2022年12月19日

言葉かけの大切さ

 言葉かけの大切さ

 昔、私は、赤ちゃんは小さくてまだ話せないしまだ理解できないから言葉かけは無駄だと考えているお母さんにお会いしたことがありました。

 いいえ、赤ちゃんは何でも分かります。かりに百歩ゆずって、赤ちゃんはまだ言葉が分からないとしても、分かっているかのように言葉かけをしてあげることは大切なことなのです。まだ言葉の一つ一つの意味までは分からないとしても、赤ちゃんはお母さんが話しかける雰囲気や表情から、心の中で相当に強い反応を示しているのです。はじめのうちはごく大まかな快・不快という程度の反応かも知れませんが、お母さんの掛ける言葉が赤ちゃんの中に快適に入っていくこと、心地よく響くことは、赤ちゃんの精神的な成長にとって大切な「栄養」になります。また、言葉を獲得していく上でも大切なことなのです。

 ダッコして優しく子守歌を歌いながら軽くトントンと叩いてあげたり(パッティングと言います)、周りの様子や赤ちゃんの気持ちを代わりに言葉にしてあげるような言葉かけも有効だと考えられています。

 私たちが、満天の星を見上げても、はじめのうちは星の位置関係など見えませんが、幾度も幾度も夜空を見上げているうちに、そして星座を知るうちに、星は星座としてある程度のまとまりをもって認識できるようになるでしょう。赤ちゃんが言葉を理解していくのもこれと似たところがあります。お母さんの優しい声と言葉遣いによって自分に向けられる言葉を、幾度も幾度も耳にすることによって、赤ちゃんは自分の体験と言葉を結びつけ始めます。沢山のお話しの中から、赤ちゃんは、次第に重要な単語や言い回しをキャッチしはじめます。、

 言葉をかけられることは快い、言葉を受けることは心地よい、という経験を沢山重ねることは、赤ちゃんにとって単に言葉を獲得するために有効なだけではなく、情緒の安定した豊かな精神性を育むための第一歩でもあります。

 柔らかな声で、優しい言葉で、にこやかに沢山話しかけて上げましょう。

posted by 聖ルカ住人 at 15:16| Comment(0) | 子育て応援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巷のクリスマスに思う

 もう大分昔のこと、都内の大きな文具店でクリスマスカードを探したことがありましたが、残念ながら、気に入ったものを見つけることはできませんでした。

 私が探していたのは、例えば馬小屋の聖家族とか博士たちの訪問などの聖書が語るキリスト降誕の絵カードでした。でも、そのようなカードは一枚もなく「始めからキリスト教書店にいけば良かったな。」とがっかりしながら店を出ました。

 また、これも大分前のこと。降誕日が近づく頃、ラジオで「クリスマスソング特集」をやっていました。馴染みの聖歌も流れてくることを期待しながらラジオに耳を傾けていました。「ジングルベル」、「赤鼻のトナカイ」などの曲が流れ、「それでは最後の曲です。クリスマスと言えば、これを抜きには考えられません」いう前置きを聞いて、私は「今度こそ『きよしこの夜』だ!」と思いました。でも、紹介されたのは「ホワイトクリスマス」で、結局、一時間近いその番組では私が期待していたクリスマスの聖歌は一つも流れませんでした。何年か経って、そのことを家族にぼやいたら、息子に「そんなの当たり前だよ」と言われてしまいました。

 クリスマスとは、キリスト(救い主)とマス(礼拝)の合成語で、救い主イエスの降誕を祝いその喜びを分け合う日で、この日をどう迎えるかは、「自分にとってイエス・キリストとは何者か」に関わる大問題なのです。

 私たちは、この日を年末の演出効果程度の出来事で済ませるのではなく、教会に連なりイエスを救い主と告白する者として、豊かで内実のある日として過ごしたいのです。

 イエス・キリストの誕生は、決して華やかでも煌びやかでもありませんでした。でも、イエスは私たちが生きることを肯定し、その喜びを私たちの心の奥深くに与えてくださいました。

 私たちは、この喜びの根底にあるイエス誕生の物語を共有し、その当時の底辺を生きていた羊飼いに喜びのメッセージが真っ先に届けられたことを思い、私たちの弱さや貧しさの中にこそ宿ってくださるキリストを分かち合いたいと思うのです。私たちにとって、当たり前のクリスマスとはどのようなクリスマスなのでしょう。どうぞクリスマスに、いや、いつでも教会の礼拝においでください。

 (『マラナ・タ』東松山聖ルカ教会教会通信 2022年12月5日発行号)


posted by 聖ルカ住人 at 09:31| Comment(1) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする