2022年12月13日

食欲の秋に

食欲の秋に

 見よ、全地の生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。(創世記第1章29節)                                                    

 秋です。幼稚園の小さな畑でさつま芋掘りをします。実りの秋であり、食欲の秋です。

 人間は一年の内で夏にいちばん夏に太りやすいのだそうです。定温動物である人間の体温は36度前後であり、その体温を保つためは暑い時期より寒い時期の方が沢山のエネルギーを必要とすることになります。涼しくなって体温と外気温の差が大きくなると体脂肪を燃焼させて体温を保つ必要が生じますから、当然その分のエネルギーを食料として体内に取り入れたくなり、秋は食欲が増加するのだと聞いたことがあります。真偽のほどは分かりませんが、秋は食べ物が美味しく感じられます。

 近年、家庭での生活習慣が大きく変化し、夜更かしをして睡眠時間が不足している子どもや朝食を採らない子どもが増加しているようです。政府もこの問題を重視し「早寝、早起き、朝ご飯」というキャッチフレーズにより、規則正しい生活の必要性と朝食の大切さを訴えています。私の個人的な経験からも、朝食をしっかり採れる子どもは心身の発育のバランスも良いと言えそうです。

 ある統計調査によると、学力テストの結果と朝食を採っているかどうかには高い相関関係があるということです。朝食をしっかりとっている子どもの方が圧倒的に高い学力を示すという調査結果があるのですが、それは単に高い学力の要因が朝食の栄養とエネルギーにあるということではなく、しっかりした食生活習慣のある家庭では勉強を含むその他の生活習慣もしっかりしている傾向があるということなのかもしれません。当たり前のことなのですが、朝食を採るゆとりのある家庭の子どもは、その分、親子でのコミュニケーションの量も質も高くなると言えるでしょう。

 愛隣幼稚園では、一週間のうち給食の日より子どもたちがお弁当持参で登園する日の方が多いのですが、このことについても各ご家庭で積極的な意味を踏まえていただけると幸いです。

 子どもたちが幼稚園に持ってくるお弁当には、各ご家庭からの大切なメッセージが含まれています。「愛情弁当」という言葉がありますが、まさのその言葉のとおり、幼い子どもたちにとってのお弁当は、子どもたちが家族と離れて過ごすときにも「自分が家族と確かな絆で結ばれている」ということを実感する大切な媒体となるのです。比喩的な表現を用いれば、お弁当の中には「その子の家庭そのものが凝縮している」と言えるでしょう。

 幼稚園ではお弁当の時間になるとそれまでとは違う時が流れ始めます。みんながお弁当を開くと、その場は子どもたちの家庭が持ち込まれたようになり、会話もそれまでとは違う特有の雰囲気に包まれます。自分の好き嫌いを理解した上で各ご家庭で工夫されたお弁当は、子どもたちにとって言葉では言い尽くせない愛情が感じられるのです。どうぞ、子どもたちの食欲が増し楽しく昼食時間を過ごせるお弁当作りにご協力ください。食事は単に体内に栄養を補給する時間ではなく、幼稚園では大切なコミュニケーションの時間でもあります。幼稚園ではお弁当をいただきながら豊かな会話がたくさん交わせるように努めて参りたいと思います。

 食欲の秋を心身の充実の時にしていきたいと思います。

(『あいりんだより』2007年11月)

posted by 聖ルカ住人 at 18:13| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「神さまのくださる一等賞」

神さまのくださる一等賞

   尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。(ローマの信徒への手紙第12章10節)

  秋です。スポーツの秋です。秋には幼稚園でも運動会があり、遠足もあり、多くの子どもにとって秋は楽しく大好きな季節です。

 でも、中には、競走しても一番になったことはないし力くらべをしても負けばかりで、運動会はあんまり好きではないという子もいます。競走しても勝てないことは悪いことでも恥ずかしいことでもないのですが、私たち大人でもついつい我が子を他人と較べて優劣の中で評価して一喜一憂してしまうこともあるのではないでしょうか。

 運動会が近づく頃、私は子どもたちに「神さまがくださる一等賞」のことを話します。

 みんな誰でも生まれた日が違い、顔も声もそれぞれに違っていて、一人ひとりは取り替えられないのだから、体の大きな子と小さい子がいて、足の速い子がいれば遅い子がいて当然なのです。そしてみんなで競走すれば、誰かが先にゴールに着くし誰かが後からゴールに着くのも当たり前なのです。

 でも、神さまはその到着順で人を評価なさるのでしょうか。いいえ、そうではありません。みんな誰でも神さまにかけがえのない人としてこの世界に命を受けているのですから、神さまは私たち一人ひとりが自分の最高のプレイが出来たら、その人みんなに一等賞をくださるのです。「自己新記録」は神さまのくださる一等賞なのです。

 教会に伝わる次のようなお話しがあります。

 律法の専門家が死を前にして自分を振り返り、こう思って自分の一生を悔やみます。神は死の門の前で私を裁くとき、「あなたはモーセ(旧約聖書に登場する偉人と理解してください)のように律法に忠実に生きたか?」とはお尋ねにはならないだろう。むしろ「あなたはわたしがあなたに与えた人生を、取り替えられない唯一のあなたとして生きたか?」とお尋ねになるだろう。ああ、わたしはただ罪人と比較して優越感に浸って生きてきただけだった。

 厳しい話ですね。

 私たちは、他人と比較して優越感や劣等感を持ちながら生きるのではなく、神から与えられた自分をしっかり生かしていくことが望まれています。そして、親として教師として、子どもたちが自分の様々な能力を伸ばしていけるように支えて関わっていきたいと思います。

 神さまは「あなたに与えた人生をあなたらしく存分に生きていますか?」と尋ねておられます。結果として失敗しても良いし、負けても良いと思います。神さまからいただいた体も心も声ものびのびと精一杯つかって、子どもたちがいろんな面で自己新記録を更新して神さまから一等賞をいただくことのできる秋にしましょう。

(『あいりんだより』2007年10月)

posted by 聖ルカ住人 at 05:19| Comment(0) | 幼稚園だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする