く」ということには、一瞬「おや?」と思われた方も多いのではないでしょうか。

 子どもが言葉や文字を獲得していくこととその心理には深い関わりがあります。それは、言葉や文字の獲得に限らず、意欲や能動性の土台に深く関わる問題です。

 私たちはどんな時に話したくなるでしょうか。自分の思いや気持ちを伝えたいときや分け合いたいときではないでしょうか。そうであれば、まず、自分が安心して自分を表現することが許されていると感じることのできる暖かな雰囲気が必要になります。そのような雰囲気の中で、お互いに自分の思いや気持ちを伝えあい、お互いに理解し合えた喜びを重ねることで、人はさらに能動的に自分を表現するようになり、本当の自分を適切に表現しまた相手を適切に理解できるようになっていけるのです。

 もし子どもたちがこのような土台がないままに、情報としての言語や文字、記号としての言語や文字を与えられても、子どもの中にしっかりとした意味とともに習得されることは難しくなります。

 私はかつて「お母さんの膝の上で絵本を読んでもらう子どもの視線」に興味を持ったことがありました。子どもはお母さんの膝の上に座っていますので、お母さんはなかなか気づきにくいのですが、お母さんの膝で落ち着いて絵本を読んでもらうときの子どもはとても能動的です。お母さんの朗読に合わせて子どもの視線は絵本の上をあちこち動き回り、子どもは耳と目の両方からそのお話を味わっています。時にはページをめくろうとするお母さんの手を押さえてその部分を自分の心(頭かもしれません)に納めようとするかのような姿も見られます。そこにはお母さんと子どもの一体の作業があり、その中で子どもは絵本から語られる言葉とその言葉の内実を結び合わせ、意味ある言葉を獲得していきます。その過程で、子どもは頭と心の中で、単に絵本を「読んでもらう」という受動的なことをしているだけでなく、とても自発的で積極的な作業をしているのです。

 これが、テレビ番組やビデオの場合だったらどうでしょう。子どもは自分のペースによってではなく、テレビの画面にペースに自分を合わせていくことを強いられ、時には能動的にメッセージを集めようとする能動性が停滞してしまいます。テレビやビデオは子どもの心にナマで応答してくれることはありません。幼稚園の視聴覚教材も、大人が楽をするためのものではなく、あくまでもその内容をみんなが共有してその先の発展につなげるための補助的な教材であると思いますし、各ご家庭にあってレリビや電子機器の利用についてもそうであって欲しいと願っています。

 子どもたちが能動的に、積極的に生きられるようになることを支援しようとすれば、温かな心に裏打ちされた心の交流、対話が必要です。その楽しさを体で知っている子どもたちは、明るく生き生きと他の人と関わり、コミュニケーションの道具である言葉の獲得やその表現力も年齢にふさわしく成長していきます。そのような中でテレビ番組やビデオのことが話題になることもあるでしょう。子どもは、まだ経験の幅も狭く言動が稚拙であったり不十分であったりすますが、私たち大人は子どもが自分から純粋に一所懸命に表現しようとする思いをしっかり受けとる必要があります。私たちは子どもに向かって教えたり話しかけたりすることに積極的である以上に、子どもの話をじっくりと聴いて理解しようとすることに積極的であるように心がける必要があるのかもしれません。

(あいりんだより20086月)

posted by 聖ルカ住人 at 21:45| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする