清めを受けた10人とひとりの感謝 ルカによる福音書17:11-19 聖霊降臨後第18主日(特定23) 2022.10.09
今日の聖書日課福音書には、主イエスによって重い皮膚病を清められた十人の物語が取り上げられています。
はじめに、「重い皮膚病」という言葉について触れておきたいと思います。現在私たちが公の礼拝で用いている『聖書-新共同訳-』で「重い皮膚病」と訳されているこの言葉は、かつて「らい病」と訳されましたが、途中で「重い皮膚病」と読み替えることとされ、2018年刊行の『聖書-聖書協会共同訳-』では「規定の病」と訳されています。この言葉を直訳できる言葉がないのです。
この言葉は、旧約聖書のヘブライ語では「ツァラート」であり、新約聖書のギリシャ語では「λεπροs(レプロス)」です。このギリシャ語を語源として英語ではLeprocyであり、このLeprocyは「ライ病」「ハンセン氏病」という意味を含めて用いられてきました。しかし、旧新約聖書の「ツァラート」が実際にどのような病であったのか、その詳細は分かっていません。例えば、レビ記第13章にはこの「ツァラート」がどのような病でどのような見分け方(診断)をするのか、もしこの病に冒されていたらどのようにし、回復したときにはどのようにするのかなどについて記されていますが、その中に人体だけではなく皮製品についての言及もあり、この病がハンセン氏病と同じ範囲の同じ意味で用いられいないことは明らかであり、ツァラートという言葉にハンセン氏病が含まれているとは言えないのです。それでも、この言葉は長い間、ライ病(ハンセン氏病)のこととして理解され、聖書もそれに基づいて解釈されてきました。
しかし、ハンセン病の病原菌は、ノルウェーの細菌学者ハンセンによって、1873年に発見され、この病原菌が体の末梢神経に寄生してそこから体の先端部分を壊死させる病気であることが分かってきたのです。
それ以前には、体の表面に似たような症状の出る他の皮膚病群とハンセン病が区別されずに捕らえられた時代も長く、体にこうした症状が現れた人は強い差別を受けてきた辛く悲しい歴史が世界中にあると言えます。現代の旧約聖書学者の中には、この病は特定の地方の風土病であったと考える者もいて、ハンセン病は旧約聖書時代のパレスチナには存在しなかったと考えられています。
こうしたことを考えあわせてみると、時代と共にその言葉に入り込む他の意味をも踏まえながら聖書を正しく翻訳する難しさを感じます。旧約聖書ヘブライ語のツァラートも新約聖書のギリシャ語のレプロスも、医学用語として極めて曖昧な言葉であり、日本語訳の聖書では「ライ病」、「重い皮膚病」、「規定の病」と訳してきたのが現状であり、『聖書新改訳』(いのちのことば社)は敢えて日本語に置き換えず、そのまま「ツァラート」としています。
長い前置きになりましたが、今日の聖書日課福音書は「10人の重い皮膚病」の者が主イエスに清められた物語です。
この「重い皮膚病」に限らず、病は体のことでありながら体のことに留まらず、病んだ本人にも周囲の人にも、いろいろな影響を及ぼします。例えば、病気のために好きな食べ物を制限されて意欲が減退したり、楽しみにしていた旅行を断念しなければならなくなる場合もあるでしょう。病は本人ばかりでなく、家族や友人との関係にも影響を及ぼします。聖書に出てくる「重い皮膚病」についても、この病気がどれほど恐れられ嫌われていたかを、旧約聖書の次のような記述の中に見ることが出来ます。
例えば、レビ記第13章45節以下に次のように記されています。「重い皮膚病(ツァラート)にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状がある限りその人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」
ここには、重い皮膚病(ツァラート)の者は、人々との交わりを絶たれ、共同体から追い出され、自分の名を名乗る代わりに自分を「汚れた者」と言わなければならず、人格を奪われた様子が覗えます。しかも当時「汚れた者」が意味するのは、肉体的な病気があるということに留まらず、神に見捨てられた(或いは罰せられた)しるしが体に現れ出ていることと捕らえられました。
10人の重い皮膚病者は、そのように神から罰を受けて社会から捨てられた人であり、ユダヤ人かサマリア人かということさえ問題ではなく、捨てられた者が集落の外でひっそりと暮らしていたものと思われます。
主イエスと弟子たちの一行がガリラヤとサマリアの間を通ってエルサレムに向かっていた時のことです。10人の重い皮膚病を患っている人が主イエスが近くにいることを知って、主イエスを探し出して叫びました。
「イエスさま、先生、どうかわたしたちを憐れんでください。」
先ほど触れたとおり、律法によれば、その10人は「汚れた者がここにいます。汚れた者です」と大声で叫んで、自分たちからその場を離れなければならなかったはずです。でも、彼らは必死で主イエスに向かって憐れみを求めます。彼らの「重い皮膚病」は律法をはじめとする当時のしがらみの中で、彼らの名を奪い、人格を奪い、人間らしい生活を奪ってきました。でも、彼らは今主イエスに一人の人として憐れんでいただくことを願って、必死に叫んでいます。
主イエスは、彼らに自分の体を祭司に見せるように告げますが、この10人が主イエスの言葉に従って神殿の祭司のところに向かう途中で、自分たちが既に浄められていることに気付きます。律法によれば、重い皮膚病の症状が消えた人が祭司のところに行って回復の判定を受け、その後に浄めの献げ物をするのが順序ですが、イエスは10人の病者にそのまま直ぐに祭司のところに行くように指示しています。ここに福音記者ルカは、主イエスが深い愛をもって人々を憐れむことが、この10人の重い皮膚病の者にとっての癒しと浄めの力であること、そして、それこそが旧約聖書の律法を遙かに超える神の力ある業になることを伝えているのでしょう。
10人は浄められました。けれどもその10人の中で、自分が浄められたことを知って大声で神を賛美しながらイエスのところに戻ってきたのはただ一人でした。しかも、その人は日頃イスラエルの民から差別され交わりを絶たれ、互いに憎み合っていたサマリア人でした。主イエスは言われました。「清くされたのは10人ではなかったか。他の9人はどこにいるのか。この外国人の他に神を賛美するために戻ってきた者はいないのか。」
重い皮膚病を病んで見捨てられ、誰一人相手にしてくれる者などなかった時に、主イエスはその人々を受け入れてくださいました。そして、彼らは主イエスのみ言葉にすがって、祭司のところに向かったはずでした。み言葉に従って立ち上がり、歩み、その中で自分たちが既に浄められていると気付いたとき、10人ともに癒やされて清くなって、再び生きていくことのできる喜びが湧き上がったことでしょう。
でも、その浄めは、主イエスとの出会いと交わりを深めていく信仰の入り口だったはずです。他の9人は、自分の求めが満たされると、またエルサレム神殿の祭司階級を頂点とした制度の中に戻って、サマリア人を差別して自分を高みに置く社会生活を始めたと考えられます。
その一方、唯ひとり主イエスの足下にひれ伏すサマリア人は、自分の病が浄められたことを通して、大声で神を賛美し、感謝する事へと導かれています。初めは遠くから憐れみを求めて叫ぶほかなかった人が、今は主イエスの足下にひれ伏して感謝しています。これは礼拝する者の姿です。肉体的な、また物質的な恵みは目に見えて人を喜ばせる反面、すぐに過ぎ去り消えていきます。でも、このサマリア人にとって自分が浄められた事は単なる肉体的、物質的な恵みに留まりません。
この10人の身が浄められたことそのものがどれほど大きな喜びであったかは私たちの想像を超えていることでしょう。でも、一人主イエスのところに戻ってきたこのサマリア人には、自分の癒しと浄めが、更に主イエスを通して与えられた恵みを感謝する事へ、これらかも感謝と賛美に中に生きていくことにつながっていきます。
主イエスはこのサマリアの人にこう言いました。
「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
主イエスはこの人が浄められた事に満足してそこに留まるのではなく、「立ち上がって行きなさい」と促します。主イエスに見つけられ、招かれた私たちに対しても、主イエスは同じように「立ち上がって生きていきなさい」と言っておられます。主イエスの体である教会に連なる私たちも、このような信仰の歩みに生かされる時、主イエスに対する感謝と賛美を更に大きく深くすることへと導かれ、私たちは主イエスから「あなたの信仰があなたを救った」と祝福していただけるでしょう。
小さくされ弱くされている人と共におられる主イエスに、憐れみを叫び求め、絶えず主イエスの御言葉によって立ち上がる事へと促されましょう。そして主に対する感謝と賛美をささげる信仰の歩みを深めていきたいと思います。
はじめに、「重い皮膚病」という言葉について触れておきたいと思います。現在私たちが公の礼拝で用いている『聖書-新共同訳-』で「重い皮膚病」と訳されているこの言葉は、かつて「らい病」と訳されましたが、途中で「重い皮膚病」と読み替えることとされ、2018年刊行の『聖書-聖書協会共同訳-』では「規定の病」と訳されています。この言葉を直訳できる言葉がないのです。
この言葉は、旧約聖書のヘブライ語では「ツァラート」であり、新約聖書のギリシャ語では「λεπροs(レプロス)」です。このギリシャ語を語源として英語ではLeprocyであり、このLeprocyは「ライ病」「ハンセン氏病」という意味を含めて用いられてきました。しかし、旧新約聖書の「ツァラート」が実際にどのような病であったのか、その詳細は分かっていません。例えば、レビ記第13章にはこの「ツァラート」がどのような病でどのような見分け方(診断)をするのか、もしこの病に冒されていたらどのようにし、回復したときにはどのようにするのかなどについて記されていますが、その中に人体だけではなく皮製品についての言及もあり、この病がハンセン氏病と同じ範囲の同じ意味で用いられいないことは明らかであり、ツァラートという言葉にハンセン氏病が含まれているとは言えないのです。それでも、この言葉は長い間、ライ病(ハンセン氏病)のこととして理解され、聖書もそれに基づいて解釈されてきました。
しかし、ハンセン病の病原菌は、ノルウェーの細菌学者ハンセンによって、1873年に発見され、この病原菌が体の末梢神経に寄生してそこから体の先端部分を壊死させる病気であることが分かってきたのです。
それ以前には、体の表面に似たような症状の出る他の皮膚病群とハンセン病が区別されずに捕らえられた時代も長く、体にこうした症状が現れた人は強い差別を受けてきた辛く悲しい歴史が世界中にあると言えます。現代の旧約聖書学者の中には、この病は特定の地方の風土病であったと考える者もいて、ハンセン病は旧約聖書時代のパレスチナには存在しなかったと考えられています。
こうしたことを考えあわせてみると、時代と共にその言葉に入り込む他の意味をも踏まえながら聖書を正しく翻訳する難しさを感じます。旧約聖書ヘブライ語のツァラートも新約聖書のギリシャ語のレプロスも、医学用語として極めて曖昧な言葉であり、日本語訳の聖書では「ライ病」、「重い皮膚病」、「規定の病」と訳してきたのが現状であり、『聖書新改訳』(いのちのことば社)は敢えて日本語に置き換えず、そのまま「ツァラート」としています。
長い前置きになりましたが、今日の聖書日課福音書は「10人の重い皮膚病」の者が主イエスに清められた物語です。
この「重い皮膚病」に限らず、病は体のことでありながら体のことに留まらず、病んだ本人にも周囲の人にも、いろいろな影響を及ぼします。例えば、病気のために好きな食べ物を制限されて意欲が減退したり、楽しみにしていた旅行を断念しなければならなくなる場合もあるでしょう。病は本人ばかりでなく、家族や友人との関係にも影響を及ぼします。聖書に出てくる「重い皮膚病」についても、この病気がどれほど恐れられ嫌われていたかを、旧約聖書の次のような記述の中に見ることが出来ます。
例えば、レビ記第13章45節以下に次のように記されています。「重い皮膚病(ツァラート)にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状がある限りその人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」
ここには、重い皮膚病(ツァラート)の者は、人々との交わりを絶たれ、共同体から追い出され、自分の名を名乗る代わりに自分を「汚れた者」と言わなければならず、人格を奪われた様子が覗えます。しかも当時「汚れた者」が意味するのは、肉体的な病気があるということに留まらず、神に見捨てられた(或いは罰せられた)しるしが体に現れ出ていることと捕らえられました。
10人の重い皮膚病者は、そのように神から罰を受けて社会から捨てられた人であり、ユダヤ人かサマリア人かということさえ問題ではなく、捨てられた者が集落の外でひっそりと暮らしていたものと思われます。
主イエスと弟子たちの一行がガリラヤとサマリアの間を通ってエルサレムに向かっていた時のことです。10人の重い皮膚病を患っている人が主イエスが近くにいることを知って、主イエスを探し出して叫びました。
「イエスさま、先生、どうかわたしたちを憐れんでください。」
先ほど触れたとおり、律法によれば、その10人は「汚れた者がここにいます。汚れた者です」と大声で叫んで、自分たちからその場を離れなければならなかったはずです。でも、彼らは必死で主イエスに向かって憐れみを求めます。彼らの「重い皮膚病」は律法をはじめとする当時のしがらみの中で、彼らの名を奪い、人格を奪い、人間らしい生活を奪ってきました。でも、彼らは今主イエスに一人の人として憐れんでいただくことを願って、必死に叫んでいます。
主イエスは、彼らに自分の体を祭司に見せるように告げますが、この10人が主イエスの言葉に従って神殿の祭司のところに向かう途中で、自分たちが既に浄められていることに気付きます。律法によれば、重い皮膚病の症状が消えた人が祭司のところに行って回復の判定を受け、その後に浄めの献げ物をするのが順序ですが、イエスは10人の病者にそのまま直ぐに祭司のところに行くように指示しています。ここに福音記者ルカは、主イエスが深い愛をもって人々を憐れむことが、この10人の重い皮膚病の者にとっての癒しと浄めの力であること、そして、それこそが旧約聖書の律法を遙かに超える神の力ある業になることを伝えているのでしょう。
10人は浄められました。けれどもその10人の中で、自分が浄められたことを知って大声で神を賛美しながらイエスのところに戻ってきたのはただ一人でした。しかも、その人は日頃イスラエルの民から差別され交わりを絶たれ、互いに憎み合っていたサマリア人でした。主イエスは言われました。「清くされたのは10人ではなかったか。他の9人はどこにいるのか。この外国人の他に神を賛美するために戻ってきた者はいないのか。」
重い皮膚病を病んで見捨てられ、誰一人相手にしてくれる者などなかった時に、主イエスはその人々を受け入れてくださいました。そして、彼らは主イエスのみ言葉にすがって、祭司のところに向かったはずでした。み言葉に従って立ち上がり、歩み、その中で自分たちが既に浄められていると気付いたとき、10人ともに癒やされて清くなって、再び生きていくことのできる喜びが湧き上がったことでしょう。
でも、その浄めは、主イエスとの出会いと交わりを深めていく信仰の入り口だったはずです。他の9人は、自分の求めが満たされると、またエルサレム神殿の祭司階級を頂点とした制度の中に戻って、サマリア人を差別して自分を高みに置く社会生活を始めたと考えられます。
その一方、唯ひとり主イエスの足下にひれ伏すサマリア人は、自分の病が浄められたことを通して、大声で神を賛美し、感謝する事へと導かれています。初めは遠くから憐れみを求めて叫ぶほかなかった人が、今は主イエスの足下にひれ伏して感謝しています。これは礼拝する者の姿です。肉体的な、また物質的な恵みは目に見えて人を喜ばせる反面、すぐに過ぎ去り消えていきます。でも、このサマリア人にとって自分が浄められた事は単なる肉体的、物質的な恵みに留まりません。
この10人の身が浄められたことそのものがどれほど大きな喜びであったかは私たちの想像を超えていることでしょう。でも、一人主イエスのところに戻ってきたこのサマリア人には、自分の癒しと浄めが、更に主イエスを通して与えられた恵みを感謝する事へ、これらかも感謝と賛美に中に生きていくことにつながっていきます。
主イエスはこのサマリアの人にこう言いました。
「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
主イエスはこの人が浄められた事に満足してそこに留まるのではなく、「立ち上がって行きなさい」と促します。主イエスに見つけられ、招かれた私たちに対しても、主イエスは同じように「立ち上がって生きていきなさい」と言っておられます。主イエスの体である教会に連なる私たちも、このような信仰の歩みに生かされる時、主イエスに対する感謝と賛美を更に大きく深くすることへと導かれ、私たちは主イエスから「あなたの信仰があなたを救った」と祝福していただけるでしょう。
小さくされ弱くされている人と共におられる主イエスに、憐れみを叫び求め、絶えず主イエスの御言葉によって立ち上がる事へと促されましょう。そして主に対する感謝と賛美をささげる信仰の歩みを深めていきたいと思います。